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カウンターなど

2018年11月 4日 (日)

報恩講・秋季永代経

昨日11月3日(土)報恩講が勤まりました。

多くのお参りの方々、御法中の方々、用意をしていただいた年番の方々

皆様のおかげでの報恩講です。

次の行事は秋季永代経 11月23日(金)です。

どうぞお参りください。

2018年11月 1日 (木)

報恩講が近くなって参りました。

どうぞ皆様、お参りください。

http://shinshuhouwa.info/article/index.php?id=36101

先日、報恩講にお参りさせていただいたお寺。

そこでのある方の説教を聞きたくて、

飛び込みのようにお参りさせていただきました。

丁寧なお手紙をいただきました。

日頃の熱心な御法耕ぶりがうかがえ、

こちらも身が引き締まる思いです。

また、本山證誠寺の報恩講も勤まります。

真宗教団連合のHPです。

真宗10派本山報恩講法要巡りスタンプラリーも企画されています。

2018年10月30日 (火)

報恩講のことなど

まず、先日の尼講では御伝鈔より、親鸞聖人が法然上人の御信心と親鸞の御信心とは変わるものがないとおっしゃったことを紹介させていただきました。

「如来より賜りたる信心」とも申しますが、真宗の御信心は阿弥陀様の御信心だと。

私のはからい捨てて ただ恃む 弥陀の本願 という歌もございます。

11月3日(土)は報恩講です。どうぞお参りください。

報恩講

11月3日(土) 逮夜 午後3時 御斎

       初夜 午後7時 御伝鈔拝読

説教 英月師

御講師紹介 英月(佐竹英里子)師
真宗佛光寺派長谷山北ノ院大行寺住職。
銀行員生活を経て2001年に渡米。ラジオパーソナリティを務める他、テレビCM、ラジオCMなどに出演。また「サンフランシスコ写経の会」を主催する。
2010年、実家の寺の跡継ぎとなるため帰国。大行寺で始めた「写経の会」「法話会」には、全国から多くの参拝者が集まる。
講演会や寺院向け講習会の講師を務めるほか、テレビで芸能人の悩みに答えるなど、その活動は多岐にわたる。『毎日新聞』で「英月の極楽シネマ」連載中。新刊『そのお悩み、親鸞さんが解決してくれます 英月流「和讃」のススメ』(春秋社)『あなたがあなたのままで輝くための ほんの少しの心がけ』(日経BP社)ほか
当日御著書をお持ちいただけるそうです。

2018年10月27日 (土)

尼講

当日のお知らせとなってしまいましたが、尼講です。

尼講 10月27日(土) 午後3時より

正信偈のお勤め 法話

2018年10月14日 (日)

尼講および報恩講のご案内

秋も深まって参りました。

仏様と遇うのにも良い季節かと思います。

正善寺の尼講ですが、10月27日(土)午後3時より行います。

正善寺報恩講は11月3日(土) 逮夜午後3時 初夜午後7時

正善寺永代経は11月23日(金) 日中午前10時 逮夜午後3時

どうぞお参りください。

2018年9月24日 (月)

彼岸会

お知らせが当日となってしまいました。

9月24日(月)正善寺では彼岸会を勤めます。

お待ちしております。

正善寺彼岸会

9月24日(月) 午前10時より

2018年8月26日 (日)

尼講

当日のお知らせとなりました。

尼講

8月26日(日) 午後4時より

暑さに配慮し、通例より遅くはじめます。

お間違えないよう。

2018年8月15日 (水)

お盆3

昨日読経で声が出にくくなったのですが、その状態は今日も相変わらず。

いや、少しひどくなったかもしれません。

がらがら声、音程不安定、時折声が出ないという中で読経となりました。

お聞き苦しく、今日寄せていただいたお家には大変失礼をいたしました。

そうではありながら、お心遣いをありがとうございます。

正善寺からのお知らせ

尼講

8月26日(日) 午後4時より

(暑さを考慮し、いつもより1時間遅くしています。お間違えないように) 

2018年8月14日 (火)

お盆2

正善寺の墓参会盂蘭盆会・ご本山の墓参会・永代経を終えて、

少し気が楽になったのか、軽く風邪気味になっていました。

なんとなくだるく、声が出しにくいと思っておりましたが、

本日最後のお盆の読経をしていたところで、声が出づらくなりました。

明日は、一年の中で、一番多くのお家に出向き、読経する日。

少しく不安もありますが、養生して、なんとか乗り切りたいと。

正善寺からのお知らせ

尼講

8月26日(日) 午後4時より

(暑さを考慮し、いつもより1時間遅くしています。お間違えないように) 

2018年8月13日 (月)

お盆

今日からお盆(盂蘭盆)となります。

もともとは旧暦の7月15日を中心として(13日から16日)盂蘭盆としていますが、

①新暦の7月15日を中心にお盆としているところ(新盆)、

②新暦の8月15日を中心としてお盆としているところ(旧盆)、

③旧暦の7月25日(今年は8月25日)を中心としてお盆をしているところ、

いろいろとあるようですが、このあたりでは、旧盆がおおいようです。

正善寺でも先日(8月7日)墓参会とともに盂蘭盆会を勤めさせていただきました。

旧盆期間中は、お盆の読経を頼まれるお家で読経させていただきます。

すでに法会を勤めておりますので、お寺ではお墓参りに来られる方がそれぞれに、お参りをしていただいています。

ではお盆とは?

