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2009年10月13日 (火)

珍しいことだ

珍しいことだ

 妙好人として有名な因幡の源佐は、こう言いました。  珍しいことだ、凡夫が仏 になるということは
 仏とは「真理に目覚めた人」のことであり、真理に目覚めれば誰でも仏になることができます。仏教は「仏になる教え」と言えるのです。しかし、凡夫と言われるどうしようもないこの身が仏になるとはちょっと考えにくいかも知れません。
 阿弥陀如来はまた「不可思議光」とも呼ばれます。不思議な光の仏さまです。私たちは心に多くの煩悩を持つ身です。それは理想的なあり方とはほど遠い姿なのです。しかし、その姿は我が身の真実なのです。煩悩をすべて消し去って仏にふさわしい身となるというのも一つの方法ですが、とうてい凡夫には成しがたいことです。残された道は、阿弥陀如来のみ光によって写し出された真実の自分の姿に気づくことです。
  阿弥陀如来のみ光によって、私たちのどうしようもない現実が照らし出されます。そのとき私たちは自己の真理に目覚め仏になることができるのです。
 非常にありがたく、「珍しいこと」といわざるを得ません。

『福井新聞』『心のしおり』に掲載されたものです。表記は改めたところがあります。

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