お彼岸
明日からはお彼岸です。お彼岸は到彼岸ともいいます。仏の国にいたるという意味なのでしょうね。
このお彼岸を機縁として、是非仏さまに手を合わせてください。
正善寺では23日のお中日に尼講を行います。(午後7時より)
本山證誠寺では22日~24日に彼岸会を勤めます。(午後2時より)
23日には正善寺住職が法話です。(御親教の後)
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明日からはお彼岸です。お彼岸は到彼岸ともいいます。仏の国にいたるという意味なのでしょうね。
このお彼岸を機縁として、是非仏さまに手を合わせてください。
正善寺では23日のお中日に尼講を行います。(午後7時より)
本山證誠寺では22日~24日に彼岸会を勤めます。(午後2時より)
23日には正善寺住職が法話です。(御親教の後)
あるおうちにお参りに行く。
阿弥陀経を書き写されたということで、額に入れてあった。
何でも、阿弥陀経のお手本になるのは、一つしかないのだとか。
真宗では写経をするということはあまり盛んではないのだが、書き写すというのは、その言葉を大切にすることなのであるから、必要なことではないかとも思う。
いろいろとお経のお話をすることになったのだが、読経は短い方がよいかもしれないが、深遠なる教えが説かれているのだから、一字一句大切に読ませていただこうと思った次第。
「御示談」というのは仏教語なのだと初めて知った。
「示談」は、仏教語から出ているのだという。
法話の後、長い聞法の経験を持つ人が捌いて座談会をするのだという。
それぞれのお味わいを深めるには良い方法なのだと感心。
富山や石川の方では今も行われているとか。
話をする方からすると、ちょっとこわい気もするが、話にいっそう身が入りそうでもある。
お知らせをかねて、私が法話をする予定を。
お彼岸のお中日(23日)
本山證誠寺 秋季彼岸会 午後2時より勤行 御親教の後
当寺尼講 午後7時より 正信偈のお勤めの後
どうぞお参りください。
仏教の声明が日本音楽の伝統の中にしめるところは大きい、といわれたり、儀式に使われる雅楽があったり、伝道に使われる仏教讃歌があったり、と仏教と音楽の関わりは大きいところです。
最近は、寺の本堂でコンサートを開くということも多いようで、ジャンルを超えていろいろな音楽とお寺という場が結びついているようですし、音楽を布教に取り入れる動きもあるようです。
ちなみに山元派本山證誠寺の七百五十回忌法要のプログラムにも仏教讃歌やジャズのコンサートが組み込まれています。
最近、三浦明利さんという方が、(若い女性です。)住職を務める傍ら、音楽でもご活躍ということを知りました。「ありがとう」という曲のCDを手に入れ、パソコンで聞いています。
ミュージシャンであるということと同時に、ご自身が僧侶であるということをきちんと踏まえておいでのようで、CDジャケットの裏面は、僧衣での写真。
「ありがとう」の曲も、仏教の教えにきちんと根ざしたもののように思えます。
ここまで生かされてきた証にありがとうを伝えよう
詞の一節ですが、報恩感謝の念がよくこの一節に表れているのではないでしょうか。
いろいろな方の「ありがとう」の言葉が、曲に挿入されていますが、なんだか関西方面の方が多いように聞こえますが。(言葉遣いやイントネーションから想像)そこが味わいになっているようにも思います。
HPがあり、三浦さんについてまとまった情報があります。興味のある方は、どうぞ。
昨日(9/10)の「福井新聞」に山折哲雄氏が「死に支度の時代到来」という文章を書いている。
「おくりびと」や「悼む人」から「遺品整理業」そして「糞土師」へと話題が進むのだが、「死に支度」を意識し、それを司る人々が現代でも必要とされているのだと改めて感じる。
「おくりびと」から「悼む人」まで、また「遺品整理人」から「糞土師」にいたるまで、我々の社会は今、われわれのためにもっとも根源的な仕事を提供し始めているように見える。かつての阿弥陀聖や高野聖たちのように、彼らは現代の「ひじり人」たちなのかもしれない。
