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2010年11月21日 (日)

親鸞なう 土田ヒロミさん

「写真表現は、他者と交わりながらつくっていくものだ。

自力だけでつくるという考えを持ったら、リアリティーのある写真は撮ることができない。

被写体から与えられるもの、教えられるものを大事にするのが写真だと思う。

ある意味、他力ですよね」。

写真と他力がむすびつくという指摘から始まる。

篤実な信仰者というのではなく、「親鸞を歩く」で写真を担当したところから、親鸞に対する思いが深まる。

「親鸞が生きた空間を共有する機会」であった。

「悟りからほど遠い、いたらない自分をさらけ出して、『こんな人間が救われるのか』と自分自身をサンプルとした」

ある意味、親鸞聖人のあり方を的確に捉えている言葉と受け止められるだろう。

記事はこちらから

宮崎哲弥さんの回がまだ掲載されていないのだが、東本願寺の番組の司会をされていたり、(フォローするのを忘れました。この人は、五木寛之さんとお話しすると、かなり共振されます。仏教理解は深いようですね。)これはいずれということで。

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