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2012年3月

2012年3月13日 (火)

西本願寺

今日は西本願寺聞法会館での会議に出席。

真宗教団連合のHPに関連して。

だいぶ前ですが、教団連合のHPはリニューアルしております。

親鸞聖人の750回忌関連のものもあり、HPは大改造でした。

どうぞご覧ください。

2012年3月11日 (日)

他のいのちの 結集の 塊が 私のからだ

震災から1年になります。

追悼の催しも多いようです。

何ができるわけでもないのですが、詩を紹介したいと思います。

欲望の記憶


2011年3月11日

東日本大震災

海面から 陸地へ 乗り上げ 暴走する 津波


家 樹木 動物 植物

車たちは ミニカーのように 軽々浮いて

ぶつかって 押しつぶされて 砕け

混ざり 遭って 流される

その中には 人の いのちも

(中略)

他のいのちの 結集の 塊が 私のからだ

生きるための 欲望が 記憶された 私のからだ

私を 生かすための 応援 真実の願いが


私のからだに 記憶 されている


その 呼び声が 

折り重なって 聞こえて 来る 繰る


呼び声を 感じつつ 歩き続ける 

欲望の 道を

息が 止まるまで

欲望の 記憶へと

よしいけ道さんのブログ「詩の散歩道」に掲載されている詩です。

全部引用するのは差し控えますので、よしいけ道さんのブログ(リンクが貼られています)でご確認ください。

大震災の悲惨さ・凄惨さは何度も報道され、語り尽くされていると言ってもいいかもしれません。

しかし、被災された方一人一人の体験や思いはその人固有のものであるのでしょう。

しかし、そちらの方面へのアプローチはいろいろなところからされているようにも見えます。

そこを「私」に振り向けているところにこの詩のすばらしさがあるように思います。

「私の欲望」「私のからだ」といったものへの転換がこの詩のいのちなのかもしれません。

そこから「真実の願い」に願われている私に気づき、呼び声を感じる。

かといって、欲望から離れることはできない私。

その私として生き続けていく凡夫の身である。

この場合「真実の願い」と欲望とは、不即不離のものなのでしょう。

震災の記憶とは、まさしく「私」の記憶として呼び起こされるべきものなのでしょう。

2012年3月10日 (土)

わたし、住職になりました

三浦明利さんの御著書「わたし、住職になりました」が3月の終わりに発行されます。

読ませていただくことを楽しみにしておりますが、三浦さんの紹介記事がyorimoに掲載されています。

本の内容やCD「被災地からのありがとう」のことも書かれています。

この記事によると、御著書は三浦さんの半生を振り返りつつ、仏教入門の内容も盛り込まれているそうです。

「一般的なモノの見方・価値観とは別の視点をくれるのが仏教です。仏教のモノの見方が人生を変えるかもしれない。私の場合がそうだったんです。私も、お寺に育ったといっても最初から何もかもわかっているわけではなくて、何度も何度も“気付き”がありました」

気づきは真宗的には「回心(えしん)」ということばになるのでしょう。

一般的なモノの見方・価値観から離れる。

三浦さんの回心を味わわせていただきたいと、楽しみにしているところです。

彼岸会のご案内

彼岸会のご案内を作成し、有縁の皆様のお手元へお届けしております。

彼岸会(尼講をかねて)

3月20日(火) 午前10時より

正信偈のお勤め 法話

皆様どうぞお参りください。

2012年3月 7日 (水)

白大衆 生死事大 無常迅速 各宣醒覚 慎勿放逸

敬って大衆に白す (うやまってだいしゅうにもうす)

生死事大 (しょうじじだい) 無常迅速 (むじょうじんそく)

おのおの宜しく醒覚すべし (おのおのよろしくせいかくすべし)

慎んで放逸なることなかれ (つつしんでほういつなることなかれ)

お寺に生まれた皆さんにお伝えします。「生き死に」は我々にとって重要な事です。
諸行無常に過ぎゆく世界の中でしっかりと目を覚まして、無為に時を過ごす事がありませんように。(「就活ナウ」松島靖朗

松島氏は浄土宗のお坊さん。ビジネスマンとして働いた経験を持っておられる。

その人が、就活し、就職し(多分)、そしてお寺へと帰っていく人たちに宛てた文章。

聖徳太子は晩年「世間虚仮 唯物是真」とのことばを残されたが、そういう認識に到達する前に、世間を知ることも必要なのかもしれない。

真宗の坊さんは世俗で生きる存在である。

松島氏のことばは、そこのところをついているように思われるのは、私だけなのであろうか・・・

「目を覚ます」ことが重要なのであろうと得心。

もしもあなたが、あと1年のいのちだとしたら

川村妙慶さんの「もしもあなたが、あと1年のいのちだとしたら」をやっと読了。

本屋さんに出回る前に入手しており、サインまでいただいていたのにやっとの読了という有様です。(妙慶さん、ごめんなさい)

