2013年2月23日 (土)

限りない世界

森田真円先生のお話をご聴聞する機会に恵まれる。

「限りない世界」と題して。

非常にわかりやすく仏様の教えをお伝えいただいたとよろこぶ。

たとえや例がまさしくその通りと思われるようにぴたりとはまり、なるほどそうであったと頷くところが多い。

昨日紹介した「悉皆金色の願」は、このお話の締めに出てきた。

私たちの命は、つながっている命で、私だけの命ではない。

私たちは阿弥陀様に願われている存在なのだ。

ある意味、真宗門徒にとってはなじみ深いところをお示しになった後、「悉皆金色」という言葉をご紹介いただく。

徳永道雄師のエピソード。

ノートに大きく「ものみな金色」と学生に書かせたと。

大切なもの(ここでは阿弥陀様の願い)がすぐそばに当たり前のように存在する。

私たちはそうでありながら目の前ばかり気にして、金色であるものに気づかない。

「南無阿弥陀仏」の念仏を称えるとき、まわりの「金」に目を向けていきたいものだと思う。

尼講お講むすび

本日(2月23日) 午後6時より

正信偈のおつとめ 法話 おとき

悉皆金色の願

大経の四十八願の第三願は「悉皆金色の願」といわれている。

設我得佛.國中人天.不悉真金色者.不取正覺

(たとえ、私が仏となっても、私の国の中の人々がことごとく本当の金色でなかったならば、私は仏にはなりません。)

大経(「仏説無量寿経」)は、親鸞聖人が最も大切にされたお経。

阿弥陀様の四十八の願が示されている。

第十八願が真宗では一番大事な本願を表しているのだが、

第三願は阿弥陀様(詳細にいえば法蔵菩薩)が「仏となるとき、国中の人がみんな金色でなっかたなら、仏にならないつもりだ}とお誓いになる。

阿弥陀様として今私たちの前に阿弥陀様はおられるのだから、この願は成就しているということになる。

私たちは皆金色に輝く存在。

そのことを心の中に持っていたいものだ。

2013年2月22日 (金)

聖徳太子

今日2月22日は聖徳太子のご命日です。(異説あり)

太子信仰というのは現代でも残っているようですが、浄土真宗のお寺には聖徳太子の絵が掛かっていることが普通です。(正善寺は、阿弥陀様に向かって左の余間にかけられています。)

親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主」(日本のお釈迦様)といわれ、大変尊敬されました。

親鸞聖人の御一生を学ぶと、節目に必ず聖徳太子のお導きがあるのです。

もう一度、聖徳太子のことを学びたい気持ちになっています。

明日2月23日(土) 午後6時より 正善寺では尼講のお講むすびをいたします。

2013年2月16日 (土)

本など

「お寺ごはん」青江覚峰

精進料理を食べようと思うと格式のあるお寺や精進料理を出す料理屋さんにでも行かないと無理なのでは?という印象があるかもしれない。

この本はお寺ごはんといいながらも家庭で作ることができるようにレシピを載せている。

そういう意味では身近に精進料理を感じさせてくれる。

といいつつ、これはレシピ本でありながら、仏教の智慧を伝える本でもある。

長寿の代名詞でもあるお坊さんの食生活には、どんな教えが息づいているのか、それを知り、感じてもらうには、ご自身の体験を通じていただくのが何よりではないかと思います。
肉、魚をつかわず、野菜をふんだんにつかうお寺のごはんは、体の中をすっきりととのえ、野菜を多くつかうことから、一般の食事に比べて非常に低カロリーで、ヘルシーです。
KAKU流お寺ごはんをぜひ、お楽しみください。

教えが息づいているのがこの本の料理であるし、随所に著者の掲載された料理についてのメッセージが書かれ、それをつなげて読んでいくと、筆者の思いがよくわかるようになっている。

仏教の智慧をあじわう、というのも乙なものではないだろうか。

自分では料理をしないので、うちでは読んだ後、我が家の料理長(?)にプレゼントした次第です。

話は変わって、あるところでお坊さんたちがこれからお寺で取り組むことをお話しする場に同席。

お寺によって規模が違い、宗派が違い、周りの環境、コミュティでのお寺の位置づけも違う。

よくもこれほどのことができるものだと、盛りだくさんの内容をお話しされる方、ともかくお寺の活動を維持し、教えを伝えたいという熱意を感じさせる方、将来お寺を担うときにこのようにしていきたいとおっしゃるお若いお坊さん、いずれもお寺というものに熱い思いを持っていらっしゃる。

質疑応答もどんどんと深く広がっていき、その場にいることにありがたさを感じると倶に、我が身の現実を鋭く問われた気持ちであった。

76000あるお寺が6000になると予測された方もおられるが、厳しい現実はたしかにあるけれども、このようなお坊さんが宗派を問わず、たくさんおいでになることは非常に心強い。

一方で「葬式仏教」といわれるような体質がお寺にあることも確かなことで、そちらに対する厳しい指摘も、心して受け止めなければならないのだろう。

などとつらつら考えつつ、皆様と倶にお念仏するところからすべて始まるのだと。

尼講のお講結び

2月23日(土) 午後6時より

お講さんの仲間に入りませんか?

