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2013年8月14日 (水)

本覚寺お御堂コンサート

転載ですが,今日、こういう催しが山元派のお寺であります。

2013年8月14日 福井県福井市 本覚寺お御堂コンサート
本覚寺お御堂コンサート
開演 19:00

第1部 小馬崎達也&パンゲア
小馬崎達也(ギター、久乗編鐘)、仲林利恵 (篠笛、能管、箏・十三弦、十七弦)、
    吉口克彰 (琉水鉦、percussion)、佐藤美穂 (Contorabass)、手塚正人 (Bass guitar)

第2部  金剛督(Sax)、林あけみ(Pf)、ニール・ストルネーカー(Tp)、
    角田隆太(Bass)、角田健(Dr)、吉田沙良(Vo)、 香高みゆき(Sax)、柾本征也(Pf)

    問合せ:本覚寺(浄土真宗山元派)
    〒910ー3645 福井県福井市笹谷町64-27
TEL 0776(98)3140

興味のある方、ご都合のつく方はどうぞ。

2013年7月26日 (金)

やなせななさん お寺コンサート

やなせななさんのお寺コンサートを開催いたします。

8月7日午後1時開場 午後1時半開演
引き続いて午後3時より墓参会・盂蘭盆会を行います。
どうぞおいでください。


Photo


やなせななプロフィール●
シンガーソングライター。
浄土真宗本願寺派・教恩寺第六世住職(法名・釈妙華)。


1975年 奈良県の寺院に生まれる。
1999年 龍谷大学文学部真宗学科卒。
2004年5月 シングル『帰ろう。』でデビュー。
その後4枚のシングルと、4枚のアルバム、自伝エッセイを発売し、FMラジオのDJや、エッセイスト、ニュース番組のコメンテーターとしても活躍する。


30歳で子宮体ガンを克服した経験と、僧侶という視点から、生命を題材とした歌を数多く制作。やわらかくも芯のある歌声が持ち味。「大人のための癒しの音楽」は、中高年を中心とした幅広い層から確かな支持を獲得している。

宗派を越えた仏教系寺院でのコンサート&トーク“歌う尼さん”は、感動の涙を流す観客の口コミによって全国に広がり、のべ250回を越える公演を成功させている。昨今ではその地道な活動が注目され、2011年3月には日本テレビNNNドキュメント’11「歌う尼さん~がん闘病から奏でる命」として、2012年9月にはNHK Eテレ「グランジュテ」にて全国に放映され、大きな反響を呼んだ。その活躍が認められ、母校・龍谷大学校友会より龍谷奨励賞を授与されている。
【やなせななオフィシャルサイト】
http://www.yanasenana.net/

2012年12月 4日 (火)

灯り

三浦明利「灯り」ニューアルバム

インディーズの頃からのCDを聴かせていただいているが、このCDは、三浦明利さんの新境地を見る思いがする。

伸びやかな歌声、何ともいえない艶があり、その上、今までにない余裕も手に入れたように私にはきこえる。

大人の三浦明利を聴くといってよいだろう。(もしかしたら、失礼?そうであったら失礼の段ご寛恕を)

耳慣れた楽曲も新鮮である。

「恩徳讃」は、アップテンポの今まで慣れ親しんだ歌がこのようになるのかといった新鮮さが感じられる。

「あかりの法話」も味わい深いところ。

親しみのある「ありがとう」「花束レクイエム」は、以前とはまた違った顔を見せて新鮮である。

一枚ゲットすべき と思います。

2012年8月15日 (水)

御堂JAZZコンサート2012(live)

本覚寺さんの「御堂JAZZコンサート2012」にお邪魔する。

本山證誠寺では確か2回金剛さんたちの演奏を聴いているが、本覚寺さんは、ある意味ホームグランドといっていいのかもしれない。(本覚寺さんでは初めて聴かせていただく。)

今回で11回目なのだという。

お寺の行事として根付いているという感じがある。

演奏はさすがだが、それにもましてオーディエンスが適度に気楽な感じで楽しんでいるのが、興味を引いた。

JAZZというと、少し難しい感じがするかもしれないが、朝ドラや往年のヒット曲もプログラムに入っており、親しみを持って聞くことができた。

お寺というと、堅苦しいイメージがあるが、そういうものとはまた違った文化を楽しむ・文化を発信するという場としてもお寺はあったのだと思う。

お寺の一つの在り方を見せていただいたような気がする。

オーディエンスがスイングしながら耳を傾けるのを目にしつつ、「いいなあ」と思う。

『本覚寺最高』との声もオーディエンスよりかかっていた。

2012年8月 5日 (日)

御堂JAZZコンサート2012

山元派本覚寺さんから御堂JAZZコンサート2012の御案内をいただきました。

御堂JAZZコンサート2012

8月14日(火)午後7時00分 

主催・会場

     紫光山本覚寺 福井市笹谷町64-27 TEL0776-98-3140

演奏者 金剛督(サックス・リーダー)

      林あけみ(ピアノ)

      ロニール・ストロネーカー(トランペット)

      岡村タカオ(ドラム)

金剛さんはご住職のいとこ。本山證誠寺の宗祖親鸞聖人750回御遠忌でも、ご出演いただいた方です。(金剛さんのHP

Photo

こちらも迫ってまいりました。どうぞお参りください。

8月7日(火) 午後3時より

親鸞聖人750回御遠忌 盂蘭盆会 墓参会

説教 真宗佛光寺派布教使 佐竹英里子(英月)師

英月さんの関連記事が、杉本さんによって「彼岸寺」に掲載されました。

「女子的仏道」ってどういう感じになるんだろう?(←こちらをクリック)

