墓参会盂蘭盆会
正善寺の墓参会盂蘭盆会がいよいよ明日です。 墓参会盂蘭盆会 8月7日(土) 午後3時より 説教 本願寺派布教使 岩見順明氏 法要の後お齋をお出しいたします。 どうぞ皆様お参りください。 寺報もお配りいたします。 今回は、浄土真宗のお盆について。
正善寺の墓参会盂蘭盆会がいよいよ明日です。 墓参会盂蘭盆会 8月7日(土) 午後3時より 説教 本願寺派布教使 岩見順明氏 法要の後お齋をお出しいたします。 どうぞ皆様お参りください。 寺報もお配りいたします。 今回は、浄土真宗のお盆について。
なるほどと思ったことがあります。
川村妙慶さんは、結婚祝いにお内仏をオススメになっています。(日替わり法話)
ちょっと意外に思われるかもしれませんが、新しい門出に、仏さまに手を合わす習慣をプレゼントというのも、すばらしいことだと思います。
妙慶さんは、ご講演などで外に出られるときには、小さい阿弥陀様を一緒に出かけられると聞きました。
阿弥陀様は本来お力であり、お働きでありますから、形はありません。
仏像や絵像は、方便法身であり、ある意味でどこに向かって手を合わせても良いはずです。
しかし、私たちは、手を合わせる目的物がないとなかなか手を合わせることが出来ません。
手を合わせ、「南無阿弥陀仏」とお念仏をする、そのお念仏そのものが佛であるとも教えられています。
仏さまを身近に感じ、お念仏し、手を合わせる。
そういう習慣をプレゼントする。
こういうことが広がってくると嬉しいですね。
昨日は福井でご法事。
親戚の方もたくさんお集まりで、賑やかなご法事であった。
ご法事が終わって、おときをご一緒させていただいた。
以前は、ご自分の家で料理をお作りになり(魚屋さんからとるものもあるが)法事が終わるとその場にお膳を並べておときになるというパターンだったが、最近は料理屋さんに出向いていただくと言うことがほとんど。
この傾向をどう考えるかはいろいろあるだろうが、ご家族の皆さんが(特に女の方が)食事の用意のために御法座の場にいることが出来ないということが多かった以前の形と違って、仏さまに向かっていただけるところは良いことだと思う。
料理屋さんを使うと、料理が順番に運ばれてくる。以前ははじめにお膳にすべてセットしてあったので、亡父から「おときには長居するものではない。1時間程度でご無礼するものだ」と言われたが、料理を急いで出してもらうことになったり、ご家族の方々にいらぬ気遣いをさせることになることが多くなった。それで、最近は料理屋さんでのおときは、料理がすべて出て、施主のご挨拶が終わるまでいさせていただいている。
ゆっくりしていると、いろいろと話をすることが出来るし、近しくもなれる。場合によっては仏法の質問をお受けすることもある。最後までいるのも、良いのではないかと思っている次第。(この日は、ゆっくりとしていただいているので、嬉しいと言っていただいたし)
鯖江本山で暁天講座をお聴聞させていただいたが、関係する方とお話をする機会を得た。鯖江派には知っている方も多く、本当は終わってから挨拶すべき方がたくさんおられたのだが、ヒザの治療に向かうため、終わるとすぐに福井に向かっていた。私が聴聞に来ているとたくさんの人が言っていたと聞いて、ご無礼したな…と反省。多くの方のお会いできるのも、御聴聞のすばらしいところなのである。
青木新門さん『つららの坊や』を読む。
雪山玲子さんがご紹介、朗読なさった本だ。
青木さんは映画の『おくりびと』が、死んだ後のことを書いてないので、原作者として名前を挙げないようにと言われた。
死んだ後のことが、後生の一大事が大切で、『おくりびと』は、送る側からしか描かれていないと。
『つららの坊や』は、主人公はつらら(五箇山のつららだ)だけれどちゃんと死のことを考え、死とは何かを周りから学び取っていく。
帯の山根基世さんの言葉が的確に本の内容をつかんでいるようだ。
死をテーマにしながらあたたかく、壮大な命の交響曲が聞こえてくる。
読み聞かせや朗読にもふさわしい作品だ。
子供たちに読み伝えられることを願わずにはいられない。
雪山さんの、声色を使い分けたすばらしい朗読を聴けたことが、改めて良い体験であったと思う。