2018年8月14日 (火)

お盆2

正善寺の墓参会盂蘭盆会・ご本山の墓参会・永代経を終えて、

少し気が楽になったのか、軽く風邪気味になっていました。

なんとなくだるく、声が出しにくいと思っておりましたが、

本日最後のお盆の読経をしていたところで、声が出づらくなりました。

明日は、一年の中で、一番多くのお家に出向き、読経する日。

少しく不安もありますが、養生して、なんとか乗り切りたいと。

正善寺からのお知らせ

尼講

8月26日(日) 午後4時より

(暑さを考慮し、いつもより1時間遅くしています。お間違えないように) 

2018年8月13日 (月)

お盆

今日からお盆(盂蘭盆)となります。

もともとは旧暦の7月15日を中心として(13日から16日)盂蘭盆としていますが、

①新暦の7月15日を中心にお盆としているところ(新盆)、

②新暦の8月15日を中心としてお盆としているところ(旧盆)、

③旧暦の7月25日(今年は8月25日)を中心としてお盆をしているところ、

いろいろとあるようですが、このあたりでは、旧盆がおおいようです。

正善寺でも先日(8月7日)墓参会とともに盂蘭盆会を勤めさせていただきました。

旧盆期間中は、お盆の読経を頼まれるお家で読経させていただきます。

すでに法会を勤めておりますので、お寺ではお墓参りに来られる方がそれぞれに、お参りをしていただいています。

ではお盆とは?

サンスクリット語 ullambana音写。単にともいう。仏教行事の一つ。餓鬼道などにおちて倒懸 (さかさまにつるされること) の苦しみを受けている亡者のために仏事を行なって,その苦しみを取除くこと。仏弟子目連が,餓鬼道におちた母の苦しみを除こうとして僧たちを供養したという『盂蘭盆経』の伝説に基づく。日本では,推古 14 (606) 年にを設けたのが始りとされるが,本格的には斉明3 (657) 年とされる。もとは,宮中の正式の行事として,中国から伝えられたものであるが,鎌倉時代になると,鎌倉幕府がこれを行い,一方,寺院では施餓鬼をあわせ行うようになった。こうして,蘭盆の行事が,民間の祖霊信仰と結合して現在のようになったのは,江戸時代とされている。しかし,『盂蘭盆経』の成立,盂蘭盆の原義,日本への伝播と変遷などに関してははっきりしない点があり,異説が多い。

(ブリタニカ国際大百科事典)

最近では「倒懸」(逆さづり)ではなく、盂蘭は「ご飯」で、僧侶に対する供養をするのだともされているようです。

目連尊者のお話からすると、この新しい説の方が、正しいようにも思われます。

真宗では、少し違う受け止め方をしています。

先日出した寺報では、次のように説明してあります。

盂蘭盆について

お盆の法会は「盂蘭盆会」といわれます。「盂蘭盆経」のお話が、その由来だといわれています。それはこのようなお話です。

 ある時、神通(じんずう)第(だい)一(いち)の仏弟子・目連尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼道(がきどう)に堕ちていた母親を神通力で見つけました。
 なんとか母親を救おうとしますが、母親に食べ物を差し出すと、みんな炎となってしまいます。救うどころか、逆に母を苦しめてしまいます。

 そこでお釈迦さまに救いを請いますと、七月十五日(旧暦)、雨期の安居(あんご)(勉強会)を終えた後、修行をしていた僧侶たちに、飲食物の供養をするように言われました。これを実行したところ、餓鬼道で苦しむ母親を救うことができたのです。

 《この説法は、何を表しているのでしょうか?》

 ここで大事な点は、修行して神通力を得た目連ほどのお方でも、餓鬼道の母に食べ物を施すことも、餓鬼道から救うこともできなかったということです。
 お釈迦様がおっしゃるとおり、修行僧たちに供養することで、救われたということです。

 供養とは、三宝(さんぽう)〔仏、法、僧〕への敬いの心を形で、表すことです。

 母が救われたのは、目連が三宝に供養する姿を通して、母がはじめて三宝の貴さに気づいたからです。

 このお話は、三宝こそ帰依(きえ)すべきものであるという仏、法、僧の三宝の尊厳性を示しています。(「三帰依文(さんきえもん)」をご覧ください。 「同朋勤行集」p1)
 また、目連尊者でさえ母親を救うことができなかったということは、結局、物では人は救えないということも示しています。
 物では人は救えないとは、どういうことでしょうか。
 人の心を開き、心境を転換させるのは、物ではなくて、仏の説かれた法(真理)だということです。
 法に帰依し、真実の道理に心開かれたとき、はじめて我欲(がよく)に翻弄される餓鬼でなくなります。
 そこで、救われたというのです。
 この点が欠落すると、仏教でなくなってしまいます。
 お経に説かれた内容の表面だけをとらえ、しかも餓鬼を怨霊とみなし、それを救うために供物を施せばいいと考えますと、仏教とは関係ない怨霊信仰としての「施餓鬼(せがき)」になってしまいます。
 一般的なお盆といえば、精霊の送り迎えなど、ほとんどが霊祭りの形態をとっています。

