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2009年9月

2009年9月30日 (水)

寺報?

父の13回忌の際に、こんなものを書きました。一部公開。

 このたび、正善寺では、お寺で行事があるときなど、折に触れて寺報「THESHOUZENJI TEMPLE」として、皆様に仏事に関わることなどをお伝えしていきたいと存じます。

前住職理尚院釈智遊の十三回忌法要

 九月十九日(土)午後二時より 前住職理尚院釈智遊の十三回忌法要を勤めます。皆様に親しんでいただいた、前住がお浄土に還ってから早くも十二年がたつのですね。時のたつのは、早いものだと感慨がわき起こります。(前住が亡くなったのは、平成十年一月四日でした。)十二月に現住職のところに長女が誕生、一月に前住の葬儀二月には、南江守仏照寺(妹の嫁ぎ先)に長男が誕生。生死の有様をまざまざと感じたあの頃でした。

勤行 仏説無量寿経(四十八願段) 和訳正信偈
説教 演仙寺殿

 四十八願段は、親鸞聖人が浄土三部強の中でも、要とされた仏説無量寿経の一節で、法蔵菩薩が阿弥陀如来になる際に誓われた四十八の願が述べられているところです。私たち浄土真宗では、この中の第十八願を本願としていただき、教えの要と受け取っています。漢文では「設我得仏。十方衆生。至心信楽。欲生我国。乃至十念。若不生者。不取正覚。」とあります。

 もし私が仏となるとき、十方の衆生が最高の心で私の浄土に生まれようと願い、十回の念仏を唱えて、もし私の浄土に生まれることができなかったならば、正覚をとらないつもりだ。 

 我々衆生をひとり残らず救おうというお誓いです。私たちの前には、如来として阿弥陀如来がいらっしゃるのですから、この願はすでに成就されているのです。

  和訳正信偈は、私たち真宗門徒にはなじみの深い漢文の正信偈を日本語に訳し、節をつけたものです。真宗教団連合の共通勤行になっています。
  御本とコピーを用意しておりますので、どうぞご一緒に唱和してください。

 演仙寺殿は坂井町御油田の本願寺派のお寺です。住職さんは、坊守(母)の弟です。良いお話をしていただけると思いますので、御聴聞ください。

妙慶さんとファミマ

川村妙慶さんの「あなたは、あなたでいい」をファミリーマートで見ました。

すべてのファミマにあるのかどうかはわかりませんが、ファミマで妙慶さんの本を見ることができるというわけです。
ファミマでちょっと見てお買い求めの上、熟読をススメします。

本願寺展

先日、石川県立歴史博物館で本願寺展を見た。

親鸞聖人の教えが脈々と受け継がれているのがよくわかった。

西本願寺が中心となっているので、東本願寺にもいろいろと見るべきものがあると思うと、東

西本願寺がいかに文化的にも果たしてきた役割が大きいか、今更ながら思い至ることとなっ

た。

お近くの方は、金沢見物をかねて出かけてみられたらどうだろうか。

歴史博物館は金沢美工大あと、赤煉瓦の趣ある建物で、そちらも一見の価値あり。

2009年9月29日 (火)

尼講での法話

23日の尼講では、こんなことをお話ししました。

川村妙慶さんの新著『あなたは、あなたでいい』の「自分をじっくり知ろう」を紹介。

真宗は、死んだ人を供養することは主眼ではなく、今生きている私に向けた教えであるのです。

〈自分をじっくり知る〉ということは、教えを受け取るのに是非とも必要なことなのです。

「“どういう人間として生きるのか”という自明(自分を明らかにすること)が、何よりも大切です。」

「自分という中身をしっかりと見てほしいと願う教えが、仏教です。」

(「自分をじっくり知ろう」より)

お彼岸は到彼岸ともいいます。仏の国に到達することです。

どうすれば仏の国に到達できるのか。

それは自分をよく見つめることです。

阿弥陀様は、光の仏さまです。(無量光)

