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2011年4月20日 (水)

親鸞なう 大震災宗教の使命

「福井新聞」の「親鸞なう」は、「大震災宗教の使命」となって掲載を再開。

大震災がなかったならば、各派で勤められている御遠忌法要を取り上げていたのだろうが、未曾有の大震災によって、宗教の在り方が揺さぶられていることのあらわれなのだろう。

(1)死者を弔う

本願寺派の仙台別院での活動については、「親鸞なう」以外にも報道があり、ある程度のことは知っていた。

詳しいレポートは僧侶が震災にどういう風に向き合っているのか、よくわかるようにつたえてくれる

僧侶の言葉も、宗教者がいかに震災に向き合うか、いろいろと示唆を与えてくれるようだ。

ランダムに抜き出そう。

「誕生するときを選べないように、命の終わりも選べない。見ず知らずの方だが、阿弥陀様の願いを平等に届けていくのが僧侶の使命だと思う」。(磯山霊秀さん)

「何の助けになっているのか分からない。遺族の深い悲しみを受け止められない感覚に襲われる」(加藤泰和さん)

「悲しみの現場から宗教者が逃げているようでは、この世に宗教は必要なのかということになってしまう。答えが出るのは後になるかもしれない。ただ、目を背けてはいけないとだけは思っている」(加藤泰和さん)

突然の不如意の死が被災地にはあふれている。

僧侶も、戸惑いながらその死に向き合っている。

死に向き合い、寄り添うことから宗教者の使命が、少し見えてくるように思う。

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