殯の森を観る
昨日は長慶寺さんで「殯の森」を観る。
実はこの映画、釈徹宗先生が丸岡の講演でいい映画だとご紹介され、映画を観ていなかった私がこの機会に観てみたいとリクエストしたもの。
いろいろな見方のできる映画であり、参加者も最初は実際の介護に携わる方、僧侶のかたもおり、プロの目から見て、突っ込むという展開であったが、そのうち物語のファンタジー性や民俗学的解釈にまで話が及ぶ。
この映画は、一言で言えば,葬送の物語であり、特に送る側の物語であるといってよいだろう。
死者を悼み、死を受け入れるためには、本来ならある一定の時間の長さと、受け入れる人が、迷うという過程が必要なのではないか。
現代の葬儀は非常に簡略化され、そういうことが充分になされていなのかもしれない。
しげきと真千子がさまよった森は,まさに自分の中で死を受け入れる過程であったのではないか。
また、森の異界性も指摘された。
日常では感じることのできない、異界としての森。
車の脱輪。しげきを見失う。しげきに導かれるようにして森に分け入る真千子。
しげきが妻の墓を求め、死を受け入れる過程に追随しつつ、真千子も子供の死を森をさまようことで受け入れていく。
儀礼としてではなく、一人の人間の死の受容の過程の物語であったのではないか。
そしてそこには現代人が死を覆い隠し、死の受容をないがしろにしてきたのとは対局の世界が繰り広げられていたのではなかったろうか。
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