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2009年10月 4日 (日)

仏はつねにいませども

かなり以前に書いたものですが、読み返してみて、読んでいただける人があれば、という気持ちになりましたので、載せてみたいと思います。「福井新聞」の「心のしおり」に掲載されたものです。

仏は常にいませども

 仏は常にいませども

 現(うつつ)ならぬぞあわれなる

 人の音せぬあかつきに

 ほのかに夢に見えたもう     (『梁塵秘抄』)

  『梁塵秘抄』は後白河法皇の手で編集された「今様」(当時の流行歌謡)の歌詞集です。

この歌詞も、当時の人々に広く口ずさまれたことでしょう。

当時は多くの人が身近に仏さまを感じてたように思われます。  

阿弥陀如来はお働きの仏さまです。

お働きは私たちの目には見えません。

私たちが「仏さまを拝む」という時、仏像や絵像に向かって拝む姿を思い浮かべます。

私たちは、拝むときに目に見える対象がないと拝む方向に迷ってしまいます。

ですから「方便」として仏さまのお姿を写した絵像や仏像を拝みます。

しかし、仏さまは「常においでになるが、現実に見えないのが感慨深い」のです。

仏さまのお働きにみちみちているこの世界。

しかし、私たちが目に見えないものを信じなければ、「今様」を口ずさんだ古人(こじん)のように仏さまのお働きに感動することは難しいでしょう。

仏さまに手を合わせ、そのお働きを思っていただきたいものです。

新聞掲載のときとは、表記を改めたところがあります。

自分でも久しぶりに読んでみたのですが、皆様に何かしら伝えられるところがあれば、ありがたいと存じます。

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