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2011年10月 2日 (日)

年回法要

本日は、東京の方に居られる方がお寺においでになり、年忌法要を勤める。

ご主人が亡くなり、一周忌であるが、奥様はまだ悲しみから抜け出ておられないようにも見える。

グリーフワークとかグリーフケアとか言われ、僧侶にはそういう悲しみと向き合うことが大切なのは承知しているが、実際にはお勤めをさせていただくこと以外には、大したことはできない。

そういうことを学びたいと思いつつ、お参りの方々を見送った次第。

知恩院で法然上人の大遠忌が今日から勤まる由。

お遇いしたいものだと思いつつ、遅く咲いた境内の彼岸花を見る。

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コメント

私もこの法事の法話で、どこまでお伝えできているのだろうといつも考えています。
深い悲しみの中で、なにも受け入れることが出来ない状態もあることです。
そこで何をお話しさせていただけばよいのか?
全てのご門徒がお寺にお参りしてくださるわけではないから、
法事での法話は重要なものなのでしょうが、一度聞いて受け入れてくださるなんて、本当に稀なことでしょう。
聴聞が重要とされる真宗において、私がどれだけお役に立てているのか。
また悲しみに寄り添えているのか。
深いところにまで踏み込むのはおこがましいことかもしれませんが、
何でもお話しをしていただける人間関係を構築することが必要なのでしょうね。

すみません。遅くなりました。コメント感謝いたします。

悲しみという感情は、きっと何者にも勝ることなのでしょう。
ご遺族の悲しみの前に立つと、残念ながら私たちは無力といわざるを得ないところです。

きっと人間関係が、寄り添うことが、何かを生むのでしょうね。
お西さんの実践は、勉強になるところが多く、近しく学びたいと思いながら、時ばかり過ぎております。

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