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2014年1月

2014年1月12日 (日)

お内佛報恩講

昨日、お内佛の報恩講がつとまりました。

お寺のご本尊が皆さんの仏様というならば、お内佛は、その家の仏様ということになるのでしょう。(もちろん、阿弥陀様は衆生を救う仏様ですが・・・。)

正信偈のお勤め、御伝抄拝読(上巻 第二段・第三段)お齋

御伝抄は、本来なら全巻拝読すべきでしょうが、お内佛の報恩講では、そのうち二段または三段をセレクトして拝読しております。

お言葉をプリントして皆さんに配布して拝読いたしましたが、手許にお言葉があっても、古い文章ゆえ、なかなか難しいようです。

拝読の後、軽く説明をさせていただきました。

そして、お齋をいただき、いろいろなお話で和やかに。

親鸞聖人が亡くなったのは11月28日ですが、新暦に直すと1月16日に当たるそうです。真宗のご本山では、現在本願寺派の西本願寺さん、高田派の専修寺さんで、報恩講が勤められています。ネット中継もされております。(ネット中継はそれぞれのHPで時間をご確認ください。)

親鸞聖人に対する報恩の念は、派が違っても違うものではありません。この機会に親鸞聖人に思いをいたしましょう。

正善寺よりお知らせ

お講結びを2月22日(土)午後3時より行います。

古本勧進に協力いたします。古本を勧進しようという方がおられましたら、正善寺に1月中にお持ちください。くわしくは彼岸寺さんのHPをご参照ください。

2014年1月11日 (土)

お内佛報恩講

本日午後三時より、お内佛の報恩講をいたします。

2014年1月 4日 (土)

菊輪灯と華束修復

昨年暮れにはできあがってあり、実はお正月にお参りの皆様は、すでに目にしておられるのですが、ご本尊前と祖師前の菊輪灯及びお華束の修復をさせていただきました。

ある方からのご寄進によるもので、誠にありがたいことです。

菊輪灯もおみがきがいらないように加工も施され、長くこの美しさが保たれることでしょう。

お華束は、かなり金が剥げて痛んでおりましたが、きれいになり、お荘厳が美しくなりました。

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とはいえ、これは物がきれいになったということで、そこに込められた思いや、お念仏を慶ぶ心が大切だということを改めて肝に銘じたいところです。

壽命寺さんのHP「住職日報」を読むと、お寺が存続することの意味を考えさせられるところ大。お寺に集まる人の心こそ、大切なのですね。

2014年1月 2日 (木)

元日

元日には、たくさんの方にお参りいただき、誠にありがたく存じます。

正善寺では、特にお正月に法会を持っているわけではありませんが、新年があけると同時に正信偈をお勤めしております。

その際に来ていただいた方々には、ご挨拶できず申し訳ありません。

また、お朝事のときにお参りいただいた方も、そこにおりましたのにご挨拶できず申し訳ありません。

その他、私が本堂にいないときにお参りいただいた方も大勢いらっしゃったようで、ご挨拶ができず、残念です。

ともあれ、阿弥陀様の前で多くの人と新年のご挨拶を交わすことができました。

ありがたいことです。

今日・明日も、本堂はお参りいただくことができるようにしております。本堂につめていることはしませんので、ご挨拶はできませんが、どうぞお参りください。

二日は、お年頭で村国四か寺で新年のご挨拶にまわります。(午前中)

2014年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。 また、お正月に正善寺にお参りいただき、誠にありがたく存じます。

 門松は  冥土の旅の  一里塚  めでたくもありめでたくもなし(一休)     

  掲示板には、この一休さんのお歌を掲示いたしました。あるいは、正月のお祝い気分が台無しになるような内容を!と思われる方もおられるかもしれません。   一休さんは室町時代の臨済宗のお坊さん。とんちで有名、かわいらしいアニメの小僧さんといったイメージを思い浮かべそうですが、ときに辛らつな核心をついた言葉を吐かれるお坊さんであったようです。  同時代に、真宗では「お文(御文章)」で親しまれている蓮如さんがおられ、二人の間に交流があったとも伝えられています。   その一休さんは、正月に髑髏(どくろ)を掲げて、「ご用心、ご用心」と叫びながら町を練り歩いたという話も伝わっています 。  正月のおめでたい気分に町の人々は浸っておいでのことであったでしょう。しかし、その気分の裏側には、人間はいつかは命終わり、髑髏となるという避けがたい真実があります。   蓮如さんはお文のなかで、「されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。」と述べられました。真実信心のみ教えによって、阿弥陀様の本願によって救われる。そのことに気づいたとき、私たちは「南無阿弥陀仏」という仏様の御名を称えていくのでしょう。

 改めて、本年も共にお念仏を慶ぶ日暮らしを、ご一緒にさせていただきたいと念じております。

(寺報より)

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