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2009年10月

2009年10月 7日 (水)

ぞうさん

子供の頃、ぞうさんの歌に親しんだ人は多いと思います。その「ぞうさん」には、こんなエピソードがあったそうです。「心のしおり」の再掲です。

ぞうさん

 よく知られている童謡「ぞうさん」はまどみちおさんが作詞しました。
 ぞうさん/ぞうさん/おはながながいのね/そうよ/かあさんもながいのよ
 一見素朴で見たままを詠んだだけの歌詞のようですが、まどさんはもっと深い意味をこの歌詞に与えていました。
 阪田寛夫さんはまどさんからこう聞きました。
  あの歌は、動物が動物と して生かされていることを喜んでいる歌なのです。「お鼻が長いのね。」 と悪口を言われた象の子が、「いちばん好きなお 母さんも長いのよ。」と誇りをもって答えたのは、象が象として生かされていることが、素晴らしいと思っているからなのです。(「『ぞうさん』 とまどさん」)
 誰が好きなのと聞かれて「かあさんがすきなのよ」と答える二番の歌詞とあいまって、自分の生かされている命を素晴らしいと肯定する子象の姿が浮かび上がってきます。自分を「生かされている」身と捉えた上で、生きることの本質を「ぞうさん」は私たちに語りかけているのです。

2009年10月 6日 (火)

サンキュー・ブッダ

これも、「心のしおり」掲載のものです。

サンキュー・ブッダ
 ある講演で、海外布教をなさった方のお話を聞きました。その方は「南無阿弥陀仏」をどのように英語に訳したらよいか、ずいぶんと思案したそうです。ある時、寺に集まった子供たちに「南無阿弥陀仏」を英語でなんと言ったらよいかと質問をしたそうです。その答えが「サンキュー・ブッダ」(仏さま、ありがとう)。
 私たちは、漢字ばかりで書かれた「南無阿弥陀仏」を難しいものと思いこんで遠ざけてしまっているのではないでしょうか。しかし、この話によって「南無阿弥陀仏」はきわめて身近な感謝の言葉であることに気づかされます。
阿弥陀如来は法蔵菩薩と呼ばれていた頃、摂取不捨のお誓いをたてられて仏となられました。衆生すべてを一人残さず救う仏さまです。私たちは、どんなにがんばっても煩悩を離れられない凡夫です。普通ならばこのような私たちを救うとは考えにくいのですが、阿弥陀如来は自ら救うとお誓いになったのです。このような広大なお慈悲を私たちは感謝せずにはいられない。その感謝の言葉が「南無阿弥陀仏」なのです。

星とたんぽぽ

これも「心のしおり」掲載のもの。この頃は金子みすゞさんをたくさん読んで、感動していました。

みすゞを読み直してみようかな・・・と思う今日この頃です。

星とたんぽぽ

 春のくるまでかくれてる、

 つよいその根は眼 にみえぬ。

 見えぬけれどもあるんだよ、

 見えぬものでもあるんだよ。
 

 この詩「星とたんぽぽ」の作者金子みすずは今年生誕百年を迎えた「若き童謡詩人の巨星」と言われながら二十六歳でこの世を去った薄幸の人でした。しかし、その優れた感性は、通常では見えないところにまで及んでいます。
 私たちの命は、実に多くの人やものによって支えられています。しかし、そのことはあまり意識していません。私たちは自分の命を支える根に無自覚なままでいいのでしょうか? 
 みすずに深い理解を示す矢崎節夫氏は稲の根について書いています。(『金子みすずこころの宇宙』)それによれば、八十センチほどにのびた稲は三十メートルもの根を張るのだそうです。そして稲の根は地面の中で様々なものに出合い、その出合いを糧として稲が育っていったと矢崎氏は言います。
 私たちも多くの出会いを糧として、地面の中にしっかりと命の根を張っていきたいものです。

新聞表記ということもあって、「みすゞ」を「みすず」と書いています。

阿弥陀様のお働きは、直接目にできるものではありませんが、「見えぬけれどもあるんだよ

見えぬものでもあるんだよ」というとき、私たちは、阿弥陀様のお働きの実在を信じることができるのですね。

2009年10月 5日 (月)

