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2011年4月

2011年4月 7日 (木)

どうやって伝える?

前にここで紹介したことがある英月さんのブログにどきっとする言葉が。

「本願」とか「南無阿弥陀仏」を使わずに

相手にブッダの教え、親鸞さんの教えを伝える。

と、ある先生に言われたそうだ。

確かに真宗の法話は、「本願」と「南無阿弥陀仏」の繰り返しでできていると言ってもよいのかもしれない。

「本願」とか。

「南無阿弥陀仏」って聞いたら。

それだけで、眠た~くなっちゃう

寝さすのじゃなくて。

目覚めるお話しをする。            (英月さんのブログより)

法話をしていて、こちらは熱を込めているつもりなのに、「眠た~くなっちゃう」という様子の人がいる。

そういう人を目覚めさせるご法話。

そういうお話をしてみたいものだ。

もっとも、法話は有り難くて眠たくなるのが良い法話という話も聞いたこともあるが・・・

しれ~という感じで聴くものだとも。

いずれにしろ、真宗で大事なところは、聞法。

法話の師匠と呼べる感じの人を持たない私は、他の人から師の話を聞くたびに、

師を持ちたいものだ・・・という気持ちになる。

「我以外皆師なり」とも言うのであるから、すべてが師・すべてが善知識。

学びですね。

法然展

法然 生涯と美術」を京都国立博物館で見る。

法然上人は、いわずとしれた親鸞聖人の師。

40~50年の差はあるが、ほぼ同時代だと言えるのだが、浄土宗と浄土真宗との違いや同じ所、いろいろと感じることができた。

何と言っても「法然上人絵伝」の膨大さには驚いた。

真宗にも親鸞聖人の絵伝はあるが、これほどの量ではない。

今でこそ浄土真宗は開祖を親鸞聖人と定め、親鸞聖人を讃仰することに集中しているが、以前は派によっては法然上人を親鸞聖人と同等の位置に置いたり、親鸞聖人自身が一宗を起こすという意識が無く、「浄土の真宗」という言葉は、法然上人の教えを信じる意で使われたということもあるが、さかのぼれば浄土宗の流れを受け継いでいる。

法然上人の絵伝にも浄土真宗系の物があるようで、なるほどと感じさせられた。

法然上人の善導大師との関係の大きさにも改めて感じ入った。

真宗でも善導大師は七高僧の一人に数えられ、親鸞聖人も善導大師を大切にされたが、法然上人が善導大師の『観経疏』によって専修念仏を確立されたといわれるように、エポックメイキングな存在であった。

多くの善導像が展示されているところに、法然上人と善導大師の繋がりの深さを感じた。

親鸞展と法然展は、それぞれの入場済入場券の半券をもう一方に提示すれば、団体料金で入場できます。セットでいかが?

(法然上人の表記については、「聖人」と表記すると定められた宗派もありますが、展示で使われている「上人」と表記させていただきます。)

釈尊と親鸞

龍谷ミュージアムで「釈尊と親鸞」を見る。

龍谷ミュージアムは、4月にオープンしたばかり。(知らずにいきました。・・・)

現代的な建物で、きれいな美術館。

(ちょっと不思議な構造?地下に受け付け、展示場が2階3階という)

浄土真宗は、阿弥陀如来一仏を信仰の対象とするので、お釈迦様は、阿弥陀様の本願を私たちに知らせることを出世本懐と考えます。

しかし、何と言っても仏教を開かれた方。お釈迦さもの教えを伝えていくという、時代を超えた強い思いを感じることができるグローバルな規模での展示だと思います。

阿弥陀様のことを思うのはもちろん大切なことですし、真宗門徒にとってはそれが第一義ではありますが、私たちに仏法を伝えていただいたお釈迦様が、民衆の心に生きていることを示す、様々な展示は、何ともいえない大きな感動を与えます。

4月8日(金)はお釈迦様のお誕生日。降誕会(ごうたんえ)や花祭りともいいます。

正善寺では特別なことは催しませんが、お釈迦様に思いを致したいと思います。

親鸞聖人については、750回大遠忌が、9日より西本願寺で勤まりますが、それにあわせた企画でもあり、多くの人が特別な思いをもってご覧になることと思います。

一部、京都市美術館の「親鸞展」と重なる部分もありますが、聖人関係の資料がたくさん展示されており、聖人をもう一度見直す機会ともなるでしょう。浄土真宗の法t燈が脈々と受け継がれてきたことが感じられます。

また、「ベゼクリク石窟寺院復元展示」は、注目すべきものだと言えるでしょう。各国に散らばっている資料をつなぎ合わせ、ディジタル技術で復元するという興味深いもので、その回廊の復元展示には圧倒されます。

機会があれば、ご覧になることをおすすめします。

参照 龍谷ミュージアム

    

2011年4月 6日 (水)

