仏はつねにいませども
かなり以前に書いたものですが、読み返してみて、読んでいただける人があれば、という気持ちになりましたので、載せてみたいと思います。「福井新聞」の「心のしおり」に掲載されたものです。
仏は常にいませども
仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあわれなる 人の音せぬあかつきに ほのかに夢に見えたもう (『梁塵秘抄』)
『梁塵秘抄』は後白河法皇の手で編集された「今様」(当時の流行歌謡)の歌詞集です。
この歌詞も、当時の人々に広く口ずさまれたことでしょう。
当時は多くの人が身近に仏さまを感じてたように思われます。
阿弥陀如来はお働きの仏さまです。
お働きは私たちの目には見えません。
私たちが「仏さまを拝む」という時、仏像や絵像に向かって拝む姿を思い浮かべます。
私たちは、拝むときに目に見える対象がないと拝む方向に迷ってしまいます。
ですから「方便」として仏さまのお姿を写した絵像や仏像を拝みます。
しかし、仏さまは「常においでになるが、現実に見えないのが感慨深い」のです。
仏さまのお働きにみちみちているこの世界。
しかし、私たちが目に見えないものを信じなければ、「今様」を口ずさんだ古人(こじん)のように仏さまのお働きに感動することは難しいでしょう。
仏さまに手を合わせ、そのお働きを思っていただきたいものです。
新聞掲載のときとは、表記を改めたところがあります。
自分でも久しぶりに読んでみたのですが、皆様に何かしら伝えられるところがあれば、ありがたいと存じます。
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