阿弥陀様の光に照らされたとき、自分の姿が明らかになります。

2009年9月22日 (火)

尼講のご案内

明日、尼講を行います。彼岸会を兼ねます。

よろしかったらおいでになりませんか。

正信偈のあと、住職が法話をさせていただきます。

9月23日(水)午後七時より 尼講

2009年9月20日 (日)

十三回忌法要

父の十三回忌法要がなんとか終わりました。

いろいろばたばたしましたが、良い法要であったと思います。

ご参詣の方々ありがとうございました。

2009年9月18日 (金)

あなたは、あなたでいい

Photo

永代経でご縁をいただいた川村妙慶さんの新しいご本を拝読。

『焦らない、比べない あなたは、あなたでいい』

妙慶さんのご本らしく、深い教えを身近なことを題材に、わかりやすく伝えていただいています。

帯の言葉を紹介しておきましょう。

 できる自分、できない自分、両方あって、ひとりの人間です。

 「いまのまま」「ありのまま」を受け止めましょう。

できる自分を誇らしげに自慢したり、できない自分を必要以上に責めたり、いつの間にか私たちは、自分の有り様を受け止められず、心を痛めてしまいます。

仏教はそういう私たちに、「今のまま」「ありのまま」の自分でいいのだと教えてくれます。

妙慶さんのご本で、もう一度自分を受け止めてみませんか。

この本、九月下旬には、某コンビニの店頭にも並ぶそうです。(もちろん、書店にも)

気軽に手に取れる本ですので、ご一読おすすめいたします。

あるお茶会のこと

先日、ある御講師のお話のあと、御講師の発案で、参加された方々とお茶会があり、気楽におしゃべりをする機会を得ました。

いろいろな方がいろいろな思いで参加されていたことがわかり、有益な会だったと思います。

中に、ご自分の家は浄土真宗なので、真宗のことを知りたいと思って参加しているという方がおられ、少し真宗のお話をさせていただいたりしました。

家の宗教という言い方は、あるいは古いと感じる方もおられるかもしれません。

しかし、自分と関わりのある宗教について、知りたいと思うのは、尊いことであるなと思います。

親鸞聖人は、教えは私に向かって開かれているとお導きくださいました。

なくなった方を供養するのが真宗ではなく、今生きている私に向かって開かれているのです。

明日は、前住職の十三回忌法要を勤めますが、生きている私たちに何かを(仏さまの教えを)伝え、導くことが前住職の願いであり、それが還相の回向といわれるものであると思います。

明日は、皆さんとともに、仏の教えに出会うことをよろこびたいと思います。

前住職理尚院釈智遊十三回忌法要

明日、前住職の十三回忌法要を勤めます。

有縁の方々、どうぞお参りください。

前住職理尚院釈智遊十三回忌法要

午後2時より

説教 演仙寺殿

2009年9月 6日 (日)

頭の上のオレンジ

「毎日新聞」 「心のサプリ」では海原純子さんが「頭の上のオレンジ」というのを紹介している。

おもしろいと思うので、一節を紹介。

 頭の上にオレンジをのせる。

 といっても、実際にオレンジをのせて歩くのではない。

 イメ-ジするのである。

 頭の上にオレンジが一つのっていると想像し、そのオレンジから周囲をみる、と仮定するのだ。

 オレンジの目線、というわけだ。

 ちょっと試してみてください。

 何となく視野が広がり、周囲がより広くみえる感じがしませんか?

私たちは、自分の我にこだわってしまうと周りが見えなくなってしまいます。

「自分が、自分が」という思いにとらわれてしまうのです。

自分中心になってしまうと、そのうちに行き詰まって身動きがとれなくなってしまいます。

知らぬ間に、自分が「苦」に縛られてしまいます。

私たちは、阿弥陀様にお任せという気持ちを持つ。それが「南無阿弥陀仏」の一つの意味でもあります。

すべてを阿弥陀様にお任せする。絶対他力です。

そういう気持ちになったとき、阿弥陀様が優れたオレンジになってくださるのではないでしょうか。