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2009年6月

2009年6月30日 (火)

永代経お問い合わせありがとうございます。

福井新聞「ぷりん」掲載のおかげもあり、永代経のお問い合わせをたくさんいただきました。ありがとうございます。

永代経も間近になってきました。どうぞ、永代経にお参りください。

永代経のお知らせ

7月4日(土) 

日中 午前10時より 

    勤行 仏説阿弥陀経 説教 住職

逮夜 午後3時より

    勤行 仏説無量寿経 説教 川村妙慶師

2009年6月29日 (月)

ぷりん

「福井新聞」の「ぷりん」欄に永代経のお知らせが載りました。(昨日版)

新聞をご覧になって興味を持たれた方は、メールでお問い合わせをお願いいたします。

2009年6月28日 (日)

佛性寺さんの永代経2

佛性寺さんの永代経でのご法話が終わりました。

大経の第18願のお話させていただき、妙慶さんのご法話を2つ皆さんと聞きました。

正善寺の永代経まで、一週間を切りました。

7月4日(土)午前10時からと午後3時からです。(妙慶さんは午後3時)

どうぞ皆さん、お参りください。

2009年6月27日 (土)

本日の尼講

本日の尼講の法話は、来週の永代経でお話を聞かせていただく、川村妙慶さんのご紹介を兼ねて「続世界一ホッとする尼さんのいい話」のご法話CDから、3つのご法話を皆さんと聞かせていただきました。

わかりやすく、聞きやすいお話で、参加の皆さんも永代経への期待が高まった感じです。

永代経の当日、駐車場が確保できました。車で来たいという方がいらっしゃいましたら、メールでおたずねいただければ、ご案内いたします。

明日は、佛性寺さんでお話しさせていただきます。準備しなくちゃ・・・

永代経

いよいよ永代経が来週の土曜に迫ってきました。

川村妙慶さんのお話を聞くことを、住職も非常に楽しみにしております。

そして一人でも多くの方に、阿弥陀様とお会いいただく機縁としていただきたいと思います。

永代経のお知らせ

7月4日(土) 

日中 午前10時より 

    勤行 仏説阿弥陀経 説教 住職

逮夜 午後3時より

    勤行 仏説無量寿経 説教 川村妙慶師

救い

浅田正作さんの詩を紹介しようと思います。

 救い

 難しいことなんか

 なんにもなかった

 たった一言の

 何でもない言葉が

 この胸に落ちれば

 それでよかったのだ

浅田さんは深い悩みの中にいたのでしょう。きっとお念仏を唱えながらも、迷いの闇から抜け出ることがずっとできなかった。

あるときお念仏が本当に素直に喜べたのでしょう。信心獲得の姿ですね。

そこから仏さまの広大無辺な世界が広がっていったのでしょう。

それが「救い」であったのだと気づかれた。

我々も「南無阿弥陀仏」を唱えながらも、信心をきちんと胸に抱いているかどうか。

そして、お念仏の持つ力に気づくところに回心があるのでしょうね。

「南無阿弥陀仏」

尼講のご案内

先日もお知らせいたしましたが、今日尼講を行います。

お勤めの後、住職がご法話をいたします。

最後にお茶とお菓子で、気楽におしゃべりなどを。

6月の尼講は次の通り行います。

6月27日(土) 午後7時より

お参りを希望される方は、気軽に住職にメールを送ってくださいね。

2009年6月26日 (金)

14歳からの社会学 〈生〉と〈死〉

宮台真司さんの『14歳の社会学』を少し読みましたが、この本に「〈生〉と〈死〉」という一章があり、とても考えさせられました。

この章は、社会学という学問についてというよりは、宮台さんの実体験に基づいて〈生〉と〈死〉について考えられているような印象を受けます。今をときめく社会学者のなまの声を聞くような気持ちになりました。

「死があるから自分はここにいる」という認識の仕方は、なんだか、頭を棒で殴られたような、刺激を受けました。

「死を受け入れて自分を受け入れる」 私たちは多くの死を受け入れていかなければ行けません。死を受け入れる(自分の死も含めて)ことは、ある意味で、新しい出会いなのでしょうね。

宮台さんはこう言います。

 実は、死を受け入れないということは、自分の存在を受け入れないということだ。

「〈世界〉の中で直接たたずむ死に方」 私たちは、普段社会に軸足を置いて、社会に「承認」されることが必要です。しかし、死は社会的なものであるだけでなく、「名前を持たない存在として死ぬことを受け入れる」ところに安らかさがあると宮台さんは言います。

とりとめのない書き方になりますが、〈死〉は〈生〉のゴールであり、生きているうちに死を見つめることは、生を見つめることになると思います。

蓮如上人は「後生の一大事を心に掛けて念仏申すべき」といわれましたが、お念仏は死すべき身である私にとって、死を見つめる上で欠くことのできないものなのかもしれません。

14歳でなくとも、この本は手にとって、社会を見つめ直すのには良い本だと思います。

2009年6月25日 (木)

「親鸞をよむ」を読む

山折哲雄さんの「親鸞をよむ」(岩波新書)を読んだ。

 頭で「読む」のではなく、からだで「よむ」

これが、この本のキーワードだといえるのでしょう。

親鸞聖人のからだ、ということは、今まであまり考えていなかったので、新鮮でした。

このように考えていくと、親鸞(聖人)について、今まで見えてなかった、あるいは、あんまり触れられてこなかった面を知らされます。

私たちも、からだをっもっていきています。

それと同じように、あるいはそれ以上に、親鸞(聖人)は、からだで行動し、学び、お念仏されてきたのでしょうね。

2009年6月23日 (火)

佛性寺さんの永代経

28日(日)午後3時より佛性寺さんで永代経(逮夜)があります。

そこでご法話をすることになっていますので、お聞きになりたい方は、佛性寺さんにお参りください。つたないお話ですが、精一杯お話しさせていただきます。

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