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2011年9月26日 (月)

老いといういのちの相

東本願寺御影堂で行われた公開講演会・シンポジウム「老いといういのちの相」を聴く。

正直なところ、参加する際の興味の中心は鷲田清一氏が何を話されるのかというところであった。

氏は現象学(哲学)をバックボーンにして社会や文化の問題を臨床的に考察し語る、存在自体が我々をワクワクさせるような方である。

著書でその有り様の一端は理解しているつもりだが、その人を見てみたいという興味が一番だった。(あんまり宗教的な関心ではないが…)

多岐にわたる現象から老いについての考察を語る鷲田氏はやはりワクワクさせてくれる存在であった。(阪大総長退任後、大谷大学に転身されているのには少し驚いた)

臨床の知をますます深められることだろう。

老いが問題として語られるが、課題として語られなければならないというあたり、頷かれる指摘であった。

小沢牧子氏は心理学研究者。自らを「老いの当事者」といい、参加者全員が「当事者」という発言は、誠にもっともなことで、話を聞いてみようという私の傍観者意識が鋭くえぐられるところでもあった。

「ぼけ」についての発言も、認識の転換を迫られるところ。

藤川幸之助氏は詩人・文筆家。不明にしてこの方を存じなかったが、実際に母親の介護の問題としての「老い」の相をビビッドに表現され、生と死の問題を生々しく語られた。感銘深いお話であった。

シンポジウムとしては、コーディネーターと発言者の問題意識のレベルがかみ合わないところも見られたが、そこがむしろ話が広がり、多様な発言になっていておもしろかった。

 

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