とある会議で…
あるところで、真宗の他派の方も交えた会議が…
お寺の今後や宗派の今後というあたりに大きく問題意識が示されていたように思う。
社会の変化にお寺がどう対応するべきなのか、あるいは対応してはならないのか、難しいところなのだと思う。
近くに御門徒の姿を、そして阿弥陀様を見据えつつ、考えて行かなくてはいけないことなのだろう。
今回初めてこういう会に参加したが、刺激を受けるところ大であった。
あるところで、真宗の他派の方も交えた会議が…
お寺の今後や宗派の今後というあたりに大きく問題意識が示されていたように思う。
社会の変化にお寺がどう対応するべきなのか、あるいは対応してはならないのか、難しいところなのだと思う。
近くに御門徒の姿を、そして阿弥陀様を見据えつつ、考えて行かなくてはいけないことなのだろう。
今回初めてこういう会に参加したが、刺激を受けるところ大であった。
「彼岸寺」に英月さんがご登場。
「お経さん、ごちそうさま! 英月流!目からウロコの写経法」が、新連載ということで、第一回が「お経さんはココロの栄養」
8月7日の英月さんのお話が楽しみになるような、親しみの持てる内容です。
ご一読、おすすめいたします。
(これを参考にして、正善寺でも写経の会を?)
お経さんはココロの栄養(←ここをクリック!)
英月さんのお寺「大行寺」さんのホームページでも正善寺での法話の告知をしていただいています。
大行寺さんホームページ(←ここをクリック!)
いろいろと8月7日に対する期待が高まってきた(?)感じですが、
改めて御案内いたします。
8月7日(火) 午後3時より
親鸞聖人750回御遠忌 盂蘭盆会 墓参会
説教 真宗佛光寺派布教使 佐竹英里子(英月)師
遅れましたが、尼講が終了。
異臭で、(原因は何だったのでしょう)ハプニングもありましたが、お勤め・法話と進みました。
ご法話では、8月7日の御案内と、暁天講座などで聴いた様々なお話の心に残った部分をお伝えいたしました。
お知らせ
8月7日(火) 午後3時より
親鸞聖人750回御遠忌 盂蘭盆会 墓参会
説教 真宗佛光寺派布教使 佐竹英里子(英月)師
今日で「暁の人生講座」も最終日。
お勤めにもお遇いしたいと思って早めに家を出たはずなのに、東別院にはすでに多くの車が止まっており、お勤めも始まっていた・・・
「大切なものが見えない・聞けない」 池田勇諦師
今年も池田勇諦師のお話を聞くご縁に遇わせていただいた。
原発や非戦のお話をも交えながら、人間の物差しと仏様の物差しについて、お伝えいただいた。
真宗の教えに遇わせていただくということが、自分に対する問い返しとして、いかに厳しいものであるかを改めて実感させられる。
仏様の智恵の光に照らし出されることにより、わが身の事実が照らし出される。そのわが身の真実を受け取るということは、大変厳しく、つらいこととなるに違いない。
身と心を正されるようなお話であった。
本日は尼講です。
今月は、暁天講座でたくさん御聴聞をさせていただいたが、尼講の法話を前にして、何も成長していない身の事実に愕然としつつ、向かい合っています。(涙)
東別院で行われている「暁の人生講座」
「救いと問の念仏」 岩佐幾代師
この方は、親戚寺院にもおいでになったことがあり、何度かお話を伺っている。
いつもながらきちんと仏教・真宗の御教えをお伝えいただいたという感じである。
今年の夏は「問」と「身の事実」ということを、自身に問われてきたような感じだ。
姪御さんについてのエピソードは、感銘深かった。
「師の跡を歩む」 家山勉師
はじめに高名な講師というわけでもないというような謙虚なお断りがあったが、この方のお話は心を揺さぶられるところ大であった。
金沢大学に居られ、明烏文庫の創設に深く関わった出雲路暢良先生の福井でのお話と姜尚中氏の言説をリンクさせたような内容。
まさに現代を生きることを問い返された思いがする。
正善寺からの御案内
尼講
7月25日(水) 午後7時より
正信偈のお勤め、法話(住職)あとはお茶お菓子でおしゃべり
どうぞお参りください。
御案内の訂正について
8月7日の御案内を差し上げましたが、一部8月7日(日)となっておりました。
8月7日(火)の間違いですので、ご訂正ください。
東別院の「暁の人生講座」で、御聴聞させていただく。
「念仏学校一年生」 宮戸道雄師
親鸞聖人の御指南ということで、ピックアップされたおことばに関連してお話になられた。
そうであったかと思わせられる点が多く、うなづく。
開講の日であったが、激しい雨の降る中、よくこれだけの方がお集まりになるものだ・・・・・・というあたりにも、感心しきりであった。
「生死を出る」 佐野明弘師
この方、サラリーマンの家庭で生まれ、禅宗の修行の後、真宗に、というご経歴なのだという。
そういう意味では、仏教に求められているものは、非常に大きく深いのではないだろうか。
静かな語りの中で、「身の真実」ということと、聖人がお求めになった「生死出づ」というところを、何かとても深いところでお伝えいただいたと感じる。
お話が終わり、ずいぶん長い間お会いしていない方からお声をかけていただく。
佐野師のお話をよく聞いていらっしゃるそうで、この方も、深いところで人間の生き方を求めておられるのであろう、と思われた。
京都に用事があり、西本願寺の昼のお勤めにお遇いすることができた。
「夏御文章(夏のお文)」を拝読された。(「夏」は「げ」とよみます。)
わたし自身は、このお文にはあまり触れることはないのだが、ここかしこになるほどと思わせるところがあった。
女性が拝読されていたのには、少し驚く。
凜とした美しい声で読まれる「夏御文章」に、自らの仏様に対する姿勢を問われたような気がした。
東西の本願寺さんに行くと、女性僧侶のご活躍が目につく。
「女人成仏」を一つの課題とされた宗祖親鸞聖人の思いからすると、この状況は願いにかなっているのでは、と思う次第。
誠照寺さまの暁天講座にて御聴聞。
17日(火)花岡静人 師 (奈良県 本願寺派 勝光寺)
講題「お浄土をたまわる」
昨年に引き続き、この方のお話を聴聞することができました。
ユーモアを交えながらも、深いお話を拝聴いたしました。
この方の語りは、絶妙です。
「お浄土」について、いろいろと考えを新たにさせていただきました。
19日(木)牧野豊丸 師 (福井市 大谷派 託願寺住職)
講題「人身受け難し今すでに受く」
人として生まれた意味を深くお教えいただきました。
教えていただくところ甚大であったと思います。
お東のお説教は「問い」から始まると。
わが身を問い、仏法に照らし出されるわが身を思うことが、大切であるなと感じます。
東別院の「暁の人生講座」ある方からパンフレットや聴講券をいただきました。
44回目を迎えるということで、このように長く御聴聞の場が保たれていることに、感銘を受けます。
ご縁を結ばせていただきたいと思っております。
山元派でも、このような講座を・・・という動きが出ております。
聴聞の機会は、多い方がよいのですから、実現できるように、と願っています。
一昨日は仏性寺さんの永代経でした。
お取り次ぎのご縁をいただき、話をさせていただきました。
話題は「願以之功徳」(回向句)について。
やなせななさんの「春の雪」を聴いていただき、そのお味わいを。