山折氏はこのように文章を閉じているが、考えさせられるところだと思う。
現代は死というものを、カッコに括って日常から切り離そうとしてきた。見たくないものを見ない、という気持ちからなのだろう。しかしながら、人間は死を先のばすことは出来ても、死を避けることは出来ない。
人の一生のゴールが死であるならば、自分の生を考えるとき、死を考慮に入れないわけにはいかないはずだ。
仏教は真理に目覚めるための宗教といってよいのだが、日常に隠されてしまった死を直視すること、忌み嫌われ見ないようにされている死を生とともに捉え直すこと、そういうことが求められている時代なのかもしれない。
ちなみに、「糞土師」というのは、この文章で初めて知りました。面白い生き方をされているのだなと思います。伊沢正名という方なのですが、HPがありますので、詳しくはこちらで。
比叡山延暦寺にはまだ行ったことがなかった。
最澄開基のお寺で、鎌倉時代新しい宗派を開いた方々はほとんどここで学んだ経験を持っているといってよい。
親鸞、法然、日蓮、道元・・・・
親鸞聖人の時代には、仏教を学ぶにはここしかないという所だったのだろう。
比叡山で学び、悩み、苦しみながらそれぞれの道を歩まれたわけだが、逆にいえば、いろいろな方を輩出するほど豊穣な教えと学びの場であったとも言えるのだろう。(もっとも、比叡山の腐敗ぶりを云々することもあるけれど)
親鸞聖人も九才で得度し、二九才までここで学んでいる。
聖人は比叡山を下りられ、法然上人のもとに行かれた。
そこにはいろいろな理由があるのだろうが、比叡山の体験がなかったならば、浄土真宗の教えはなかったに違いない。
鎌倉時代には、新しい宗派に対する弾圧をした比叡山だが、今は最澄はもちろん親鸞、法然、道元、日蓮の生涯を紹介した掲示板が掲げられ、他の多くの他宗他派を立てられた方々も紹介がある。
常行三昧の修行が行われていたようであるし、ここでの修行から帰る人の一団と見える集団、修行を前に終えて、ふたたびこの地を訪れているかに見える人の一団もあった。
普段触れている真宗との違いも面白かったし、真宗が阿弥陀様一仏を信仰の中心としているのに対し、たくさんの仏像があるのも面白かった。
普段鍛えていないみなのと、ちょっと脚の具合が悪いのも相まって、結構参拝はしんどかった。
車で見所をつないで見ているだけの私とは違い、この地をくまなく歩き、ここで生活していた多くの僧の姿が、尊いものと感じられた経験であった。
先日、御門徒さんの葬儀がありました。
その際、表白(ひょうびゃく)をあげるのですが、葬儀のために表白を作りました。(ひな形があるので、標準的な表白の文章を書き写すだけなのですが…)
その一部を引きます。
ただ願うらくは 遺族知友この機縁にあいて いよいよ 深く真実のみ教えを仰ぎ 摂取の光につつまれて 如来広大の恩徳(おんどく)を謝し 奉らんことを
表白は、そのときの法要の趣旨を仏さまに申し上げるものなのですが、亡くなった人のことをよくしてくださいと申し上げるのではないのですね。
家族や知人の死に出会った生きている私たちに、みおしえを知り、仏さまの恩徳に感謝することを願っています。
信仰の厚い方ももちろんいらっしゃるのですが、私たちはなかなか仏様に自分から遇おうとは出来ないものです。死を機縁として仏さまに出会おう。そう言っています。
真実のみ教えは、亡くなってから出遭うのではなくて、生きている私たちが出遭うものなのですね。仏さまは、そう願われているのだと思います。
今日は、宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要奉加金のお願いに係の方々に回っていただきました。
御奉加にご協力いただきました皆様、感謝いたします。
係の方々、ご苦労様でした。ありがとうございます。
御遠忌を、皆様とともに成功させたいと存じます。