「道」
此の道を行けば どうなるのかと
危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる
その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け
行けば わかるよ
清沢哲夫著『無常断章』(1966年初版/法蔵館 発行:現在絶版)
この言葉、アントニオ猪木が引退の時、リングで読み上げた詩のもとなのだそうだ。(少し文句は違っていて、猪木は一休禅師の言葉としているそうです。)
いろいろな所で取り上げられているらしいのは、アントニオ猪木が紹介したためのようですが、清沢哲夫さんは清沢満之の孫、明烏敏の孫と結婚して、明達寺におられたとか。
一見、自分の信じた道を歩めという励ましの言葉に見えますが、(きっと猪木さんはそう受け取っているのでしょうね。)「二河白道」の教えを表したものという方が私にはしっくりきます。
「二河白道」とは、
浄土往生を願う者が迷いの世界から極楽(ごくらく)に至る道筋を、水・火の二河をもとに説き明かしたたとえ。唐の善導(ぜんどう)(613―681)が『観経疏(かんぎょうしょ)』散善義(さんぜんぎ)で記述したのによる。人が西に向かって行くと、南に火の河、北に水の河があり、その中間に4、5寸(約12~15センチ)の白道があって、水火が猛然と押し寄せ、後方からは群賊や悪獣が迫ってくる。進退窮まり、白道を渡ろうかと思案していると、東岸から早く渡れ、死の災いはないという声、西岸からかならず守るからという声に励まされ、信じて西岸に達した。火の河は人間の瞋(いか)りや憎しみ、水の河は愛着や欲望、白道は浄土往生を願う清浄(しょうじょう)心、群賊たちは人間の迷いから生ずる悪い考えなど、東岸の声は娑婆(しゃば)世界の釈尊(しゃくそん)の教え、西岸の声は極楽浄土の阿弥陀(あみだ)仏の呼び声に例えたもの。 (「日本大百科全書」より)
「二河白道図」というのがたくさん残されており、絵解き説法によく使われているそうです。
阿弥陀様の呼び声とお釈迦様のお薦めとによって、私たちはお浄土への道を歩まさせていただくのですね。
私の心の中は、怒りや憎しみの炎さかまき、愛着や欲望にかき乱されています。そういう状態であろうと、阿弥陀様は私たちにお呼びかけくださいます。
まず一歩を踏み出してみませんか。
それが阿弥陀様の前で手を合わせ、お念仏申すことなのですね。
お彼岸です。こんなことも頭に置いていただくと、お彼岸がいっそう味わい深くなるのではないでしょうか。