無根拠の信
『ひろさちやのほどほど人生論』(「日刊県民福井」)は「無根拠の愛」という題。
その最後の一節を書き写してみましょう。
信ずるということ、また愛するということは、無根拠のものでなければなりません。
理由も根拠もなしに、「ただ愛する」「ただ信じる」というのが、本当の愛であり、信なのです。
親鸞聖人は「絶対他力」といわれました。
「信心」に重きを置かれました。
私たちは、阿弥陀様を「ただ信じる」、これが大切なのではないでしょうか。
詳しくは、ひろさちやさんの文章をお読みいただきたいと思いますが、根拠や理由のある「信」は、何か見返りを求め、私の思い通りになってほしいという心からのものです。
真宗の信心は、「如来より賜りたる信心」。
自分が信じようと思って、理由や根拠を求めて信じるのではないのです。
阿弥陀様からいただいた信心なのです。
「ただたのむ」ということなのです。
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