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2010年10月 7日 (木)

「悟るということ」

先に、川村妙慶さんのキエフでのお話に触れたが、その題が「悟るということ」だった。

この題に興味を持たれた方に。

妙慶さんのお話そのままではないのですが、新著「こんな時親鸞さんなら、こう答える」に関連するお話があります。

「19 誰かと比較するから本当の自分が見つからないのです」

キエフでは、お父さんとのエピソードは触れておられなかったと思うので、ここを読んで、お話の裏にあった、妙慶さんのお父さんの記憶に触れ、お話の意味を捉え直せたように思った。

ご法話は、後からしみてくるものですね。

ちなみに

「こんな時親鸞さんなら、こう答える」川村妙慶著 教育評論社 1200円+税

ISBN978-4-905706-54-0

是非手に取ってみてください。

2010年10月 5日 (火)

こんな時親鸞さんなら、こう答える

川村妙慶さんの新著「こんな時親鸞さんなら、こう答える」を読了。

難しいことをやさしく語ってくださる。

「親鸞さん」が、そして仏法が、妙慶さんをして語らせているという感じがする。

「「思い込み」を捨てる48のヒント」ともあるが、私たちは、自分の「思い込み」と自分とのギャップから苦しみを作り出しているのかもしれない。

その「思い込み」を捨てるのは、容易ではないのだが、とらわれている自分を知り、現実の自分を見ることは大切だと思う。

私の希望したことは与えられませんでしたが、与えられなかったことで、、私は大きな学びを与えられました。仏法に出会ったのです。(「あとがき」より)

これは妙慶さんの回心の表明であり、覚悟の宣言のように私には思われる。

こうすれば必ずうまくいくという感じでハウツーを説く本が多いが、この本の中には、等身大の妙慶さんの悩む姿や仏法に出会った喜びが至る所に読み取れるように思う。

決して上から諭すのではなく、御同朋としての目で書かれている。

一緒に仏様に遇いましょう。と呼びかけられているようだ。

2010年9月26日 (日)

川村妙慶さん

キエフでの川村妙慶さんのお話を聞きました。

夏にあった、ビヤガーデンでの催しがずいぶん盛況だったようで、そういうご挨拶が飛び交っていましたが、(私は参加していないので、楽しかったんだろうな・・・と想像していました)最初から和やかな雰囲気でした。

お食事もおいしくいただきました。

妙慶さんのお話は、ブログであまり詳しく書くのは差し障りがあるかもしれないので、簡単に。

「悟る」というのは「差(を)取る」こと。人と比べないこと。という風にまとめておきましょうか。

詳しくは妙慶さんのお話を聞いてくださいね。

数冊新著を持っておいでということで、最後の一冊を購入したようです。

詳しくは読んでからと言うことで。

2010年9月25日 (土)

川村妙慶さんの新著

こんな時 親鸞さんなら、こう答える」~思い込みを捨てる48のヒント  教育評論社より

正善寺にも法話のご縁をいただいた川村妙慶さんの新著が出るそうです。(妙慶さんのブログより)
「親鸞聖人ならきっとこう応えられるだろう」と真宗聖典をひもときながらおかきになったとか。

妙慶さんのお話は、いろいろなエピソード満載で、アナウンサーというお話のプロらしく、惹きつけられるお話なのですが、ご法話の魅力は、きちんと親鸞聖人をはじめとする真宗の教えの裏付けを持っておられるところです。

真宗聖典を携えながらお話の内容を考えておられることがよく分かります。

ご紹介のお聖教の言葉によって、私自身に問い直し、問い返しが出来る。

すばらしいことだと思います。

ご本を手に取るのが楽しみです。

本日、京都へ川村妙慶さんのお話を聞きに参ります。

『悟るということ』レストランでのご法話ですが、妙慶さんはちゃんと僧衣でのお出ましです。

2010年9月11日 (土)

死に支度の時代到来

昨日(9/10)の「福井新聞」に山折哲雄氏が「死に支度の時代到来」という文章を書いている。

「おくりびと」や「悼む人」から「遺品整理業」そして「糞土師」へと話題が進むのだが、「死に支度」を意識し、それを司る人々が現代でも必要とされているのだと改めて感じる。

「おくりびと」から「悼む人」まで、また「遺品整理人」から「糞土師」にいたるまで、我々の社会は今、われわれのためにもっとも根源的な仕事を提供し始めているように見える。かつての阿弥陀聖や高野聖たちのように、彼らは現代の「ひじり人」たちなのかもしれない。

山折氏はこのように文章を閉じているが、考えさせられるところだと思う。

現代は死というものを、カッコに括って日常から切り離そうとしてきた。見たくないものを見ない、という気持ちからなのだろう。しかしながら、人間は死を先のばすことは出来ても、死を避けることは出来ない。

