手足なき 身にしあれども
中村久子さんは、四肢切断にもかかわらず、親鸞聖人の教えに出会い、念仏を心の糧として生きられた方です。日本のヘレンケラーともいわれ、「こころの手足」は、多くの人に読まれています。新聞掲載時とは、表記を改めたところがあります。
手足なき 身にしあれども
中村久子さんは三歳の時突発性脱疽(だっそ)のため両手両足切断という過酷な事態に見舞われました。苦しい闘病生活の中で、母の厳しいしつけを受け、努力して文字を書くこと、縫い物、編み物を修得されました。
当時このような身では生きる糧を得ることも難しく、興行界で生きることを余儀なくされました。そして苦難の人生の中で『歎異抄』に出合い、念仏者として生きられました。
両手両足がないということは、非常に大きなハンディキャップであるでしょう。そして我々が想像することも難しいほどの喪失感が、久子さんを襲ったのではなかったでしょうか。しかし、久子さんはその喪失感を生きる力に変えていきました。お念仏と出合い、障害を持つ自分の命を「生かさるる」命と捉え直しました。そうすると自分の命が非常に尊いものであることに気づき、命あることを喜ばれる境地になられたのです。
最後に久子さんのお歌を味わってください。
手足なき身にしあれども
生かさるる
今の命は尊かりける
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