« 県内4宗主の思い(7) 最終章「教えと生きる」 | メイン | 東別院暁の講座 »

2011年7月22日 (金)

生き方こそ(8) 最終章「教えと生きる」

福井新聞ではだいぶ前に最終回を向かえていた「親鸞なう」ですが、こちらではまだ続きます。(遅いね。)

生き方こそ(8) 

山折哲雄氏と池田勇諦師のことばを中心に構成されている。

山折氏はこう語る。

「現在の真宗教団は出家主義のようにも映る。信者からお金を集め、伽藍(がらん)を立派にし、豪華な袈裟(けさ)を着て仏事を営む」。親鸞は、当時公には認められていなかった肉食妻帯を行い、人々と同じ目線で信心を説いた。「この出発点を思い起こしてほしい。僧侶はどんな場面でも墨染めの衣を着るようなライフスタイルでよいはずだ」と訴える。「破戒僧や無戒僧が多くなる末法の時代にあって、あえて師の法然と違った道を行くと決意した親鸞の生き方はすごい」。

「師の法然と違った道」というのは、非僧非俗の立場のことを言うのであるが、清僧といわれた法然上人とはたしかに違う道であろう。この評価はいろいろあるのだろうが、他力の信心の徹底した姿といって良いのではないかと思う。

出家主義か否かはにわかに判断はできないが、親鸞聖人の在り方と若干の乖離があることは認めなければならないだろう。

とすれば、山折氏の発言は、肝に銘じておくべきだと思う。

人間にとって根源的な悪とは何か? それを乗り越えるためにどんなことが必要か? 道徳的退廃の現代において親鸞の『悪』の思想は、それらにこたえるものだ

現代の世相からこのことを導いておられるのだが、「悪」は、重要な問題なのだと思う。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.mitelog.jp/t/trackback/401500/26818238

生き方こそ(8) 最終章「教えと生きる」を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Powered by Six Apart

カウンターなど