震災の後のいろいろな悩みメールを受け取っておられた妙慶さんの思いからこの本ができている。

 この本を書かせていただくことになったのは編集者との会話からでした。

 人間は悲しいかな、一度追い込まれることがないと、今の自分に立ち止まり、人生を問うことはありません。しかしもう手遅れとならないためにも「何があってもどんな状況が来ても立ち向かえることのできる一冊が書けたらいいですね」。

 それが日ごろからしたためていた「あなたがあと、一年のいのちだったらどうしますか」というテーマの提案でした。

                         (「あとがき」より)

 震災に遭われた人はもちろん、震災から直接影響を受けなかった人たちも、ある意味、追い込まれた状況に立たざるを得なかったのではないだろうか。自分の生を問われる経験を、この一年、日本の人々たちは、してきたのではないかと思う。

 以前、親鸞聖人も御生涯で大きな災害にお遭いになっていたことを書いたが、人生を問うというところで、現代とリンクしているのではないだろうか。

 妙慶さんのこのご本は、親鸞聖人と現代とのリンクの一つのあらわれのように思われる。

 ご一読をお勧めます。

帯の妙慶さんのお写真のお顔が、とてもにこやかで、けっこう厳しい感じの本の題から受ける感じと鮮やかにバランスを取っているような気がします。

 立ち読みですませてしまいましたが、今週の「週刊女性」の妙慶さんのご法話も震災を受けてのお話です。この本とリンクする部分も多く、機会があれば、こちらもご一読をおすすめします。

2012年3月 4日 (日)

みほとけの子ら みてきました

写真展「みほとけの子ら」を見てきました。

こどもたちの生き生きした表情が心に残ります。

新聞記事にもありましたが、昨年5月と今年2月の立った姿の写真も並べ、子どもたちの成長が一目で分かる大きな写真のパネルは、なかなか見応えがありました。

今年は美術館で一室展示スペースということで、レイアウトもいつもより賑やかで、おもしろい展示であったように思います。

期間は残りあとわずかですが、よろしかったらご覧ください。

2012年3月 3日 (土)

福井で三浦明利さん

福井で三浦明利さんご出演のライブがあるそうです。
お御堂ライブ
「春のお御堂ライブ2012」チケット発売開始!!
「春のお御堂ライブ2012」(4/14 Sat. @本願寺福井別院)のチケットがいよいよ発売開始しました。
チケット 一般1,500円/高校生以下1,000円
最寄りの販売所にてお求めください。
* 響のホール (福井市中央1-4-13)0776-30-0086
... * 松木屋みゅじかん (福井市日之出 5-16-14)0776-52-5522
* 本願寺福井別院(会場) (福井市松本 4-9-21)0776-23-2507
なお、チケットに関するお問い合わせは
本願寺福井別院 Tel. 0776-23-2507まで

園児の表情活写

3/3の「福井新聞」には標記の見出しで写真展「みほとけの子ら-5歳児の表情-」を取り上げている。

記事の一部を紹介

同(聖徳)幼稚園の園長夫人北條千鶴子さんが、「自然で一番すてきな園児の表情を収めよう」と撮影を続けている。今年で27回目。

5歳児の15人を被写体に、一人一人をアップで写した半切り15枚をはじめ、秋の遠足でおいしそうに弁当を食べたり、プールではしゃぐ姿など、日常の何気ない一コマを切り取っている。芋掘りをしている写真は、芋を手に嬉しそうな表情が印象的。昨年5月と今年2月の立った姿の写真も並べ、子どもたちの成長が一目で分かる。展示写真の一部は、卒園式で園児にプレゼントする。

再掲ですが、この写真展のご案内を。

「みほとけの子ら ー五歳児の表情ー 写真展」

と き 平成24年3月2日(金)~4日(日)

     午前9時30分~午後5時(入館4時30分)

     最終日3月4日は午後4時30分閉場

ところ 福井県立美術館 展示室(B1)

     福井市文京3-16-1

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日々、新しいことに関わりながら

成長を遂げてゆきます。

幼稚園時代もあと少しですね!  (北條千鶴子)