当日お斎を用意いたしますので、用意の関係上、新しくご参加の方は早めにご連絡ください。

2013年2月12日 (火)

思うこと

昨日は叔父の葬儀。

知らせを受けた日は京都でご聴聞を喜ぼうと朝から京都に向かいましたが、京都に着くとすぐに知らせが・・・京都滞在時間1時間あまりで戻りました。

ちなみに真宗合同布教大会は盛会だったそうです。

正善寺でお話をしていただいた英月さんが司会、正善寺のお近くの方も出講されていたり、以前にお会いした方、お名前を存じ上げている方もたくさん関わっておいでだということで、楽しみにしておりましたが・・・

他にもご聴聞したいと考えていたものもありましたが、残念なことでありました。

話は葬儀関係に戻りますが、非常にばたばたとする葬儀の準備の中、納骨の際には長い間床に伏せっていた叔父が遺影とは全く違う感じで小さくなっていたことに改めて気づき、無常を感じる次第でした。

叔父の寺はうちとは派が違い、通夜や葬儀の際、いろいろな違いに気づかされました。

寺での葬儀ということもあるのでしょうが、最近の葬儀会館任せの葬式ではなく、台所に御同行が入っていていただいたり、いろいろな世話を御同行がしてくださいました。

葬儀を小さく簡単にという世の流れがありますが、多くの人が集まり手伝うという葬儀の形の中に、非常に暖かさを感じました。

死を悼むという人間らしい感情の発露としての葬儀を見た気がいたします。

叔父を多くの方々とともにお念仏で見送ることができたことに感謝したいと思う次第です。

2013年2月 3日 (日)

地区の仏教会

過日、国高地区の仏教界の懇親会に参加。

いろいろな話が飛び交う。

ある方が、うちの御門徒のおうちから出られた仏教辞典を編纂された方のことを調べていると。

御門徒さんから、偉い先生がうちから出たのだと聞かされてはいたが、そういう場で改めて聞かせていただくと、改めてすばらしいことと再確認。

宗派を超えて、こういうことを話す機会を得られたことは、非常にありがたい。

昨日、「鬼」の話を書いたが、川村妙慶さんのブログが「鬼」に触れておられる。

そちらも併せて読んでいただけると、よくわかっていただけると思います。

2013年2月 2日 (土)

ぬけぬけと

ぬけぬけと 「鬼は外」とは 笑止なり

2月の掲示伝導として上の言葉を掲示板に。

明日は節分。「鬼は外」の声が響き、恵方巻きを召し上がる方も多いのではないでしょうか。

「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす」

僧侶も世俗の者たちも、良い時良い日にとらわれて、天の神や地の神をあがめつつ、占いや祈りごとに余念がありません。なんと悲しいことなのでしょう。
親鸞 『正像末和讃』

親鸞聖人は弥陀一仏を信じ(阿弥陀様だけを信じ)、他の天神地祇をあがめたりまつったりすることに対して、この御和讃のようにいわれました。

私の理解では、他の神仏を信じてはいけないということよりも、阿弥陀様によって救われているのだから、ほかの神仏を信じると、阿弥陀様の信心を喜べないことを嘆かれたのだと考えています。

私たちの問題は、私たち自身の中にある三毒や煩悩といった私たちを苦しめるもの、つまり自分の身中の「鬼」にあるように思います。

それがわかっていながら、ぬぐい去ることはできない。

ぬけぬけと 「鬼は外」とは 笑止なり

少し言葉の調子がきついですが、我が身中の「鬼」のことを思っていただきたいと思う次第です。

尼講のお講結び

2月23日(土) 午後6時より

お講さんの仲間に入りませんか?

2013年1月27日 (日)

春の雪

やなせななさんは「歌う尼さん」として歌う浄土真宗の僧侶でいらっしゃる。

仏法を伝えるために歌を作っているつもりはないが、自分の歌が仏法に近づいていると感じているそうだ。

病気により、生死の不安を抱え、のりこえられてうたいつづけておられる。

あるところでやなせさんのお話を聞く機会を得たが、語られることが仏法の気づきに満ちていると感じる。

やなせさんご登場のラジオ番組が聴けるので、いかが?

ここをクリック。バスバトンフロム京都 2013/01/26 OA

報恩講

あるお宅の報恩講をつとめますが、

報恩講は親鸞聖人に関係するものです。宗祖聖人のご恩に報いる。

その意味では親鸞聖人の年忌法要も重ねられます。

親鸞聖人のご命日は11月28日(新暦に直すと1月16日に当たるそうです)

おとりこしといわれ、御門徒宅や末寺では一般的には本山の御正忌報恩講の前に勤めるということもいわれております。

上に書いたような事情からすると、あるいは時期が遅いといわれる向きもあるかもしれません。

しかし、夏に報恩講をおつとめのところもありますし、決して時期にとらわれるものではないと思います。

大事なのは報恩講をつとめ、宗祖親鸞聖人のことを思い、阿弥陀様のことを思う。

そのお心と思われます。

2軒の報恩講をこの時期につとめますが、このような意味でありがたいことと考える次第です。

2013年1月14日 (月)

お内仏報恩講

昨日はお内仏の報恩講でした。

正信偈のお勤め・ちょっと一服ティータイム・御伝鈔拝読・お齋

御伝鈔は上巻の第七段・第八段を拝読。その後、少し説明を。

信不退・行不退のお話・信心諍論のお話です。

皆さんには本文と意訳を配布して聴いていただきました。

尼講のお講結び

2月23日(土) 午後6時より

お講さんの仲間に入りませんか?

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カウンターなど