サンスクリット語 ullambana音写。単にともいう。仏教行事の一つ。餓鬼道などにおちて倒懸 (さかさまにつるされること) の苦しみを受けている亡者のために仏事を行なって,その苦しみを取除くこと。仏弟子目連が,餓鬼道におちた母の苦しみを除こうとして僧たちを供養したという『盂蘭盆経』の伝説に基づく。日本では,推古 14 (606) 年にを設けたのが始りとされるが,本格的には斉明3 (657) 年とされる。もとは,宮中の正式の行事として,中国から伝えられたものであるが,鎌倉時代になると,鎌倉幕府がこれを行い,一方,寺院では施餓鬼をあわせ行うようになった。こうして,蘭盆の行事が,民間の祖霊信仰と結合して現在のようになったのは,江戸時代とされている。しかし,『盂蘭盆経』の成立,盂蘭盆の原義,日本への伝播と変遷などに関してははっきりしない点があり,異説が多い。

(ブリタニカ国際大百科事典)

最近では「倒懸」(逆さづり)ではなく、盂蘭は「ご飯」で、僧侶に対する供養をするのだともされているようです。

目連尊者のお話からすると、この新しい説の方が、正しいようにも思われます。

真宗では、少し違う受け止め方をしています。

先日出した寺報では、次のように説明してあります。

盂蘭盆について

お盆の法会は「盂蘭盆会」といわれます。「盂蘭盆経」のお話が、その由来だといわれています。それはこのようなお話です。

 ある時、神通(じんずう)第(だい)一(いち)の仏弟子・目連尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼道(がきどう)に堕ちていた母親を神通力で見つけました。
 なんとか母親を救おうとしますが、母親に食べ物を差し出すと、みんな炎となってしまいます。救うどころか、逆に母を苦しめてしまいます。

 そこでお釈迦さまに救いを請いますと、七月十五日(旧暦)、雨期の安居(あんご)(勉強会)を終えた後、修行をしていた僧侶たちに、飲食物の供養をするように言われました。これを実行したところ、餓鬼道で苦しむ母親を救うことができたのです。

 《この説法は、何を表しているのでしょうか?》

 ここで大事な点は、修行して神通力を得た目連ほどのお方でも、餓鬼道の母に食べ物を施すことも、餓鬼道から救うこともできなかったということです。
 お釈迦様がおっしゃるとおり、修行僧たちに供養することで、救われたということです。

 供養とは、三宝(さんぽう)〔仏、法、僧〕への敬いの心を形で、表すことです。

 母が救われたのは、目連が三宝に供養する姿を通して、母がはじめて三宝の貴さに気づいたからです。

 このお話は、三宝こそ帰依(きえ)すべきものであるという仏、法、僧の三宝の尊厳性を示しています。(「三帰依文(さんきえもん)」をご覧ください。 「同朋勤行集」p1)
 また、目連尊者でさえ母親を救うことができなかったということは、結局、物では人は救えないということも示しています。
 物では人は救えないとは、どういうことでしょうか。
 人の心を開き、心境を転換させるのは、物ではなくて、仏の説かれた法(真理)だということです。
 法に帰依し、真実の道理に心開かれたとき、はじめて我欲(がよく)に翻弄される餓鬼でなくなります。
 そこで、救われたというのです。
 この点が欠落すると、仏教でなくなってしまいます。
 お経に説かれた内容の表面だけをとらえ、しかも餓鬼を怨霊とみなし、それを救うために供物を施せばいいと考えますと、仏教とは関係ない怨霊信仰としての「施餓鬼(せがき)」になってしまいます。
 一般的なお盆といえば、精霊の送り迎えなど、ほとんどが霊祭りの形態をとっています。

 浄土真宗のお盆は、一般の先祖供養とは違うのです。

 浄土真宗の み教えに生きた人びと(ご先祖)は、お盆の時だけ帰ってきて子孫の供養をうけるのではありません。
 ご先祖は、阿弥陀如来の本願力によって、さとりの世界であるお浄土に生まれ、常に私たちを見護り導いてくださっています。(往相の回向・還相の回向)
 亡くなった方も、私たちも、みんな阿弥陀様のお浄土で共に生きているのです。(お浄土は「倶会一処」の世界です。)
 生と死を包んで一切を照らしてくださる阿弥陀様を念ずることを通して、はじめて私たちは亡くなった人達との共通の場(=「倶会一処」)が与えられていることに気がつきます。
 そういうこの世を超えた領域の確認ができるのが、お念仏の世界です。
 先祖との本当の心の交流は、阿弥陀様を介さないとできません。

 亡くなった方と阿弥陀様を介してお遇(あ)いするとき、はじめて愛と憎しみを超えた本当の遇い方ができるのです。

お盆にはお墓に参ってご先祖様に感謝の意を表すことはもちろんですが、阿弥陀様の存在を忘れてはなりません。

どうぞ、お墓だけでなく、ご本尊の阿弥陀様にも手を合わせてください。