2012年7月24日 (火)

暁の人生講座2

東別院で行われている「暁の人生講座」

 「救いと問の念仏」 岩佐幾代師

この方は、親戚寺院にもおいでになったことがあり、何度かお話を伺っている。

いつもながらきちんと仏教・真宗の御教えをお伝えいただいたという感じである。

今年の夏は「問」と「身の事実」ということを、自身に問われてきたような感じだ。

姪御さんについてのエピソードは、感銘深かった。

 「師の跡を歩む」 家山勉師

はじめに高名な講師というわけでもないというような謙虚なお断りがあったが、この方のお話は心を揺さぶられるところ大であった。

金沢大学に居られ、明烏文庫の創設に深く関わった出雲路暢良先生の福井でのお話と姜尚中氏の言説をリンクさせたような内容。

まさに現代を生きることを問い返された思いがする。

正善寺からの御案内

尼講

7月25日(水) 午後7時より

正信偈のお勤め、法話(住職)あとはお茶お菓子でおしゃべり

どうぞお参りください。

御案内の訂正について

8月7日の御案内を差し上げましたが、一部8月7日(日)となっておりました。

8月7日()の間違いですので、ご訂正ください。

2012年7月22日 (日)

暁の人生講座

東別院の「暁の人生講座」で、御聴聞させていただく。

「念仏学校一年生」 宮戸道雄師

親鸞聖人の御指南ということで、ピックアップされたおことばに関連してお話になられた。

そうであったかと思わせられる点が多く、うなづく。

開講の日であったが、激しい雨の降る中、よくこれだけの方がお集まりになるものだ・・・・・・というあたりにも、感心しきりであった。

「生死を出る」 佐野明弘師

この方、サラリーマンの家庭で生まれ、禅宗の修行の後、真宗に、というご経歴なのだという。

そういう意味では、仏教に求められているものは、非常に大きく深いのではないだろうか。

静かな語りの中で、「身の真実」ということと、聖人がお求めになった「生死出づ」というところを、何かとても深いところでお伝えいただいたと感じる。

お話が終わり、ずいぶん長い間お会いしていない方からお声をかけていただく。

佐野師のお話をよく聞いていらっしゃるそうで、この方も、深いところで人間の生き方を求めておられるのであろう、と思われた。

2012年7月20日 (金)

夏御文章(夏のお文)

京都に用事があり、西本願寺の昼のお勤めにお遇いすることができた。

「夏御文章(夏のお文)」を拝読された。(「夏」は「げ」とよみます。)

わたし自身は、このお文にはあまり触れることはないのだが、ここかしこになるほどと思わせるところがあった。

女性が拝読されていたのには、少し驚く。

凜とした美しい声で読まれる「夏御文章」に、自らの仏様に対する姿勢を問われたような気がした。

東西の本願寺さんに行くと、女性僧侶のご活躍が目につく。

「女人成仏」を一つの課題とされた宗祖親鸞聖人の思いからすると、この状況は願いにかなっているのでは、と思う次第。

暁天講座

誠照寺さまの暁天講座にて御聴聞。

17日(火)花岡静人 師 (奈良県 本願寺派 勝光寺)
      講題「お浄土をたまわる」

昨年に引き続き、この方のお話を聴聞することができました。

ユーモアを交えながらも、深いお話を拝聴いたしました。

この方の語りは、絶妙です。

「お浄土」について、いろいろと考えを新たにさせていただきました。

19日(木)牧野豊丸 師 (福井市 大谷派 託願寺住職)
      講題「人身受け難し今すでに受く」

人として生まれた意味を深くお教えいただきました。

教えていただくところ甚大であったと思います。

お東のお説教は「問い」から始まると。

わが身を問い、仏法に照らし出されるわが身を思うことが、大切であるなと感じます。

東別院の「暁の人生講座」ある方からパンフレットや聴講券をいただきました。

44回目を迎えるということで、このように長く御聴聞の場が保たれていることに、感銘を受けます。

ご縁を結ばせていただきたいと思っております。

山元派でも、このような講座を・・・という動きが出ております。

聴聞の機会は、多い方がよいのですから、実現できるように、と願っています。

2012年7月15日 (日)

墓参会盂蘭盆会親鸞聖人750回御遠忌

有縁の方々には近日中に御案内を差し上げますが、

8月7日(火) 午後3時より

親鸞聖人750回御遠忌 盂蘭盆会 墓参会

説教 真宗佛光寺派布教使 佐竹英里子(英月)師

親鸞聖人の御遠忌を例年通りの盂蘭盆会・墓参会を合わせて執り行います。

今回、京都より佐竹英里子(英月)師をお迎えして、説教をしていただきます。テレビ出演など、多方面で仏教を広める活動に取り組んでいる方で、お話を聞かせていただくのが楽しみです。

英月さんが副住職を努めて居られる大行寺さんのHP

英月さんのブログ

どうぞ皆様、お参りください。

2012年7月10日 (火)

