Powered by Six Apart

カウンターなど

« 2011年12月 | メイン | 2012年2月 »

2012年1月

2012年1月28日 (土)

お内仏報恩講

雪のため延期を致しましたお内仏の報恩講を次のように致します。

お内仏報恩講

2月5日(日) 10時30分より お内仏間にて

正信偈 御伝鈔拝読

2回延期することとなり、報恩講としては時節が遅くなってしまいました…

どうぞお参りください。

2012年1月26日 (木)

お内仏報恩講

お内仏の報恩講を28日に予定しておりましたが、

しばらく雪が続くようですので、延期させていただきます。

詳細は決まり次第お知らせいたします。

2012年1月23日 (月)

鈴木大拙館

鈴木大拙館を訪れる。
開館100日近くという新しい施設だ。
鈴木大拙館における展示は、単にものを鑑賞する場とせず、来館者が自由かつ自然な心で鈴木大拙と出会うことにより、そこから得た感動や心の変化を、自らの思索に繋げていくことを基本方針としています。
展示空間で配置される書や写真、著作など鈴木大拙を真っ直ぐに伝える芯のある資料から大拙を「知る」ことに始まり、学習空間で鈴木大拙の心や思想を「学ぶ」ことを通し、さらに、思索空間で自ら「考える」ことに至る3つの行動を、施設計画と一体となって展開する構成としています。(展示計画の方針
この館の魅力は、ここに示されているごとく思索空間で自ら「考える」ということを目指しているところだろう。
大拙に関する展示はそれほど多くはないのだが、その展示から何かを伝え聞き、自らこの空間で考えることによって大拙を知る。
そのような空間としてこの間はあると言っていいのではないか。
日曜に訪れたため、それなりに多くの来館者があったが、本来ならば他に来館者がいないときに訪れてみたい場所である。

2012年1月21日 (土)

お内仏報恩講

お内仏の報恩講を諸般の事情から延期しておりましたが、次のように行いたいと存じます。

1月28日(土) 午後7時より 内仏間にて

正信偈のお勤め 御伝鈔拝読 

どうぞお参りください。

2012年1月13日 (金)

心を

心を弘誓の仏地に樹て(こころをぐぜいのぶっちにたて)

(浄土文類聚抄」親鸞聖人)

川村妙慶さんの年賀状にこの言葉があり、先日この言葉に関するお話をお聴きする機会があった。

心というのは大切なものだが、実に頼りない面を持っている。

その時と場合によって、あっちに転がりこっちに転がるというのが、心の実態なのかもしれない。

人間の心とは、これほど心許ない、フラフラと動くものなのだが、阿弥陀様のお誓い(弘誓)は、実にしっかりとした定まったものである。

そのような仏地に心を樹立しよう。

煩悩具足のフラフラと心が動く私であるけれど、阿弥陀様のお誓いを大地として、しっかりと足元を固め心を定めよう。

そういうことをできているのだろうかと、自分の身を振り返った次第。

2012年1月11日 (水)

新刊案内

川村妙慶さんの新刊が今月下旬に出るそうです。

「もしもあなたが、あと1ねんのいのちだとしたら」

川村 妙慶 PHP研究所

1,300円+税

楽しみです。

2012年1月 9日 (月)

お内仏報恩講の日程

例年この時期にお内仏の報恩講をしております。

今年は諸般の事情により、少し時期を後にさせていただきます。

日時が決まりましたら、またお知らせいたしますので、よろしくお願いいたします。

2012年1月 4日 (水)

お鏡

今日は鏡餅と「證誠」をお分けいたしました。

村国周辺は年番さん、その他の地域を私が配りました。

越前市や福井市のお同行の元に届けるのですが、ほぼ一日がかり。

ラジオでかがみには二つの字があると。

一つは鏡。うつす道具のこと。

もうひとつは鑑。これは手本といった意味。

「経教は鏡なり」という善導大師のおことばがありますが、お経が私たちの有り様をうつすと行ったところでしょうか。

お経は手本と言うよりは私たちの有り様を知らしめてくれる鏡なのでしょう。

かあちゃんしぐのいやだ

地元のケーブルテレビを見ていると「かあちゃんしぐのいやだ」という映画が掛かっていた。

題名には何となく覚えがあるのだが、地元武生を舞台にしており、原作者は武生(越前市)在住の人なのだという。

武生西小学校(実際は武生第二中学)や武生の町並み(道の真ん中に水路があった)がふんだんに出てくるし、有馬稲子が福井弁を喋っている。

今から五〇年ほど前の映画で、その頃の記憶が私に定かにあるわけではないが、やたらと懐かしい気分になる。

丁寧なことに映画終了後は解説2人とレポーターが武生の町をめぐり、昔の武生の町を紹介する番組まである。(解説のお一人は高校時代の世界史の先生であった)

三年前、父と一緒にきたお寺で葬式をした。「とうちゃんが死んでも淋しくない……とうちゃんはいつでもぼくらのからだの中に住んでいるんだ」--良行は兄と一緒に母を助けて元気に生きぬく決心をした。(goo映画 解説あらすじ より)

映画の最後に近いシーンだけれど、お坊さんが読経し、家族3人がお参りしているところが出てくる。

亡くなった方が残った方の中に生き続けるという言い方は、ある意味よく使われる言い方かもしれない。

真宗では還相の回向(げんそうのえこう)という親鸞聖人がよくおつかいになったことばを思い浮かべる。

還はまた戻ってくるといった意味。

亡くなった方は、お浄土に生まれる(往相の回向)のだが、お浄土に行きっぱなしというわけでもない。仏として我々衆生を教え導くというお働きがある。(還相の回向)

よく亡くなった後「安らかにお眠りください」と言われるが、真宗では亡くなった方は安らかに眠るのではなく、衆生を教え導くという大切なお働きをされるということになる。

「体の中にいきている」かどうかは別として、仏としての働きにお遇いしている私たちは、決して亡くなった方と永遠の別れをしてしまったわけではない。

むしろ、おそばにおいでになり、私たちを導いてくださる存在となっているのだと思う。

2012年1月 2日 (月)

四か寺の御年頭

本日午前中は村国の真宗四か寺の御年頭まわりでした。

村国やその周辺のお家をまわり、御年頭のご挨拶をするのですが、多くの方とご挨拶をかわさせていただきました。

去年はヒザが悪かったので、不参加でしたので、久しぶりの参加です。

皆様本年もよろしくお願いいたします。