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2011年4月

2011年4月27日 (水)

尼講終了

少し時間が経ってしまいましたが、尼講が無事終了。

法話は、蓮如上人関連と言うことで、お文の「末代無智」の章とその関連からよしいけ道さんの詩をいくつか紹介。

「末代無智」の章との関連でよしいけさんの「私のために」(『蓮の如くに蓮如様』所収)から、阿弥陀様の本願は、おろかな私に振り向けられたものであるといったことをお伝えする。

他に「乾杯しよう」「これからも」「ふしぎだね」「くつ」といった詩のお味わいを。

A3版の「いきているってふしぎだね」も活用させていただいた。

よしいけさんの『蓮の如くに蓮如様』所収の詩は、仏教用語がちりばめられている。

仏教用語を使うと、むずかしいので、言葉の辞書的な意味の説明になってしまいがちで、理知的な面がかってしまうことが多いのだが、よしいけさんの詩は、仏教用語を自然な感興に溶かし込んでくれるようだ。

頭で分かる詩ではなくて、仏様の心を感動を持って伝えてくださる。

ありがたいことだと感じる。

来月は5月25日(水)に尼講を行います。

いつもの27日ではないので、お間違えのないように。

2011年4月22日 (金)

よしいけ道さんのブログ

よしいけ道さんのブログが立ち上がりました。

題して「詩の散歩道

始めたばかりとは思えないほど、良い感じのブログになっています。

是非、ご覧ください。

きっとどんどん充実したブログになるでしょうね。

尼講のお知らせ

尼講

4月24日(日) 午後7時より

正信偈のお勤め 法話 あとはお茶とお菓子とおしゃべり

どうぞお気軽においでください。

初めての方は、事前にご連絡いただけるとありがたいです。

こんかいは、蓮如忌にちなんでいます。

(2)門徒分散、寺壊れ…

遅ればせの「親鸞なう」フォローです。

福島県相馬市にある浄土真宗本願寺派の光善寺。4月6日、京都の本山から被害状況を見に訪れた同派の橘正信総長(68)に、集まった近隣の寺の住職らは口々に窮状を訴えた。僧侶としての活動がままならない悔しさがにじむ。「このままでは寺を続けていけない」。

被災地のお寺の問題はきっと山のようにあるのだろう。お寺が物理的な被害を受けることももちろんだが、門徒さんの居所が分からなくなれば、ご縁の結びようがない。お寺にとって、これが一番の打撃かもしれない。僧侶として、何をしてよいのか、悩む日々を送っておられるのだろう。

寺を中心にした地域のネットワークが引き裂かれるという「目に見えない被害」(橘総長)

お寺はご縁によって成り立っている。「目に見えない被害」は、物理的な被害以上に、お寺や御門徒さんに甚大な被害を与えていると想像する。

親鸞聖人の生涯にも地震等の災害が多かったという。

そこを宗祖聖人はどう生きられたのであろうか。

勉強不足で、そこのあたりはよく分からないが、被災地以外にすむ我々にとっても、「目に見えない被害」は考えておかなくてはいけない問題であろう。

2011年4月20日 (水)

御仏縁

先日、よしいけ道さんにお会いする機会を得た。

こちらが時間があまりなく、ゆっくりお話来ることはできなかったが、A3版の「いきているってふしぎだね」やよしいけさんのご本までいただいてしまった。ありがとうございます。

お会いして感じるのは、表現への意欲の高さ。

ご本もご自分の手作りのような形でお作りだそうだが、ホームページやブログにも関心をお持ちで、よしいけさんの表現方法は、どんどん広がりそうな予感がする。

いただいた御著書の感想は、改めて書こうと思うが、柔らかく、深くお念仏の味わいをお伝えいただいているところに感銘を受けた。

親鸞なう 大震災宗教の使命

「福井新聞」の「親鸞なう」は、「大震災宗教の使命」となって掲載を再開。

大震災がなかったならば、各派で勤められている御遠忌法要を取り上げていたのだろうが、未曾有の大震災によって、宗教の在り方が揺さぶられていることのあらわれなのだろう。

(1)死者を弔う

本願寺派の仙台別院での活動については、「親鸞なう」以外にも報道があり、ある程度のことは知っていた。

詳しいレポートは僧侶が震災にどういう風に向き合っているのか、よくわかるようにつたえてくれる

僧侶の言葉も、宗教者がいかに震災に向き合うか、いろいろと示唆を与えてくれるようだ。

ランダムに抜き出そう。

「誕生するときを選べないように、命の終わりも選べない。見ず知らずの方だが、阿弥陀様の願いを平等に届けていくのが僧侶の使命だと思う」。(磯山霊秀さん)

「何の助けになっているのか分からない。遺族の深い悲しみを受け止められない感覚に襲われる」(加藤泰和さん)

「悲しみの現場から宗教者が逃げているようでは、この世に宗教は必要なのかということになってしまう。答えが出るのは後になるかもしれない。ただ、目を背けてはいけないとだけは思っている」(加藤泰和さん)

