今月の尼講
今月の尼講のお知らせです。
10月27日(水) 午後7時より 尼講
いつものように正信偈のお勤め、住職の法話、その後お茶とお菓子とおしゃべりと。
どうぞお参りくださいね。
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今月の尼講のお知らせです。
10月27日(水) 午後7時より 尼講
いつものように正信偈のお勤め、住職の法話、その後お茶とお菓子とおしゃべりと。
どうぞお参りくださいね。
先に、川村妙慶さんのキエフでのお話に触れたが、その題が「悟るということ」だった。
この題に興味を持たれた方に。
妙慶さんのお話そのままではないのですが、新著「こんな時親鸞さんなら、こう答える」に関連するお話があります。
「19 誰かと比較するから本当の自分が見つからないのです」
キエフでは、お父さんとのエピソードは触れておられなかったと思うので、ここを読んで、お話の裏にあった、妙慶さんのお父さんの記憶に触れ、お話の意味を捉え直せたように思った。
ご法話は、後からしみてくるものですね。
ちなみに
「こんな時親鸞さんなら、こう答える」川村妙慶著 教育評論社 1200円+税
ISBN978-4-905706-54-0
是非手に取ってみてください。
川村妙慶さんの新著「こんな時親鸞さんなら、こう答える」を読了。
難しいことをやさしく語ってくださる。
「親鸞さん」が、そして仏法が、妙慶さんをして語らせているという感じがする。
「「思い込み」を捨てる48のヒント」ともあるが、私たちは、自分の「思い込み」と自分とのギャップから苦しみを作り出しているのかもしれない。
その「思い込み」を捨てるのは、容易ではないのだが、とらわれている自分を知り、現実の自分を見ることは大切だと思う。
私の希望したことは与えられませんでしたが、与えられなかったことで、、私は大きな学びを与えられました。仏法に出会ったのです。(「あとがき」より)
これは妙慶さんの回心の表明であり、覚悟の宣言のように私には思われる。
こうすれば必ずうまくいくという感じでハウツーを説く本が多いが、この本の中には、等身大の妙慶さんの悩む姿や仏法に出会った喜びが至る所に読み取れるように思う。
決して上から諭すのではなく、御同朋としての目で書かれている。
一緒に仏様に遇いましょう。と呼びかけられているようだ。
今日は、今年度最初の檀家さんでの報恩講。
毎年このおうちから秋参り(報恩講のお参り)が始まる。
季節が来たのだなと思う。
このおうちのご夫妻には、すでに法名をお出ししてある。
本山の彼岸会のご案内に帰教式のことが書いてあったことから、法名のお話になった。
法名を書いたものを確認させていただいたのだが、父(前住職)の筆で書かれたもの。
30年あまり前のものだが、久しぶりに父の書いたものを見たので、何となくこみ上げてくるものがあった。
ありがとうございます。
家人がある方と話していて、私の隣寺での説教が良かったとお話ししていたよ。と伝えてくれた。ありがたい。
「腹を抱えて笑わせていただきました」と言われたそう。
笑いと一緒に仏法もきちんと伝わったっていますよね。
落語もお寺の「高座」から出ているということであるから、(釈徹宗さんが、そのあたりのことを書いた本をお出しになったようだ。読みたいと思っている。)笑いと御法座はけっこう近しいものだと言えるかもしれない。
でも、私が高座に座るのは、年に一回か?演台の前に立ってお話をすることがほとんどになってしまった。
遠くに住んでいらっしゃる御同行が亡くなったとの知らせが昨日あり、今日は、法名などをお送りした。
遠くであるから、高校の同級生であるお寺さんにお葬式は頼まれたとのこと。
地元のご縁があるものだと感心。
葬儀は失礼させていただくことになるが、一段落ついたときに、故人のお人柄に思いを馳せる。
会う機会はそれほど多くはなかったが、こちらに帰ってこられるとお寺にもお参りいただいていたので、思い出も多い。
御仏のもとで、私たちをお導きいただけるように、と法名をつけさせていただいた。
この如来 微塵世界に みちみちたまえり
出典:『唯信鈔文意』
掲示板に上の法語を貼りました。
阿弥陀如来はお働きの仏さまです。そういう意味で、微塵世界に充ち満ちていらっしゃるとも捉えることが出来るでしょう。
真宗教団連合のHPの中にこの法語のお味わいを村上泰順さんが書いておられます。
ご参考になさってください。