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2012年7月 4日 (水)

平等施一切

昨日のこととなりましたが、豪摂寺さんの暁天講座を聴聞させていただきました。

題は『平等施一切』(真宗三門徒派恵光寺住職 黒田昌英

お口とりということで、仏様が私の口を借りて言葉を伝えておられると・・・

なかなか個性あふれるお話で、例話もわかりやすく印象に残るお話でした。

「平等」の意味を仏様の視点から教えていただきました。

目についたものを。

「第44回 暁の人生講座」

開会 2012年7月21日(土)午前5時45分

と き 7月21日、22日、23日、24日、25日

    (毎朝午前6時~7時)

ところ 東別院本堂(聴講券1,500円 5日間共通)

21日 「念仏学校一年生」 宮戸道雄師

22日 「生死を出る」 佐野明弘師

23日 「救いと問の念仏」 岩佐幾代師

24日 「師の跡を歩む」 家山勉師

25日 「大切なものが見えない・聞けない」 池田勇諦師

2012年6月29日 (金)

尼講終了

少し遅くなりましたが、27日は尼講がありました。

古くからのお仲間がお亡くなりになったこともあり、いつもの正信偈のお勤めに阿弥陀経のお勤めをプラス。

ご法話で、亡くなった方のことに少し触れたのだが、私が子どもの頃からお寺で何かあると必ず御聴聞され、「正善寺さんが好きなんや」といつも言っておられた姿が思い出され、ちょっとセンチメンタルな気分になった。

このこともあり、「死」というものについてお話。

永代経の施本にあった聖人の御消息の言葉を紹介。

「死」を扱うのは本当に難しいが、避けて通ることのできない課題なのだと思う。

親戚寺院から届いた寺報を読むと、ちょうど法話で触れた部分について触れた文章が載っている。

問題を共有しているのだな・・・と感じた。

来月の尼講は次のようになりました。

尼講

7月25日(水) 午後7時より

2012年6月25日 (月)

当寺永代経 おわりました。

正善寺の永代経、無事終了。

たくさんのお参り、ありがとうございました。

お内陣の床が綺麗になり、お内陣が明るい感じになった中での初めての法要でした。

シロアリ被害の座敷も綺麗になっており、なんだか新鮮な気分の永代経となりました。

日中のご法話は、ほぼ浄徳寺さんでの法話と同じ内容。

しかし、座が違うと雰囲気が変わりますね。

浄徳寺さんでは近くに女性の方が多く、お話に対する反応がすぐ伝わってきて、わりと早く座が和みましたが、うちでは近くに男の方が多く、

男の方はあまり反応を表に出していただけません。

どちらがいいというわけではないのですが、和やかに聴いていただきたいな、というふうに振っているつもりなので・・・

逮夜の法話は、施本をもとに、「死」をどう捉えるのか、永代経の意味といった内容を盛り込みながらお話しさせていただきました。

私の感じでは、かなり深いところで、みなさんお聴きいただいたように思います。

阿弥陀様のお心をお伝えすることができたでしょうか。

準備や片付けをしていただいた年番の皆様、本当にありがとうございました。

次は尼講です。

尼講

6月27日(水) 午後7時より

正信偈のお勤め、法話、そしてお茶とお菓子をいただきながらおしゃべり

2012年6月23日 (土)

当寺永代経

明日は正善寺の永代経となります。

永代経のお知らせ

6月24日(日) 日中 午前10時 逮夜 午後3時

日中 仏説阿弥陀経 逮夜 仏説無量寿経

説教 住職

施本・寺報も用意しております。

皆様と一緒に永代経を勤めたいと存じます。

お内陣の床が新しくなって、初めての行事です。

どうぞお参りください。お説教の準備は・・・まだまだ??

2012年6月18日 (月)

永代経(浄徳寺さん) 法話etc

昨日は浄徳寺さんの永代経。

午前と午後にお勤めがあり、午後は法話をさせていただく。

回向の 「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」を題材に。

永代経の意味も交えながらお話しさせていただく。

午前と午後の永代経の間にご法事一つ。

総代としてご活躍いただいた方の法事であった。

父(前住)が亡くなって何も分からぬままお寺のことをしなくてはならなかったときに、総代としてお導きいただいた方。

個人的な感慨もある。

お齋は料理やさんで、賑やかに。

奥さんのご挨拶が心にしみる。

ここのお家は、お齋が非常に和やかで楽しい雰囲気である。

午後の永代経があるので、こちらはアルコール我慢、中座となる。

おいしい地酒が飛び交っていたので、ノンアルコールビールがちょっと寂しい。

これも煩悩ですね。

永代経のお知らせ

6月24日(日) 日中 午前10時 逮夜 午後3時

日中 仏説阿弥陀経 逮夜 仏説無量寿経

説教 住職

どうぞ皆様お参りください。

2012年6月16日 (土)

永代経(浄徳寺さん)

明日は浄徳寺さんの永代経です。

午前10時と午後3時より 2回お勤めがあります。

午後、ご法話させていただきます。

どうぞお参りくださいね。

ところで・・・本日本山で某会議。

その後、ちょっとどう?ということで懇親会に・・・

明日のお話を、これから考えます。(いかに?)