人の一生のゴールが死であるならば、自分の生を考えるとき、死を考慮に入れないわけにはいかないはずだ。

仏教は真理に目覚めるための宗教といってよいのだが、日常に隠されてしまった死を直視すること、忌み嫌われ見ないようにされている死を生とともに捉え直すこと、そういうことが求められている時代なのかもしれない。

ちなみに、「糞土師」というのは、この文章で初めて知りました。面白い生き方をされているのだなと思います。伊沢正名という方なのですが、HPがありますので、詳しくはこちらで。

2010年8月11日 (水)

弘誓の船

福井新聞「心のしおり」には弘誓の船についての文章が。

阿弥陀様によってお浄土に参らせていただく道は船路だと言われています。

今は交通機関が発達しており、船の旅でなくとも安全で確実な旅が出来ますが、歩くくらいしか移動の手段がなかった頃。

船で旅をするのは、とても楽な方法であったでしょう。

阿弥陀様の救済が、これほどの易行であるというたとえは、言い得て妙ですね。

2010年8月 1日 (日)

つららの坊や

青木新門さん『つららの坊や』を読む。

雪山玲子さんがご紹介、朗読なさった本だ。

青木さんは映画の『おくりびと』が、死んだ後のことを書いてないので、原作者として名前を挙げないようにと言われた。

死んだ後のことが、後生の一大事が大切で、『おくりびと』は、送る側からしか描かれていないと。

『つららの坊や』は、主人公はつらら(五箇山のつららだ)だけれどちゃんと死のことを考え、死とは何かを周りから学び取っていく。

帯の山根基世さんの言葉が的確に本の内容をつかんでいるようだ。

死をテーマにしながらあたたかく、壮大な命の交響曲が聞こえてくる。

読み聞かせや朗読にもふさわしい作品だ。

子供たちに読み伝えられることを願わずにはいられない。

雪山さんの、声色を使い分けたすばらしい朗読を聴けたことが、改めて良い体験であったと思う。

2010年6月 5日 (土)

ブッド・バイ

雪山隆弘さんの「ブッド・バイ みほとけのおそばに」を読む。
雪山さんはすでに癌でお亡くなりになってしまっているのだが、僧侶である雪山さんの最後のメッセージという趣である。
「グッド…バイ」が元は、グッドがゴッド(神)であり、神をブッダに変えてブッド・バイ。
みほとけのおそばに、ということになる。
闘病記の趣であるが、ガントであって、雪山さんは仏をより身近に感じられている。
仏教の実践がここにあると言ってもいいだろう。

雪山さんのお寺善功寺さんのページがあります。そこから雪山隆弘さんのお説教も聞けます。

いろいろと活発に活動なさっているお寺のようです。

2010年4月29日 (木)

いまさら入門-親鸞-

川村妙慶さんの「いまさら入門-親鸞-」を読了。

本屋に並ぶ前に入手したにもかかわらず、なかなか読めずに今になってしまいました。

非常にわかりやすく、親しみが持てる本です。

親鸞聖人に関する本は多いですが、入門として読むには最適だと思います。

難しい本ではありません。引き込まれて一気に読めるような興味深い本です。

お薦めの一冊、売れ行きがよいのか、いろいろなところで売り切れと出ますが、、妙慶さんのブログによると、近々売り切れは解消されるようですので、是非手にとってご一読ください。

2010年3月18日 (木)

いまさら入門-親鸞-

川村妙慶さんの新著「いまさら入門-親鸞-」を、本屋さんに並ぶ前に入手することができました。

さらさらと眺めた程度しか読んでいないのですが、「はじめに」のこんな言葉に惹かれました。

 私の出会った親鸞聖人をそのまま書かせていただいたらいいのだと思い、自分の生活や経験を通して、親鸞聖人の教えがどう響いたのか、どう考えがかわったのか、なにがひっくりかえされたのか、それを素直に書かせていただくことにしました。

 親鸞聖人のお言葉を私の身に響かせていると、埃のついた太鼓のように出るわ出るわ身体から埃がどんどん出てきたのです。

回心(えしん)という言葉があります。教えを聞いてそれこそ心が変わり、ひっくり返されるということなのでしょう。

 親鸞聖人を最近取り上げた五木寛之さん・津本陽さんも、もちろん親鸞聖人に出会い、自分の身体や信仰をくぐり抜けた親鸞聖人を描かれているのだと思います。回心ももちろんあったことだと思います。

妙慶さんの回心をいただくつもりで、この本を読んでみたいと今思っています。

 

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