(4)ボランティア指揮
これもずいぶん前の記事だが、「福井新聞」の「親鸞なう」は「(4)ボランティア指揮」
仙台で陣頭指揮に当たっている高田英彦さんを取り上げている。
ボランティアとしてセンターに集まってくる僧侶たちには、「『やってあげる』のではなく、『やらせていただく』という気持ちを持ってほしい」と呼び掛ける。「仏教は、人々の悩みにこたえるためにある。忙しさの中で教えの根本を忘れてはいけない」。自戒を込めて話す。
これは、特に真宗の僧侶に限ったことではないかもしれないが、ボランティアに参加して、「やってあげる」という意識は禁物だろう。
そこを教えに立ち返らせていくことが、大切なのだろうと感じる。
今回、取り上げられている活動が本願寺派ばかりなのはすこし違和感を感じる。
被災された方々は、私たちに、人と生まれた悲しみをとおし、共に生きるものが人間である、という大切なことを思い出させてくださいました。代理のきかない我が身・人生であり、やりなおすことはできません。しかし、共に見直すことはできます。見直すとは、自分の考えのみを正しいこととして、間がらを断ち、常に座り込もうとする怠惰で傲慢な在り方が、教えによって知らしめられ、そこから謙虚に起ち上がり続けることであります。
東本願寺の第2期御遠忌法要での「決意表明」の一部なのだが、派によって取り組みの違いはあれ、今回の震災はボランティアに直接参加するかしないかにかかわらず、私が揺さぶられ、問い直され、見つめ直されるという出来事であったように思う。
真宗門徒であることの厳しさを認識させる「決意表明」が、多くの人々の前でなされていることに親鸞聖人の教えを感じるところ。
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