佛性寺さん永代経

一昨日は仏性寺さんの永代経でした。

お取り次ぎのご縁をいただき、話をさせていただきました。

話題は「願以之功徳」(回向句)について。

やなせななさんの「春の雪」を聴いていただき、そのお味わいを。

2012年7月 8日 (日)

浄土宗の人は

「浄土宗の人は 愚者になりて 往生す」

            (『親鸞聖人御消息』)

先日、掲示板の話でこの文言について書きましたが、思い違いをしていたことに気づきましたので、少し書かせていただきます。

当該の言葉は親鸞聖人が法然上人の言葉を消息(お手紙)にお書きになった者です。

故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひしうへに、ものもおぼえぬあさましきひとびとのまゐりたるを御覧じては、「往生必定すべし」とて、笑ませたまひしをみまゐらせ候ひき。文沙汰して、さかしきひとのまゐりたるをば、「往生はいかがあらんずらん」と、たしかにうけたまはりき。いまにいたるまでおもひあはせられ候ふなり。ひとびとにすかされさせたまはで、御信心たぢろかせたまはずして、おのおの御往生候ふべきなり。ただし、ひとにすかされさせたまひ候はずとも、信心の定まらぬ人は正定聚に住したま はずして、うかれたまひたる人なり。

自分が信心が定まっていない人が、賢そうな顔をしているのでは往生はどうなっているのかということをしっかり聴くことができない。自分の信心を固めることができるのは、そういう人ではなく、「愚者」だ、ということでしょう。

要は信心を獲得し、仏の光に照らされて、傲りたかぶりの心から解放されたところに、往生はあるのでしょう。

本山行事のお知らせ

墓 参 会 八月 八日 午後十時 午後二時

     法 話 三崎霊証師(西宮寺住職)

永代経会 八月二十日 午前十時 午後二時

     法 話 奥田順誓師(教應寺住職) 

改めてお知らせいたしますが、 八月七日 午後三時から 正善寺で墓参会盂蘭盆会を行います。

永代経 佛性寺さん

当日ですが、本日平成24年7月8日(日)午後3時より佛性寺さんで永代経が行われます。

お取りつぎさせていただきます。

どうぞお参りください。

2012年7月 4日 (水)

平等施一切

昨日のこととなりましたが、豪摂寺さんの暁天講座を聴聞させていただきました。

題は『平等施一切』(真宗三門徒派恵光寺住職 黒田昌英

お口とりということで、仏様が私の口を借りて言葉を伝えておられると・・・

なかなか個性あふれるお話で、例話もわかりやすく印象に残るお話でした。

「平等」の意味を仏様の視点から教えていただきました。

目についたものを。

「第44回 暁の人生講座」

開会 2012年7月21日(土)午前5時45分

と き 7月21日、22日、23日、24日、25日

    (毎朝午前6時~7時)

ところ 東別院本堂(聴講券1,500円 5日間共通)

21日 「念仏学校一年生」 宮戸道雄師

22日 「生死を出る」 佐野明弘師

23日 「救いと問の念仏」 岩佐幾代師

24日 「師の跡を歩む」 家山勉師

25日 「大切なものが見えない・聞けない」 池田勇諦師

2012年7月 2日 (月)

暁天講座 2

豪摂寺さんの暁天講座に御聴聞。

 『南無阿弥陀仏をとなふべし』

   真宗大谷派真浄寺住職 印牧秀峰師

御和讃の一説からとられた題。

「弥陀大悲の誓願を

 ふかく信ぜんひとはみな

 ねてもさめてもへだてなく

 南無阿弥陀仏をとなふべし」

御講師のお話の中で、「身の真実」という言葉が繰り返し聞かれた。

親鸞聖人は自分自身が煩悩具足の凡夫であり、私自身がそのことに気づくことによって救われるとお示しくださりました。

仏の願いとはほど遠い「身の真実」を抱えながら、仏になる道をお示しくださったのだと思います。

「浄土宗の人は 愚者になりて 往生す」

            (『親鸞聖人御消息』)

この言葉を掲示板に1か月ばかり掲示をしておきましたが、ある方からこれは(今の)浄土宗の方々を愚者と言っているようにとれると。

そうではありません。

親鸞聖人はご自分では「浄土真宗」という宗派を起こしたとは考えておられませんでした。

聖人自身が「浄土宗の人」つまり法然上人の教えを信じる人の一人という認識であられました。

自身の中の仏の願いにそぐわない愚かさを充分認識するところから、聖人の教えは始まるのだと思います。

聖人の言説は、ある場合には逆説的で、ともすれば一般的な常識を越えていることがあります。

しかし、そこにこそ真実を伝えようという聖人の思いがあるようにも思います。

掲示板には、様々な方の真宗に関わるおことばを掲示いたしますが、

中には意味を捕捉しがたいものもあるかもしれません。

そういうときは、お尋ねください。

そこからお聴聞が始まると思います。

現在は、この文言を掲示してはおりません。

1か月が過ぎたので・・・・

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