親鸞なう 血脈と法脈
真宗十派を血脈(東西本願寺 親鸞聖人の子孫が継承)と法脈(他の八派 親鸞聖人の弟子が継承)とに分ける。
いわゆる越前三門徒といわれる三門徒派・誠照寺派・山元派については「鎌倉時代後期に東海地方から流入した教えが起源」とし、「何度か分裂を重ねた末に最終的に3つの宗派になった」(金龍静さん)との記述。
これで、理解できるのだろうか?
越前三門徒という言葉も出てこないのだが、どうだろう?
これについては、真宗教団連合HPの真宗三門徒派 専照寺の次の記述がよく分かりそうだ。
また、三門徒の謂れは、横越の證誠寺、鯖江の誠照寺、中野の専照寺が相対して存立されていたので、世の人々はこれを三門徒衆と称したとされています。
福井では、一般的に使う言葉だと思うので、取り上げられた方が理解が進むのではないだろうか。
また、和讃を大事にしたので、「和讃門徒」といわれたところから「讃門徒」といわれるようになったともいわれる。
ついでにいえば、仏光寺派と興正派の関係も、この記事ではよく分からない。
蓮如上人が、現在の本山の概念を作ったという指摘も、私には根拠がはっきりわからなかった。
真宗に十派あるということも、なかなか理解されていない状況もあるように思う。
そういうあたりをもっと伝えていただきたいと思うのは、私だけなのだろうか?
「親鸞なう」のページで、すでに昨日今日の記事がアップされています。興味のある方は、こちらをどうぞ。
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