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2010年10月 9日 (土)

チェリッシュ

前にも「ありがとう」で触れた三浦明利さんのファーストアルバム「チェリッシュ」を聞いている。(CDでは「三浦あかり」と表記)

初期の作品ということで、あまり宗教性はないというふうに聞いているが、たしかに「ありがとう」や「en」(「2007全国真宗青年の集い 本願寺大会」 テーマソング ここから)のようなあらわに浄土真宗の教えを伝えるというものではないようだ。

若い女性らしい感性に満ちた歌詞なのだが、メッセージ性もあり、面白い。

そのなかから、ちょっと紹介。

有罪も無罪も 戦争も平和も

全部抱え込むのが私たちだけど

同じになれるなら

願いはひとつ

確かに此処にある この心のここにある

願いはひとつ

世界中がひとつになること

パラダイムもモラルも 理想も矛盾も

全部抱え込むのが私たちだけど

同じになれるなら

(「願い」より)

この「願い」は歌詞からは一般的に「世界中が一つになること」なのだろう。

往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。このほかは別の御はからひあるべしとはおぼえず候ふ。(「親鸞聖人御消息」より)

この親鸞聖人の言葉をあわせると、人それぞれのご信心のありようによって、お念仏を基礎として「世のなか」の「安穏」が願われることがわかってくるだろう。

いろいろな存在としての私(複数)がお念仏を申すところに、「願い」は生まれてくるのかもしれない。

先日、ある方のお話を聴いて、御信心の中心はやはり仏さま(阿弥陀如来)であると再確認したが、いろいろな存在としての私たちが仏さまを中心につながっていくことが、「願い」なのだと、この歌を受け取ってみたいと思っている次第。

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