2012年3月14日 (水)

被災地からのありがとう

高橋久子さん作詞・三浦明利さん作曲・三浦明利さん歌の『被災地からのありがとう』(CD)が今日届く。

東日本大震災から一年

慣れ親しんだ景色より姿を変えてしまった被災地から

ありがとうが芽生えた           

CDのジャケットのことば。

高橋さんは宮城県名取市で被災された。

その思いを三浦さんが美しい歌にされた。

三浦さんの歌声で、被災地からのありがとうが広く伝わって欲しいと思う。

2011年9月 8日 (木)

JAZZ

8月5日で紹介いたしました「2001本覚寺御堂JAZZコンサート ~打楽器3人の共演~」

私はお参り疲れから本覚寺さんへは行けませんでしたが、そのときの模様の一部が金剛さんのブログで見ることができます。(本覚寺さんからお教えいただきました。)

興味のある方は、ぜひ。

取り急ぎ14日福井県本覚寺ライブの様子をUP! ←ここをクリック!(動画)

本覚寺ライブの記事と写真。 ←ここをクリック!(記事と写真)

写真をお撮りになった方はプロの方だそうで、いい写真です。

動画では、演奏の一部が楽しめます。

2011年5月22日 (日)

三浦明利さん

ある講演でお世話になった三浦明利さんのメジャーデビューが決まったのだそうです。

詳しくはこちらで

住職をし、事務所にも所属せずにメジャーリリースが実現することは異例のデビューと言えます。
私の住職としての役割と音楽とをご理解くださる方々のおかげです。

とのコメントがあります。

ご本人の努力があったことはもちろんのことなのですが、こういう感謝のことばになんだか仏さまの思し召しを感じます。

音楽で仏さまの教えをお伝えしていただきたいと思います。

予約されたい方はこちら

2010年12月23日 (木)

お坊さんに憧れてお寺に入ったの

以前京都の本屋でCDを見つけた。

東本願寺の近くで、近所の仏具屋さんや本屋さんにはライブのポスターが。

鈴木君代+天白真央という名前がすり込まれていたのか、本屋でCDを見つけたときには、いつの間にか手に取っていた。「いのちのうた」

この方たちのことは、この時初めて知ったのだが、三浦明利さんややなせななさんのお歌に最近親しみを持っているので、興味が非常に沸いた。

鈴木さんは東本願寺にお勤めだとか。

お寺でのコンサートやライブで活躍していらっしゃるということ。

「私と小鳥とすずと」は、たくさんの人が歌っている金子みすゞさんの詞。

新垣勉さんの重厚で美しい歌とはまた違って、軽やかで親しみの持てる歌になっている。

ご自身たちの手で曲をつけられているようだ。

「お坊さんに憧れてお寺に入ったの」は、「君ちゃんしか歌えないといわれる自己紹介ソング」(ライナーノーツ)なのだそうだ。

歌詞にもあるように「みんなになんでやって聞かれたけれど お坊さんにあこがれてお寺に入ったの」ということだという。

お坊さんがカッコイイと言われると、自分のことかと思って嬉しくなってしまうが、やっぱり「変なやつ」と一般的には思われるのだろう。

でも、カッコイイ?と思ってお坊さんをやるのはすてきなことだと思う。

なんだか、元気づけられる歌である。

三浦さんの「しんらんさま」の歌唱には、いままで聞いた「しんらんさま」とはまるで別の次元の美しさを感じたが、御和讃や歌で何か今までとは違う形で真宗のおしえをつたえられるのではないかな・・・という気持ちがわいてくる。

2010年10月 9日 (土)

チェリッシュ

前にも「ありがとう」で触れた三浦明利さんのファーストアルバム「チェリッシュ」を聞いている。(CDでは「三浦あかり」と表記)

初期の作品ということで、あまり宗教性はないというふうに聞いているが、たしかに「ありがとう」や「en」(「2007全国真宗青年の集い 本願寺大会」 テーマソング ここから)のようなあらわに浄土真宗の教えを伝えるというものではないようだ。

若い女性らしい感性に満ちた歌詞なのだが、メッセージ性もあり、面白い。

そのなかから、ちょっと紹介。

有罪も無罪も 戦争も平和も

全部抱え込むのが私たちだけど

同じになれるなら

願いはひとつ

確かに此処にある この心のここにある

願いはひとつ

世界中がひとつになること

パラダイムもモラルも 理想も矛盾も

全部抱え込むのが私たちだけど

同じになれるなら

(「願い」より)

この「願い」は歌詞からは一般的に「世界中が一つになること」なのだろう。

往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。このほかは別の御はからひあるべしとはおぼえず候ふ。(「親鸞聖人御消息」より)

この親鸞聖人の言葉をあわせると、人それぞれのご信心のありようによって、お念仏を基礎として「世のなか」の「安穏」が願われることがわかってくるだろう。

いろいろな存在としての私(複数)がお念仏を申すところに、「願い」は生まれてくるのかもしれない。

先日、ある方のお話を聴いて、御信心の中心はやはり仏さま(阿弥陀如来)であると再確認したが、いろいろな存在としての私たちが仏さまを中心につながっていくことが、「願い」なのだと、この歌を受け取ってみたいと思っている次第。