人生に絶望なし

自殺者が年間3万人を上回り、その対策にいろいろと取り組みが行われているようだが、減る様子がなさそうだ。

人生に絶望はついて回るものかもしれないが、中村久子さんは次のような言葉を残されている。

人生に絶望なし

如何なる人生にも

決して絶望はない

東本願寺で行われている「中村久子展」を見る。

日本のヘレンケラーともいわれ、四肢を失った中村久子さん。

ずいぶん前になるが福井でも「中村久子展」があった。

その際、中村さんのことを知り、大いに心動かされたものだ。

「知ってるつもり」で紹介されたのは、いつのことだったか。一大ブームになった。

歎異抄に出会い、いのちに大きな共感を得た中村久子さんの人生は、たくさんのことを私たちに教えてくれる。

参照 東本願寺のHP  中村久子女史顕彰会のHP

親鸞聖人の屏風絵

先日ここにも書いた井上雄彦氏の親鸞聖人を描いた屏風を見てきました。

阿弥陀堂で整理券を配っているというので、早速整理券を手に、大寝殿に。

思ったほど多くの人が見に来ていたわけではないけれど、皆さん熱心に屏風絵に見入っておられました。

テーマは「激動の生涯を送った親鸞聖人の生き様」。

特に向かって右にあった屏風絵は、激動の生涯を良く表しているでしょう。

左の絵は、ちょっと不思議な感じでした。聖人の視線の先には鳥。なんなのだろう?

もともと「生きる」ことを考えたり、「自分を見つめる」ということに関心をもっておられ、親鸞聖人の「自己と向き合う姿」「懊悩する姿」、そして何より「民衆とともに歩む姿」に強く共感し、「真実を求めようとする人間・親鸞」を描く(『東本願寺からのお知らせ』より)

というのが、今回の井上氏の親鸞聖人を描く姿勢だったようだが、左の絵は、これからすると「自己と向き合う姿」「懊悩する姿」なのであろう。聖人の目から涙が流れているようにも見えた。

井上氏の「同朋新聞」に載せられた思いなどは、PDFファイルで見ることができる。 展示場には、この「同朋新聞」の記事が、パネルになっていた。 メイキングビデオも出口の部屋で見ることができた。 興味のある方は是非、ご覧ください。

2011年4月 5日 (火)

親鸞展

先日(3日)京都市美術館で行われている『親鸞展』を見に行きました。

親鸞聖人の750回御遠忌・真宗教団連合40周年にちなみ真宗教団連合や朝日新聞社・京都市美術館の主催で3月17日(木)から5月29日(日)まで行われています。

第1章 親鸞聖人の教えと生涯
第2章 浄土真宗のひろがり
第3章 伝来の名宝と美術
という構成での展示です。

私自身は、第3章の時代が下ったあたりの名宝や美術はあまり興味が沸きませんでしたが、(見るのに少しつかれていたのかも?)第1章第2章は、親鸞聖人のお人柄や門徒僧侶達の信仰が伝わってくる感じで、感動を持って見せていただきました。

特に聖人の御影や木像は、聖人がおそばにいらっしゃるかのような感覚を持ちます。

聖人直筆の書き物からは、聖人が教えを伝え、求めた真剣さが伝わってきたように思います。

これだけの物が集まった展示は、なかなか今後も開かれないものと思います。

ほかの親鸞展も開催されておりますが、展示内容はこれに勝るものはないと言ってもよいでしょう。

興味のある方は是非、お運びください。

2011年4月 3日 (日)

御遠忌法要のバス

本山證誠寺でのご遠忌期間に、参詣の便を図るためにバスを出します。

実行委員会の企画するものですが、6月11日(土)12日(日)の両日、村国からは正善寺駐車場を発着場所とするバスを予定しております。(無料でご利用いただく予定)

当日は、混雑が予想されますので、ご参詣の方はこのバスをご利用いただきたいと思います。

本山登録の門徒の方々には、ご案内を発送いたしましたので、参加の方は、はがきでお知らせください。

それ以外の方で、希望される方は、正善寺までお知らせください。

なお、行程・時間等を決めるための人数把握の段階ですので、詳しい行程・時間は、決まり次第お知らせいたします。

京都親鸞の歩き方

[京都親鸞の歩き方]というガイドブックが出ている。

西本願寺の関係の本のようだが、750回忌の御遠忌に京都を訪れてもらいたいという意図があるような印象。

西本願寺やその界隈の紹介にかなりページを割いている。

もちろん東本願寺など、親鸞聖人に関する情報は充実している。

「歩く、識(し)る、触れる、親鸞を体感する 京都&西本願寺 ガイドブック」とあり、親鸞聖人の情報以外にも、京都の見所、食べ処の簡単な紹介もあり、御遠忌を機会に京都を訪れる人にとっては、いろいろと使えそうなガイドブック。

京都ばかりでなく、越後や常陸の紹介もあり、「親鸞を語る」として、津本陽・吉本隆明・三國連太郎といった、よく知られた親鸞に関する著書のある人々の文章も掲載されている。

本屋には、結構山積みされていたので、どこででも手に入る本なのだろう。

この本を携えて、親鸞聖人を思う京都の旅をしてみるのもいいだろう。