正善寺の永代経もかなり近くなってまいりました。

永代経

6月24日(日) 午前10時 日中 午後3時 逮夜

どうぞお参りください。

          

2012年5月28日 (月)

尼講その他

本山護持金にご協力いただきました方々に、深く感謝いたします。

また、集めにまわっていただいた年番の方々にも感謝の意を表したいと思います。

尼講は、本堂内陣修繕のため、場所をお内仏間に移しました。

いろいろと勝手が違いましたが、いつもより一人一人の距離が近くて、同じ時間を共有できた感じがします。

ご法話は、三毒と「西遊記」の関連を。

親鸞聖人の御生涯も、三毒を身に抱え、それゆえに阿弥陀様への信心に行き着かれたのではないでしょうか。

そんなことをお話しいたしました。

次回の尼講は、次のように開催いたします。

尼講

6月27日(水) 午後7時より

2012年4月21日 (土)

春のお彼岸ライブ

もう一週間前のことになりますが、福井西別院で行われた春の御御堂コンサート。声明と雅楽・ナナ・イロのライブ・三浦明利さんのライブと盛りだくさんの内容。

お西さんの声明は、天台声明を取り入れているそうですが、美しい声明で、いつ聞いても心打たれます。

雅楽も、日本の音楽という感じで、悠久の時の流れを感じさせてくれます。

うちのお寺の法要でも、雅楽をかけることがありますが、これはテープで・・・・。ともあれ、機会があれば、雅楽をお聴きになるといいですね。

ナナ・イロは福井で活動しているふたり。

いろいろとラジオなどで聞くことはありますが、生は初めてでした。

おひとりの福井弁が、何ともいえず親しみが持てます。

おしゃべり担当は、県外出身の方だそうで。でも、大学が福井で、地元密着という感じで、いいですね。今日は、豪摂寺さんの御遠忌でご出演だそうです。

ナナイロと三浦明利さんの鼎談もあり、三浦さんご専門の仏教音楽への言及も。

お若いながら、三浦さんのお話は、仏教の世界へと快く導いてくれます。

三浦さんのライブは、すばらしいものでした。ギターもすばらしく、歌もすばらしい。とてもすてきなひとときを味わうことができました。

何よりも感じられたのは、仏教の発進力です。仏青といういわゆる本願寺派の青年会のようなグループの催しですが、仏教に関わる人の才能の豊富さを充分に伝えているイベントだったと思います。

若い人のパワーってスゴイですね。

2012年4月 2日 (月)

雪囲い

昨日4月1日(日)に、正善寺の雪囲いや雪割りを年番の皆様に片付けていただきました

今年は、お若い方も一緒に参加していただいたので、人数も多く、作業もはかどりました。

ただ、午前中に片付けを行いましたが、天気に恵まれず、雨の中の作業となり、ご苦労をおかけしてしまいました。

今年は雪が消えるのが遅く、例年ですとお彼岸前に片付けるのですが、4月の声を聞いての片付けとなってしまいました。

しかし、年番の皆様に集まっていただき、作業をしていただくと、御同行御同朋にお寺は支えられているのだと感じられます。

こういうご縁の結ばれる場として、寺があるのでしょう。

2012年3月23日 (金)

お彼岸も・・・

お彼岸も今日までですが、皆様と仏様との出遇いはいかがでしたでしょうか。

法会に合われた方も、墓参りをされた方も、お仏壇にお参りされた方も、それぞれの形で仏様と出遇われたのですね。

三浦明利さんの『わたし、住職になりました』が手元に。

まだ、「はじめに」を読み、目次に目を通しただけですが、三浦さんらしさが伝わってくるように思います。

読んだらまたこの本について書くことにします。

三浦明利『わたし、住職になりました』 

アスペクト 定価 本体1400円+税 ISBN978-4-7572-2051-5

(以前にここに書いた予価とは少し違っているようです。)

話は変わりますが、あるところで金子大栄さんのことばに出遇いました。

花びらは散っても花は散らない。 形は滅びても人は死なぬ。

                              (『歎異抄領解』)

本を読んで理解した上のことではなく、浅学の身で勝手なことを思っているのかもしれませんが、お彼岸と関連して・・・

お彼岸を先祖供養の時期のようにマスコミは伝えますが、浄土真宗ではそういう考えは採りません。

身体というものがなくなったとき、阿弥陀様のお救いによって、私たちはお浄土に生まれ、そこで諸仏として新しく生きることになります。

阿弥陀様のお働きとその諸仏のお導きによって私たちは彼岸(=浄土、仏国土)を思うのが、お彼岸なのでしょう。

供養する対象としたとき、亡き人とわたしとの関係は、遠いのではないでしょうか。

諸仏に導かれ、ともに阿弥陀様を讃仰するとき、わたしたちは彼岸を感じるのではないでしょうか。

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