山元の章
一向真宗開山親鸞聖人伝絵下
第二段
承元元年丁卯仲春下旬のころ、聖人親鸞、御歳三五歳にして、北陸道に向足ましましけり。抑当国丹生郡山元といふ在所は、すぐれて面白き閑居なればとて、垣生をしつくろひ暫在留ましましける。まことに、聖人の行状朗らかにして月のごとく、徳香芬々として匂四海に薫じけるゆへにや。遠近の道俗男女、跡を求めて御教誡を蒙奉る。しかりといへども配所にその究ありければ、名残を慕ふ同朋へ御真筆を以て、光明本尊を書き残させ給ふ。
それより以来、北国東国前後廿五年の間、御経回ありて、御歳六十歳にして上洛あり。かさねて嫡子善鸞、此所へ下向し給ひ、聖人御相続の安心の一途、和讃講を結んで御勧化ありしかば、一流の宗風ますます繁昌云はかりなし。すなはち今の山元山證誠寺是なり。
昨日、本山證誠寺報恩講初夜のお取り次ぎのご縁を賜りました。
お勤めの後、御伝抄(本来は金偏に少)拝読の後のお取り次ぎでしたので、山元派の特徴でもある「山元の章」についてお話しいたしました。親鸞聖人が越後に配流された途中で、越前の山元の匠に在留なさり、近在の御門徒を導かれたところから「山元」の名を戴いているということでしょう。また、当派は善鸞上人とのご縁も大事にしております。
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