突然の不如意の死が被災地にはあふれている。

僧侶も、戸惑いながらその死に向き合っている。

死に向き合い、寄り添うことから宗教者の使命が、少し見えてくるように思う。

2011年4月17日 (日)

さよならの贈りもの

雪山隆弘さんのドキュメンタリー「さよならの贈りもの」を見る。

ポッドキャスト説法のページ。

この人の残したメッセージは、心を打つ。

2011年4月11日 (月)

750回忌

大震災の影響で、750回忌のもち方も各派いろいろとお考えになったようです。

西本願寺では昨日から大遠忌が始まりました。新聞等によると、参詣を延期した団体もあったようで、いろいろな思いが、寺院や門徒さんの中にも交錯しているのだろうと察せられます。

大遠忌法要のスローガンは、「世のなか安穏なれ」との親鸞聖人のお示しを掲げております。この宗祖のお心を体し、被災されたすべての方々の悲しみに寄り添い、その思いをわかちあって大遠忌法要をお勤めさせていただきたいと願っております。

本派の総長さんは、談話の中で次のように言われました。昨日の挨拶でも、被災者の悲しみに寄り添うという旨お話しされたそうです。

東本願寺は第1期を中止し、「被災者支援のつどい」の法会に切り替えられた。

「宗祖としての親鸞聖人に遇う」という御遠忌基本理念のもと、被災された方々に思いを馳せ、悲しみを共にしながら、いよいよ「人間回復の一道」を証してまいりたく、「被災者支援のつどい」の願いを引き継ぎ、法要次第及び荘厳の一部を変更して予定どおり御遠忌第二期法要及び第三期法要を厳修いたします。このことを通して被災者支援の活動が更に大きな潮流となって全国の御同朋御同行に拡がることを心から念じております。

大派の宗務総長さんのコメントにはこうあります。

御門徒さんの間にも、大震災とどのように向き合うか、いろいろと意見があるようです。北海道の御門徒さんは、飛行機で東北の上を飛び越えてはいけないと取りやめる方、御遠忌に参加することで、被災者の方々に思いを寄せようとする方、半々だと聴かせていただきました。

 御参拝をするかどうか、それぞれのお気持ちに沿って決めていただくということになるのでしょうが、いずれにしても宗祖聖人に向き合うことで、被災者の方々に寄り添うことが大切だと思われます。

以前、「毎日新聞」(3/28)にグリーフケアに取り組む高木慶子さんがインタビューで次のようにおっしゃっているのを見た。

--被災地から遠く離れた人にできることはありますか。

 ◆ お祈りができるじゃないですか。神さま、仏さま、ご先祖さま、どなたでもいい。被災者の不安と恐怖が少しでも和らぐよう、離れ離れになった家族が再会できるよう祈ってください。被災者に寄り添う気持ちから行動の第一歩が始まります。

真宗では「祈る」ではなく「念ずる」と言いますが、気持ちはここに書かれていることと同じではないでしょうか。

 支援に向けて、積極的に行動を取ることができる人もできない人も、お念仏によって寄り添う気持ちを持つことが大切なのではないでしょうか。

2011年4月 8日 (金)

はなまつり

今日はお釈迦様の誕生日。はなまつり・降誕会です。

誕生佛に甘茶をかけることを灌佛(かんぶつ)というので、灌仏会とも言います。

あるところで、誕生佛に甘茶をかけ、拝ませていただきました。

釈尊と親鸞展で、誕生佛が展示してありました。

それを思い出しつつ。

瀬戸内寂聴

朝日カルチャーシリーズ 『CDブック 古寺をめぐる こころの法話』 創刊号の瀬戸内寂聴さんのCDを車の中で聞いている。

あるところで、寂聴さんの後ろ姿をお見かけしているのだが、(敦賀の短大の学長をなさっていた頃 短大の宣伝にも歩いておいでだったようだ。)生でお話を聞いたことはまだない。

寂聴さんのご本は、いろいろと読んできたが、宗派が違うので、そのまま受け入れるわけにはいかない部分もあるが、私はとても良いと思う。

寂聴さんのご法話には笑いが絶えない。

そこを?とする方もいらっしゃるのかもしれないが、ご法話で伝わることって、きっと一つかふたつ。

とすれば、たくさん笑うのも良いではないか、と思う。

(一応、私も笑いの要素は取り入れてご法話してるつもりなのですが、空振り三振のクチ)

まじめではない、というのならば、笑って気分が変わるということの意味も見直したい。

もちろん、寂聴さんのお話には、きちんと心に留まるものが含まれている。

彼女の元気も、すばらしいところだ。

今回のCDのお話は、自慢話と受けとめる人もいるようだが、その奥にあるものに目を向けたい。

機会があったら聞いてみてください。

私は、「あおぞら説法」シリーズの活字で読む方が、何となくスキなのですが・・・

生の寂聴さんのご法話も拝聴したいものです。(ずいぶん、年齢の話や三年後には???というお話もなさっているので・・・)