Powered by Six Apart

カウンターなど

« 2011年4月 | メイン | 2011年6月 »

2011年5月

2011年5月25日 (水)

尼講終了

尼講が終わりました。

法話では、間近に迫った山元派本山證誠寺での御遠忌のご案内。

三浦明利さんの「ありがとう」(2010年版)の紹介を兼ねて、「ありがとう」は、真宗で言うと報恩感謝の念仏ということになると。

二河白道の話から、善導大師の『観経疏 散善義』の中のことば「汝一心正念直来、我能護汝」を島地黙雷が後ろの「汝」を書かずに揮毫したエピソードから、阿弥陀様の誓願が、まさに私に振り向けられているとお話しした。

そういう教えのお伝えのなかで、親鸞聖人に対する思いを御遠忌で新たにしていただきたいと念じる。

来月は6月27日(月)午後7時から となります。

どうぞお参りください。

2011年5月22日 (日)

三浦明利さん

ある講演でお世話になった三浦明利さんのメジャーデビューが決まったのだそうです。

詳しくはこちらで

住職をし、事務所にも所属せずにメジャーリリースが実現することは異例のデビューと言えます。
私の住職としての役割と音楽とをご理解くださる方々のおかげです。

とのコメントがあります。

ご本人の努力があったことはもちろんのことなのですが、こういう感謝のことばになんだか仏さまの思し召しを感じます。

音楽で仏さまの教えをお伝えしていただきたいと思います。

予約されたい方はこちら

年番・総代会

昨日年番・総代会を持つ。

門徒の皆さんが、いろいろと正善寺のことを思ってくださることに頭が下がる。

いろいろとお伝えしているつもりが、伝わっていなかったことがわかったり、、新しい智恵を授けていただいたりと得るところが多かった。

門徒の方にもっと仏さまのご縁にあっていただける工夫をしていかなければならない、と思いを新たにした年番・総代会であった。

2011年5月21日 (土)

御遠忌

親鸞聖人の御遠忌(大遠忌)が勤まりますね。

真宗三門徒派は今日から3日間です。参照

今日と明日の大逮夜法要は真宗全派の宗務長(21日)宗主猊下(22日)がお見えです。

野村克也氏の講演(21日)池田勇諦師の法話(22日)もあります。

残念ながら私は法務のためお参りできません。お近くですのに。

特に池田勇諦師のお話、是非一度聞いてみたいと思っているのですが、残念です。

池田師の御著書は拝読したことがあるのですが、昨年の暁天講座といい、師のお話はどういう訳か都合がつかず、すれ違いで聞くことができないのが残念です。

仏光寺派・大谷派でも法要が勤まっています。

ご都合のつく方はどうぞお参りください。

そして

6月11日~13日は山元派本山證誠寺の御遠忌です。

よろしくご参詣の程を。

ついでに親鸞なうのツイッターがあるようです。

今後の企画と思われる関連のつぶやきがあります。

これからの記事にどう反映されるのか、面白そうな気がします。

これで「親鸞なう」らしくなったというところでしょうか?

尼講

尼講のおしらせ

5月25日(水) 午後7時より

内容はお勤め(正信偈草四句目下げ 念仏和讃 六首引き) 法話

あとはお茶とお菓子とおしゃべりと

今月は27日ではありませんので、お間違えにならないようにお願いします。

2011年5月20日 (金)

小さな合掌

幼稚園児の姿、それも合掌をする姿には、感動を感じるもの。

よしいけ道さんのブログは、そこのあたりを書いておいでだ。

かわいい手で合掌をしている姿が思い浮かぶ。

2011年5月16日 (月)

生と死に想う 二河白道のたとえ

最近求めた本願寺派勧学の梯實圓先生のCD「生と死に想う」と「二河白道のたとえ」を聞いている。

梯先生の篤実な語り口も心にしみてくるが、今まで何となく知っていたことが、この方のお話で染み渡ってくるような感じ。

広い学識からにじみ出るものなのだろう。

福井で一度お話を拝聴したことがあるが、そのときの感覚がよみがえるようだ。

2011年5月15日 (日)

白衣

私たちは「白衣」(「はくえ」と読みます)を着ることが多い。

ある意味、日常にありふれた「白衣」を着るということにこのような意味があったとは知らなかった。

白衣は死装束なのだそうだ。

言われてみると確かにそうだ。

僧侶の装束が死に関わることは、何となく感じられるけれども、ことばではっきりと突きつけられると、意識がやはり変わる。

この「死」を意識することによって、「生」がより尊いものとなるのです。

白衣を着ることによって生まれる、「今日が最後」という覚悟。
それが悔いなく「今」を生きることにも
家族や友人を慈しむことにもつながります。

(川村妙慶「一度きりの「今」を生きる」)

永六輔さんのお話のなかで、正月に経帷子を着る人や遺書を書く人を紹介していたが、「死」を意識するということで「生」の尊さを意識するという点で通じるところがある。

今日も白衣を着る。

死装束だということを意識しつつ、白衣を着ることにしよう。

2011年5月13日 (金)

お寺?

山元派本山證誠寺での宗祖親鸞聖人750回御遠忌まで、1ヶ月を切っている。

いよいよという感じもするが、他派の御遠忌(または大遠忌)もこの4月5月6月あたりに勤まるところが多い。

大震災への対応を含め、親鸞聖人の御心を伝えるという意味でも、御遠忌が新しい歩みを始める機会となってほしいと思う。

人は寺を求めるのではなく、仏教を求めようとしているのでしょうか。

とドキリとしてしまうようなひと言を川村妙慶さんがブログで。

現代人は死んで行方不明になる人が多い(大嶺 顯)

という、これもドキリとするようなことばもご紹介されている。

親鸞聖人750回忌法要をご縁に
どうか全国のお寺さま!!!!
もう一度 新たな気持ちで
お寺を開いていきましょう。

ご門徒と共につながっていきましょう

それが親鸞さまはじめ、ご先祖さまの本当の喜びではないでしょうか

と結ばれている。

稲場圭信さんからご教示いただいたのだが、稲場さんは宗教の社会貢献の定義を次のようにされている。

「宗教者、宗教団体、あるいは宗教と関連する文化や思想などが、社会の様々な領域における問題の解決に寄与したり、人々の生活の質の維持・向上に寄与したりすること」(『社会貢献する宗教』40頁)

本当はきちんと御著書を拝読してから反応すべきだが、この部分に感じるところが多いので、引用させていただく。

妙慶さんの呼びかけとともに、稲場さんの示された社会貢献の在り方を考え合わせると、お寺はお寺(に住んでいる人)のものじゃなく、お寺に繋がりのある人のものなんだなぁ、と思う。

お寺によって様々な在り方や事情があるのも当然で、お寺の維持も昨今いろいろと問題が多いが、こういうことを忘れてはいけないのだろう。

2011年5月12日 (木)

死とは?

死とは、
死を賭して周りのものを導く、
人生最後の授業。
                藤原新也

いま、おふたりの中陰のお勤めをさせていただいているが、枕経・お通夜・葬儀・中陰の法要と、遺族の方々と接することが多くなる。

死は、親しいものとの別れであり、悲しいものであるが、遺族の方々は、どう受けとめ、その受けとめに僧侶はどのようなことをさせていただけるのだろうか。

藤原新也さんのことばを、たまたま見る機会があり、揺さぶられた。

死の受け止め方はいろいろとあるだろうが、自身の死を通して、周りのものを導く

というあたり、よく確認をしておく必要があるように思う。