日記・つぶやき Feed

2011年4月 6日 (水)

人生に絶望なし

自殺者が年間3万人を上回り、その対策にいろいろと取り組みが行われているようだが、減る様子がなさそうだ。

人生に絶望はついて回るものかもしれないが、中村久子さんは次のような言葉を残されている。

人生に絶望なし

如何なる人生にも

決して絶望はない

東本願寺で行われている「中村久子展」を見る。

日本のヘレンケラーともいわれ、四肢を失った中村久子さん。

ずいぶん前になるが福井でも「中村久子展」があった。

その際、中村さんのことを知り、大いに心動かされたものだ。

「知ってるつもり」で紹介されたのは、いつのことだったか。一大ブームになった。

歎異抄に出会い、いのちに大きな共感を得た中村久子さんの人生は、たくさんのことを私たちに教えてくれる。

参照 東本願寺のHP  中村久子女史顕彰会のHP

親鸞聖人の屏風絵

先日ここにも書いた井上雄彦氏の親鸞聖人を描いた屏風を見てきました。

阿弥陀堂で整理券を配っているというので、早速整理券を手に、大寝殿に。

思ったほど多くの人が見に来ていたわけではないけれど、皆さん熱心に屏風絵に見入っておられました。

テーマは「激動の生涯を送った親鸞聖人の生き様」。

特に向かって右にあった屏風絵は、激動の生涯を良く表しているでしょう。

左の絵は、ちょっと不思議な感じでした。聖人の視線の先には鳥。なんなのだろう?

もともと「生きる」ことを考えたり、「自分を見つめる」ということに関心をもっておられ、親鸞聖人の「自己と向き合う姿」「懊悩する姿」、そして何より「民衆とともに歩む姿」に強く共感し、「真実を求めようとする人間・親鸞」を描く(『東本願寺からのお知らせ』より)

というのが、今回の井上氏の親鸞聖人を描く姿勢だったようだが、左の絵は、これからすると「自己と向き合う姿」「懊悩する姿」なのであろう。聖人の目から涙が流れているようにも見えた。

井上氏の「同朋新聞」に載せられた思いなどは、PDFファイルで見ることができる。 展示場には、この「同朋新聞」の記事が、パネルになっていた。 メイキングビデオも出口の部屋で見ることができた。 興味のある方は是非、ご覧ください。

2011年4月 5日 (火)

親鸞展

先日(3日)京都市美術館で行われている『親鸞展』を見に行きました。

親鸞聖人の750回御遠忌・真宗教団連合40周年にちなみ真宗教団連合や朝日新聞社・京都市美術館の主催で3月17日(木)から5月29日(日)まで行われています。

第1章 親鸞聖人の教えと生涯
第2章 浄土真宗のひろがり
第3章 伝来の名宝と美術
という構成での展示です。

私自身は、第3章の時代が下ったあたりの名宝や美術はあまり興味が沸きませんでしたが、(見るのに少しつかれていたのかも?)第1章第2章は、親鸞聖人のお人柄や門徒僧侶達の信仰が伝わってくる感じで、感動を持って見せていただきました。

特に聖人の御影や木像は、聖人がおそばにいらっしゃるかのような感覚を持ちます。

聖人直筆の書き物からは、聖人が教えを伝え、求めた真剣さが伝わってきたように思います。

これだけの物が集まった展示は、なかなか今後も開かれないものと思います。

ほかの親鸞展も開催されておりますが、展示内容はこれに勝るものはないと言ってもよいでしょう。

興味のある方は是非、お運びください。

2011年1月 1日 (土)

新年

新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

平成二十三年 元旦

2010年12月31日 (金)

大晦日

いよいよ今年も最後の大晦日となりました。

来年は親鸞聖人の七百五十回忌の年でもあります。

ちらちらと鏡花に関する文章を読んでいたら、大正10年頃に親鸞ブームと言われるものがあったのだそうです。

大正12年が親鸞聖人生誕750年・立教開宗700年にあたるということで、文壇でも親鸞を取り上げた著作が多く、その影響が鏡花作品にも見られるとか。(鏡花はあんまり真宗を良く思っていなかったみたいですが…)

「出家とその弟子」(倉田百三 大正5年)は、やや早いのですが、このブームの先駆けと言えるようです。

今も親鸞ブームといって良い状況下と思いますが、(明日から五木寛之さんの「親鸞」の続編が新聞小説として読めるそうですし)単なるブームではなく、「仏法広まれ」という聖人のお言葉のように地に着いたものになって欲しいと思います。

2010年10月19日 (火)

カウンター

カウンターが1000を超えました。皆様ありがとうございます。

このカウンター1000を超えると表示がどうなるのかと危ぶんでいましたが、ちゃんと表示されましたね。よかったよかった。(笑)

お知らせを。

10月27日(水) 午後7時より 尼講

いつものように正信偈のお勤め、住職の法話、その後お茶とお菓子とおしゃべりと。

どうぞお参りくださいね。

報恩講 11月3日(水) 

     逮夜 午後3時より 正信偈真四句目下げ

                 (お齋)

     初夜 午後7時より 正信偈草四句目下げ

                                                                    御伝鈔拝読

説教 覚善寺様       

2010年10月 3日 (日)

