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2012年3月11日 (日)

他のいのちの 結集の 塊が 私のからだ

震災から1年になります。

追悼の催しも多いようです。

何ができるわけでもないのですが、詩を紹介したいと思います。

欲望の記憶


2011年3月11日

東日本大震災

海面から 陸地へ 乗り上げ 暴走する 津波


家 樹木 動物 植物

車たちは ミニカーのように 軽々浮いて

ぶつかって 押しつぶされて 砕け

混ざり 遭って 流される

その中には 人の いのちも

(中略)

他のいのちの 結集の 塊が 私のからだ

生きるための 欲望が 記憶された 私のからだ

私を 生かすための 応援 真実の願いが


私のからだに 記憶 されている


その 呼び声が 

折り重なって 聞こえて 来る 繰る


呼び声を 感じつつ 歩き続ける 

欲望の 道を

息が 止まるまで

欲望の 記憶へと

よしいけ道さんのブログ「詩の散歩道」に掲載されている詩です。

全部引用するのは差し控えますので、よしいけ道さんのブログ(リンクが貼られています)でご確認ください。

大震災の悲惨さ・凄惨さは何度も報道され、語り尽くされていると言ってもいいかもしれません。

しかし、被災された方一人一人の体験や思いはその人固有のものであるのでしょう。

しかし、そちらの方面へのアプローチはいろいろなところからされているようにも見えます。

そこを「私」に振り向けているところにこの詩のすばらしさがあるように思います。

「私の欲望」「私のからだ」といったものへの転換がこの詩のいのちなのかもしれません。

そこから「真実の願い」に願われている私に気づき、呼び声を感じる。

かといって、欲望から離れることはできない私。

その私として生き続けていく凡夫の身である。

この場合「真実の願い」と欲望とは、不即不離のものなのでしょう。

震災の記憶とは、まさしく「私」の記憶として呼び起こされるべきものなのでしょう。

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