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2011年7月12日 (火)

教え広めた蓮如(3) 最終章「教えと生きる」

福井と真宗を語るとき、蓮如さんを抜きには語れないだろう。

山元派の教勢も、蓮如さんの存在は大きな影響を受けたところもあるので、手放しの蓮如賛美は受け入れがたいところもあるのだが、それを差し引いても、蓮如さんの存在は大きい。

主に池田勇諦さんの考えを中心にこの回の「親鸞なう」(「教え広めた蓮如(3)」)は進む。

心に残った池田勇諦さんのお言葉。

「永遠の生に目覚めると、過去を包み未来を含む永遠の『今』をいただく。その『今』が救われることこそ来世の救いになる。無常である現世の諸問題は、永遠である後生という異質なものとの出合いでのみ解決できることを導いた」

「われわれの日常感覚では、命より大切なものがあってたまるか、となるがそうではない。むしろそれほどの命であればこそ、真に生き生きとさせるものに出合わねばならない。その智恵を開くのが阿弥陀仏。だから命より大切なものになる。後生の一大事とは、自分の考えや判断のものさしを疑い問い直す意識転換のことでもある」

「今、人々は自分のものさしを疑うということをしない。折しも、今回の大震災がもたらした状況の一端は、自我中心・人間中心主義の傲慢(ごうまん)さが至らしめたと言えないか。いま一度、教えの受け取り直しをしなければ」

東派西派が、蓮如さんを仰ぐのは当然のことだろうが、蓮如さんは、今を生きる私にも問いかけてくださっている。

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