報恩講など

今日は、今年度最初の檀家さんでの報恩講。

毎年このおうちから秋参り(報恩講のお参り)が始まる。

季節が来たのだなと思う。

このおうちのご夫妻には、すでに法名をお出ししてある。

本山の彼岸会のご案内に帰教式のことが書いてあったことから、法名のお話になった。

法名を書いたものを確認させていただいたのだが、父(前住職)の筆で書かれたもの。

30年あまり前のものだが、久しぶりに父の書いたものを見たので、何となくこみ上げてくるものがあった。

ありがとうございます。

家人がある方と話していて、私の隣寺での説教が良かったとお話ししていたよ。と伝えてくれた。ありがたい。

「腹を抱えて笑わせていただきました」と言われたそう。

笑いと一緒に仏法もきちんと伝わったっていますよね。

落語もお寺の「高座」から出ているということであるから、(釈徹宗さんが、そのあたりのことを書いた本をお出しになったようだ。読みたいと思っている。)笑いと御法座はけっこう近しいものだと言えるかもしれない。

でも、私が高座に座るのは、年に一回か?演台の前に立ってお話をすることがほとんどになってしまった。

遠くに住んでいらっしゃる御同行が亡くなったとの知らせが昨日あり、今日は、法名などをお送りした。

遠くであるから、高校の同級生であるお寺さんにお葬式は頼まれたとのこと。

地元のご縁があるものだと感心。

葬儀は失礼させていただくことになるが、一段落ついたときに、故人のお人柄に思いを馳せる。

会う機会はそれほど多くはなかったが、こちらに帰ってこられるとお寺にもお参りいただいていたので、思い出も多い。

御仏のもとで、私たちをお導きいただけるように、と法名をつけさせていただいた。

2010年9月20日 (月)

「道」

此の道を行けば どうなるのかと
危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる
その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け

行けば わかるよ

清沢哲夫著『無常断章』(1966年初版/法蔵館 発行:現在絶版)

この言葉、アントニオ猪木が引退の時、リングで読み上げた詩のもとなのだそうだ。(少し文句は違っていて、猪木は一休禅師の言葉としているそうです。)

いろいろな所で取り上げられているらしいのは、アントニオ猪木が紹介したためのようですが、清沢哲夫さんは清沢満之の孫、明烏敏の孫と結婚して、明達寺におられたとか。

一見、自分の信じた道を歩めという励ましの言葉に見えますが、(きっと猪木さんはそう受け取っているのでしょうね。)「二河白道」の教えを表したものという方が私にはしっくりきます。

「二河白道」とは、

浄土往生を願う者が迷いの世界から極楽(ごくらく)に至る道筋を、水・火の二河をもとに説き明かしたたとえ。唐の善導(ぜんどう)(613―681)が『観経疏(かんぎょうしょ)』散善義(さんぜんぎ)で記述したのによる。人が西に向かって行くと、南に火の河、北に水の河があり、その中間に4、5寸(約12~15センチ)の白道があって、水火が猛然と押し寄せ、後方からは群賊や悪獣が迫ってくる。進退窮まり、白道を渡ろうかと思案していると、東岸から早く渡れ、死の災いはないという声、西岸からかならず守るからという声に励まされ、信じて西岸に達した。火の河は人間の瞋(いか)りや憎しみ、水の河は愛着や欲望、白道は浄土往生を願う清浄(しょうじょう)心、群賊たちは人間の迷いから生ずる悪い考えなど、東岸の声は娑婆(しゃば)世界の釈尊(しゃくそん)の教え、西岸の声は極楽浄土の阿弥陀(あみだ)仏の呼び声に例えたもの。                     (「日本大百科全書」より)

「二河白道図」というのがたくさん残されており、絵解き説法によく使われているそうです。

阿弥陀様の呼び声とお釈迦様のお薦めとによって、私たちはお浄土への道を歩まさせていただくのですね。

私の心の中は、怒りや憎しみの炎さかまき、愛着や欲望にかき乱されています。そういう状態であろうと、阿弥陀様は私たちにお呼びかけくださいます。

まず一歩を踏み出してみませんか。

それが阿弥陀様の前で手を合わせ、お念仏申すことなのですね。

お彼岸です。こんなことも頭に置いていただくと、お彼岸がいっそう味わい深くなるのではないでしょうか。

2010年9月16日 (木)

御示談

「御示談」というのは仏教語なのだと初めて知った。

「示談」は、仏教語から出ているのだという。

法話の後、長い聞法の経験を持つ人が捌いて座談会をするのだという。

それぞれのお味わいを深めるには良い方法なのだと感心。

富山や石川の方では今も行われているとか。

話をする方からすると、ちょっとこわい気もするが、話にいっそう身が入りそうでもある。

2010年9月 4日 (土)

オネガイダカラスグキテオクレヨ

掲示板に「オネガイダカラ スグキテオクレヨ」(池山栄吉先生)を貼っておいた。

この言葉は、藤谷純子師の暁天講座で出会ったお言葉で、「一心正念直来」(『浄土文類聚鈔』や『三心料簡および御法語』などに見えます。)を池山先生が独自の言葉で言い直されてもの。ちなみに、池山先生のお墓にはこの言葉が刻まれているそうです。

この言葉、阿弥陀如来の言葉なのです。阿弥陀如来から私たちへの呼びかけなのです。阿弥陀様のお言葉を引いておきましょう。

なんぢ、一心に正念にして直ちに来たれ、我よくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ (『浄土文類聚鈔』書き下し文)

阿弥陀様が、「一心に念仏して、すぐに私の所へ来なさい。そうすれば、私はあなたを護ろう。水や火におちることを畏れずにやって来なさい。」とおっしゃっているのです。

ある方が、この掲示板を見て尋ね人の告知かと思われたそうです。

私は、この言葉に感動し、阿弥陀様のお心はここにあるのだと考え、掲示板に貼ったのだが、前後の文脈を省くとこういうふうにもとらえられるかも。

人にお伝えするのは難しいものですね。

ちなみに、今はこの法語は貼ってありません。貼り替えておきました。(決して誤解を受けたからではなく、時期が来たと思ったからです。念のため。)

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カウンターなど