新たな坊守像 寺の役割(3)
これもずいぶん前の『親鸞なう』フォローですね。
「新たな坊守像」
まず坊守とは何か?
坊守とは本来、寺の番をする人のことを言うが、浄土真宗では古くから妻帯が認められていたこともあり、住職の妻のことをこう呼んできた。
一般的には、お寺の奥さん、という感じだろう。
ここには、住職は外に出て、坊守はうちで寺を守るものという意識が伺える。
古い男女の役割意識からすると、ある意味当然の意識なのだろうが、外へという意識を女性が持つのは、時代の要請と言ってよいだろう。
大谷派では2008年に寺院教会条例を改正し、坊守の呼び名を女性住職の夫にも適用することにした。また、教えを広めることに坊守が主体的にかかわるようにも定めた。男性中心だった寺院運営に男女共同参画の流れが広がっている。
大谷派の条例改正のことは詳しくは知らないが、大派には実際、女性が住職・男性が坊守、というお寺が何軒かあるのだそうだ。
これを聞いたときには、自分の古い男女意識をちょっとさぶられた。お寺にもジェンダーがあったのですね。(体質的に、古いですからね…)
お西の大遠忌には、法要の出仕が全員女性僧侶という日があったようだ。
女性僧侶と聞くだけで、意外な感じを持つ人がまだまだ多いと思うが、活躍の場をどんどん広げている、と何となく感じている。
(今は坊守の話ですね。でも、坊守さんで僧侶資格を持っている人はけっこう多いのです。)
「門徒さんに何か尋ねられたとき、『住職に聞かないと分かりません』では坊守失格」と若手坊守に諭す織田紀江さん。
「住職に聞かないと分かりません」ということばは、よく使われるが、よく考えると恐ろしいことばなのかもしれない。
坊守の意識のありようが如実に表れ、寺との関わり方があらわになっている。
◎何でもあす19日から「親鸞なう」が、新シリーズとして掲載されるようです。
コメント