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2010年1月

2010年1月31日 (日)

御法縁

この土日は、ご法事や報恩講を何軒か勤めさせていただきましたが、ある方が、

法事が終わった後、お話をしようと近づくと、正信偈を口ずさみ、ご本尊を拝んでおられました。

ご法事でのお勤めは正信偈ではなく、無量寿経だったのですが、自然と正信偈が出てくることに、少なからず感動を覚えました。

お寺のご本尊やお家の仏壇に向かって手を合わせておられる方は、多いと思います。

実は仏様にお遇いすることは難しいことです。

亡き人のご縁、あるいはほかの何かのご縁で仏さまに手を合わせ、仏様とお遇いすることは非常にすばらしいことだと思います。

仏さまに手を合わせるという御機縁を大切にいたしましょう。

2010年1月17日 (日)

遇いがたくして

遇いがたくして

今 遇うことを

得たり 

          親鸞聖人 

仏様にお遇いすることも、人にお遇いすることも、私たちはあたりまえのことと思ってしまいますが、実は「遇いがたい」ものなのですね。そういう認識があってこそ、「遇う」ことの喜びが大きく大切なものになる。

仏さまの教えというのは、実は本当に遇うことが難しいのです。

仏さまに手を合わせることのできる喜びを大切にしましょう。

今しかできないこと

海原純子さんの「心のサプリ」は「今しかできないこと」(「毎日新聞 日曜くらぶ」)と題する文章。

次のような一節があります。

私自身は、若くなくちゃできないことを追い求めるのはやめにした。

年をとったら、年をとらなくちゃできないことがあるからだ。

年をとる、という一見ネガティブなイメージの環境でも、「そのときにしか

できないこと」を見つけようと心がけると、しゃんとするものだ。

今の価値観は「若い」がいいことで「老い」は価値がない、できればなりたくないこと

のでしょう。

アンチエイジングという言葉は、ずいぶんよく目にしますね。

しかし、それはある意味「若さ」にとらわれていることなのではないでしょうか。

「老い」はすべてがプラスとはいえないかもしれませんが、おいて初めて見えるもの、できることもあるでしょう。

あるがままを受け取ることが大切。

「若さ」というとらわれを突き破る何かを見つけていきたいものです。

2010年1月15日 (金)

無量の光

今は津本陽さんの『無量の光』を読んでいます。

五木寛之さんとともに、親鸞聖人を小説に取り上げておられます。

五木さんのはどちらかというと、おもしろい小説という感じですが、津本さんは、淡々

と親鸞聖人像を形作っていく感じです。

津本さんには、『弥陀の橋は』という親鸞聖人を取り上げた作品があり、なかなかい

い小説です。

750回忌が近くなり、親鸞聖人と法然上人(800回忌)についていろいろと書かれたり

する気運がいよいよ高まるのかもしれませんね。

そういうものを通して、親鸞聖人や法然上人を見直していきたいものです。

2010年1月14日 (木)

親鸞 五木寛之

五木寛之さんの「親鸞」を読了。

評判になっている本ですね。新聞にも連載されていましたね。

小説ですから、創作の部分もかなり多いようですが、五木さんの親鸞像がよく現れているのでしょうね。

特に、悪人という意識が親鸞聖人の中でどのように作られてきたのかが、興味深く思われました。

さすがに五木さん、非常におもしろく読むことができました。

2010年1月11日 (月)

御講さんへの誘い

正善寺では御講さんを行っています。(尼講と呼んでいますが)

今年は2月20日(土)に御講結び(その年最初の御講さん)を行います。

御講さんは正信偈のお勤めと住職の法話です。

新しいお仲間になりませんか?

お内仏報恩講

お内仏の報恩講を勤めさせていただきました。

正信偈のお勤め、御伝鈔拝読(下巻)の後、皆さんとお齊をいただきました。

親鸞聖人の遺徳を偲ぶことができ、お念仏をよろこばせていただきました。

お内仏報恩講

お内仏の報恩講を行います。

1月11日午後3時より。

2010年1月 4日 (月)

鏡餅

今日は鏡餅を何軒かの同行さんに配りに歩いた。

当番の方々にも配っていただくのだが、お寺から少し離れたお家に届けに行く。

お家によっては、いろいろとお話をさせていただくことも。

お話をさせていただくと、いろいろと普段気づかないことに気づくこともある。

お話をする機会があったときには、是非質問、疑問、皆様の思いを聞かせていただきたいと思います。

すべてにお答えできるかどうか、わかりませんが、どうぞご遠慮なくお話しください。

2010年1月 1日 (金)

邪険驕慢悪衆生

今年も新年の幕開けとともに正信偈をあげさせていただきました。

親鸞聖人のお言葉をできるだけ私心を交えずに受け取っていきたいと改めて思う次第。

また、一人でも多くの方に、ともに聖人のお言葉をよろこんでいただきたいとも思います。

川村妙慶さんのブログに「邪険驕慢悪衆生」とある正信偈のお言葉について書かれていました。(詳しくは妙慶さんのブログでどうぞ)

今日、元日に仏さまや神様に手を合わせ拝まれた人は数多いと思いますが、(私の自己反省も含めて)自分中心の願いから手を合わせたのではないか?と自分の心に問うてみてはいかがでしょうか。

自分中心という思いからは、自分を見直すと云うことが見えてこないのではないでしょうか。

自分を阿弥陀様のみ光の中で見直すということが大切なのではないでしょうか。

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