青色青光

これも「こころのしおり」に載せたもの。旧稿ですが、お読みいただければ幸いです。

青色青光

 『仏説阿弥陀経』には、阿弥陀如来の浄土について詳しく説明があります。その中に次のような言葉があります。

 青色青光(しょうしきしょうこう)。黄色黄光(おうしきおうこう)。
 赤色赤光(しゃくしきしゃこう)。白色白光(びゃくしきびゃっこう)。

 浄土では、青い個性を持った者には青い光が当たって青く輝き、黄色い個性を持った者には黄色い光が当たって黄色く輝く。赤い個性、白い個性も同様です。浄土では自分の個性を充分に発揮することができ、誰もそれを邪魔することはありません。しかもスポットライトのように一人一人の個性に光が当たるのです。すばらしい世界だとは思いませんか?
 「出る杭は打たれる」とことわざにもあるように、現世ではすばらしい個性があってもいろいろな障害があって個性を発揮しきることは難しいでしょう。場合によっては、個性を主張することは忌み嫌われるかも知れません。現実は厳しいですね。
 世知辛い現実の物差しは、金で価値を計る物差しです。仏さまの物差しは、想像できないくらい広い目盛りの物差しです。仏さまの物差しで世界を眺めてみてはいかがでしょうか?

表記を新聞掲載時とは改めたところがあります。

2009年10月 4日 (日)

報恩講

今日は佛性寺さんの報恩講でした。

10月から11月にかけては、住職にとってはお寺での報恩講の季節です。

また、10月から12月にかけては御門徒のお家での報恩講も報恩講のお勤めをさせていただきます。

正善寺の報恩講は11月3日。

報恩講は、親鸞聖人の御恩に感謝する意味とともに、聖人の年忌法要という意味もあることになります。

(報恩講の初夜には、お通夜の意味もあるそうです。

これをお読みの方の中には、報恩講の夜にお寺に泊まり込まれて、一晩中、親鸞さんをお守りされた、という体験をお持ちの方もあるかもしれません。

当寺では、一日だけのお勤めですので、初夜のお参りがお通夜ということになるのでしょう。)

当寺では、初夜に親鸞聖人の御一代記ともいえる御伝鈔をあげさせていただきます。

また、御伝鈔の内容を絵で伝える御絵伝を余間にかけております。

聖人の御一生を改めて振り返る機会でもありますので、夜のお勤めはお出かけになりにくい面もあるかと存じますが、初夜のお勤めにお参りいただきたいと存じます。

仏はつねにいませども

かなり以前に書いたものですが、読み返してみて、読んでいただける人があれば、という気持ちになりましたので、載せてみたいと思います。「福井新聞」の「心のしおり」に掲載されたものです。

仏は常にいませども

 仏は常にいませども

 現(うつつ)ならぬぞあわれなる

 人の音せぬあかつきに

 ほのかに夢に見えたもう     (『梁塵秘抄』)

  『梁塵秘抄』は後白河法皇の手で編集された「今様」(当時の流行歌謡)の歌詞集です。

この歌詞も、当時の人々に広く口ずさまれたことでしょう。

当時は多くの人が身近に仏さまを感じてたように思われます。  

阿弥陀如来はお働きの仏さまです。

お働きは私たちの目には見えません。

私たちが「仏さまを拝む」という時、仏像や絵像に向かって拝む姿を思い浮かべます。

私たちは、拝むときに目に見える対象がないと拝む方向に迷ってしまいます。

ですから「方便」として仏さまのお姿を写した絵像や仏像を拝みます。

しかし、仏さまは「常においでになるが、現実に見えないのが感慨深い」のです。

仏さまのお働きにみちみちているこの世界。

しかし、私たちが目に見えないものを信じなければ、「今様」を口ずさんだ古人(こじん)のように仏さまのお働きに感動することは難しいでしょう。

仏さまに手を合わせ、そのお働きを思っていただきたいものです。

新聞掲載のときとは、表記を改めたところがあります。

自分でも久しぶりに読んでみたのですが、皆様に何かしら伝えられるところがあれば、ありがたいと存じます。

2009年10月 2日 (金)

還座式

ネットでいろいろと真宗関係の記事を見ていましたら、東本願寺の還座式のことを教えられました。9月30日のことなので、不明を恥じつつ、このことに触れてみたいと思います。

還座式とは、親鸞聖人の木像を、阿弥陀堂から修復なった御影堂へと移し、元の場所にお戻しする儀式。

僧侶が100人ばかり行列に参加し、御像に手を合わせた門徒・僧侶の数が1万人以上ということ。

これは750回忌を迎えるための準備の一つ。

参加の人数を見て、圧倒されますが、大仰な行事を親鸞聖人ご自身がどう思われるかは定かではありませんが、親鸞聖人を讃仰する方がこれだけたくさんおられるということは、少なからず感動しました。

親鸞聖人の教えに、これだけ多くの人が教え導かれ、親鸞聖人との出会いをよろこばれているのですね。

派は違いますが、同じ親鸞聖人の教えに遇うものとして、この事実は非常に心励まされるものといえます。

親鸞聖人の教えが800年以上も受け継がれ、多くの人が導かれたことを見直し、新たなる思いをいたすことが、750回忌を迎えることの一つの意義であることを確認した次第です。

                                             合掌

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