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2009年6月26日 (金)

14歳からの社会学 〈生〉と〈死〉

宮台真司さんの『14歳の社会学』を少し読みましたが、この本に「〈生〉と〈死〉」という一章があり、とても考えさせられました。

この章は、社会学という学問についてというよりは、宮台さんの実体験に基づいて〈生〉と〈死〉について考えられているような印象を受けます。今をときめく社会学者のなまの声を聞くような気持ちになりました。

「死があるから自分はここにいる」という認識の仕方は、なんだか、頭を棒で殴られたような、刺激を受けました。

「死を受け入れて自分を受け入れる」 私たちは多くの死を受け入れていかなければ行けません。死を受け入れる(自分の死も含めて)ことは、ある意味で、新しい出会いなのでしょうね。

宮台さんはこう言います。

 実は、死を受け入れないということは、自分の存在を受け入れないということだ。

「〈世界〉の中で直接たたずむ死に方」 私たちは、普段社会に軸足を置いて、社会に「承認」されることが必要です。しかし、死は社会的なものであるだけでなく、「名前を持たない存在として死ぬことを受け入れる」ところに安らかさがあると宮台さんは言います。

とりとめのない書き方になりますが、〈死〉は〈生〉のゴールであり、生きているうちに死を見つめることは、生を見つめることになると思います。

蓮如上人は「後生の一大事を心に掛けて念仏申すべき」といわれましたが、お念仏は死すべき身である私にとって、死を見つめる上で欠くことのできないものなのかもしれません。

14歳でなくとも、この本は手にとって、社会を見つめ直すのには良い本だと思います。

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