 浄土真宗のお盆は、一般の先祖供養とは違うのです。

 浄土真宗の み教えに生きた人びと(ご先祖)は、お盆の時だけ帰ってきて子孫の供養をうけるのではありません。
 ご先祖は、阿弥陀如来の本願力によって、さとりの世界であるお浄土に生まれ、常に私たちを見護り導いてくださっています。(往相の回向・還相の回向)
 亡くなった方も、私たちも、みんな阿弥陀様のお浄土で共に生きているのです。(お浄土は「倶会一処」の世界です。)
 生と死を包んで一切を照らしてくださる阿弥陀様を念ずることを通して、はじめて私たちは亡くなった人達との共通の場(=「倶会一処」)が与えられていることに気がつきます。
 そういうこの世を超えた領域の確認ができるのが、お念仏の世界です。
 先祖との本当の心の交流は、阿弥陀様を介さないとできません。

 亡くなった方と阿弥陀様を介してお遇(あ)いするとき、はじめて愛と憎しみを超えた本当の遇い方ができるのです。

お盆にはお墓に参ってご先祖様に感謝の意を表すことはもちろんですが、阿弥陀様の存在を忘れてはなりません。

どうぞ、お墓だけでなく、ご本尊の阿弥陀様にも手を合わせてください。

2018年8月 5日 (日)

墓参会 盂蘭盆会 のお知らせ

酷暑が続きますが、お身体は大丈夫でしょうか?

暑い暑いといいながら墓参会・盂蘭盆会の用意をしております。

正善寺では次のように墓参会・盂蘭盆会を勤めます。

墓参会・盂蘭盆会

8月7日(火) 午後3時より(御斎あり)

説教 本願寺派布教使 岩見順明様

3時より勤行・説教・御斎となります。

どうぞお参りください。

本山證誠寺の行事

8月11日(土)

午前10時 墓参会

午後2時 永代経会

説教 勝山市西宮寺住職 三嵜霊証様

2018年7月29日 (日)

尼講

本日のこととなりましたが、

午後3時より尼講を行います。

どうぞお参りください。

2018年7月 1日 (日)

佛性寺様永代経

本日は佛性寺様の永代経。

勤行のうちから、汗にまみれるような気温でした。

何でも今年最高の気温だったようです。

法話に立っても、この暑さで、御聴聞の皆様も大変そう。

話をしている私も当然汗まみれでした。

永代経の意味をお話ししたのですが、

仏様のお話も、私のつたなさもあって、暑さに負けてしまっていた

という気もします。

「南無阿弥陀仏」申しましょう。

お知らせ

尼講 

7月29日(日) 午後3時より

尼講

昨日は尼講でした。

法話は、御文の一節を読みながら、機法一体のお話をいたしました。

暑い日で、大汗をかきながらの正信偈のお勤めと法話となりました。

あとでいただいた冷たいお茶が体に染みわたりました。

皆様お暑い中、お参りありがとうございます。

本日7月1日(日)は佛性寺様の永代経。

お取り次ぎさせていただきます。

http://shinshuhouwa.info/article/index.php?id=33334

2018年6月30日 (土)

尼講

本日のこととなってしまいましたが、尼講のお知らせです。

尼講

6月30日(土) 午後3時より

正信偈と法話です。

2018年6月25日 (月)

永代経

昨日は永代経に前住職二十三回忌と前々坊守三十七回忌を

併せて勤めさせていただきました。

たくさんの方々にお参りいただき、

ありがたく存じます。

法話で紹介されたある御門徒の詩がとても印象に残りました。

法話のあとのご挨拶でも申しましたが、

阿弥陀様のご苦労が偲ばれ、

ありがたさが伝わる詩であったと思います。

南無阿弥陀仏 

2018年6月23日 (土)

托鉢

今日は朝から国高仏教会の托鉢でした。

ご協力ありがとうございます。

明日は永代経。

どうぞお参りください。。

2018年6月10日 (日)

お知らせ

当日のこととなりましたが、本日午後2時から

本山證誠寺にて特別永代経が勤まります。

御法話のご縁をいただきました。

本山では御正忌報恩講・春と秋の彼岸会では、

何度も御法話をさせていただいておりますが、

それ以外では初めて。ちょっと緊張をしております。

また6月24日(日)午後2時より

正善寺の春の永代経をお勤めいたします。

今回は前住職と前々坊守の法事を兼ねますので、

いつもと時間や勤行が変わっております。

ご注意ください。

法話は福井の興宗寺様です。

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