本・新聞 Feed

2010年3月17日 (水)

アジャセからの贈り物

都路恵子さんの「アジャセからの贈り物」を読了。

浄土三部経では、観無量寿経にアジャセが出てきますが、どちらかというと観無量寿経はイダイケ夫人を中心に書かれています。

親鸞聖人は「教行信証」では、アジャセに注目します。

それは、アジャセが悪人であることが大きな理由なのでしょう。

この本は、「教行信証」に書かれたアジャセに注目します。

アジャセの救いにある意味で、親鸞聖人の求めたものがあるのでしょう。

「教行信証」は難しいという印象のある本ですが、都路さんは「教行信証」を耳で聞くことをすすめられています。CD で朗読もついています。

語り口もやさしく、かみ砕くような感じで読みやすいものです。

興味深い本として一読おすすめいたします。

2010年3月16日 (火)

川村妙慶さんのDVDと新著

川村妙慶さんのDVD『川村妙慶のこころの法話』が発売されています。

私は未見なので、(もうすぐ届くことになっています)詳しいことは見てから書くことにしますが、2枚組で4話入っているということなので、ご法話のDVDとしてはお得なのではないかと思います。(3990円) 方丈堂出版から。

妙慶さんのブログには、新著「いまさら入門-親鸞-」が妙慶さんのお手元に届いたとの記事がありました。20日に書店に並ぶということだそうです。

こちらも早く読みたいものです。

2010年2月24日 (水)

愚者になれ

「毎日新聞」の「心のページ 『愚者』として生きる」は浄土真宗本願寺派大谷光真門主のインタビュー記事。

『凡夫』『愚者』という浄土教の考え方が、ニヒリズムに陥りがちな不安の時代を生き抜くための重要な手がかりだという。

自分の有限性を知り、凡夫が凡夫のまま救われる。

ありのままを認めると言うことは、難しいことですが、そこに救いがあるのだと思われます。

2010年1月17日 (日)

今しかできないこと

海原純子さんの「心のサプリ」は「今しかできないこと」(「毎日新聞 日曜くらぶ」)と題する文章。

次のような一節があります。

私自身は、若くなくちゃできないことを追い求めるのはやめにした。

年をとったら、年をとらなくちゃできないことがあるからだ。

年をとる、という一見ネガティブなイメージの環境でも、「そのときにしか

できないこと」を見つけようと心がけると、しゃんとするものだ。

今の価値観は「若い」がいいことで「老い」は価値がない、できればなりたくないこと

のでしょう。

アンチエイジングという言葉は、ずいぶんよく目にしますね。

しかし、それはある意味「若さ」にとらわれていることなのではないでしょうか。

「老い」はすべてがプラスとはいえないかもしれませんが、おいて初めて見えるもの、できることもあるでしょう。

あるがままを受け取ることが大切。

「若さ」というとらわれを突き破る何かを見つけていきたいものです。

2010年1月15日 (金)

無量の光

今は津本陽さんの『無量の光』を読んでいます。

五木寛之さんとともに、親鸞聖人を小説に取り上げておられます。

五木さんのはどちらかというと、おもしろい小説という感じですが、津本さんは、淡々

と親鸞聖人像を形作っていく感じです。

津本さんには、『弥陀の橋は』という親鸞聖人を取り上げた作品があり、なかなかい

い小説です。

750回忌が近くなり、親鸞聖人と法然上人(800回忌)についていろいろと書かれたり

する気運がいよいよ高まるのかもしれませんね。

そういうものを通して、親鸞聖人や法然上人を見直していきたいものです。

2010年1月14日 (木)

親鸞 五木寛之

五木寛之さんの「親鸞」を読了。

評判になっている本ですね。新聞にも連載されていましたね。

小説ですから、創作の部分もかなり多いようですが、五木さんの親鸞像がよく現れているのでしょうね。

特に、悪人という意識が親鸞聖人の中でどのように作られてきたのかが、興味深く思われました。

さすがに五木さん、非常におもしろく読むことができました。

2009年12月30日 (水)

痴心未了

「福井新聞」の「心のしおり」では、了慶寺住職の藤枝宏壽さんが高光大船の句を紹介しておられる。

痴心未了今年の秋も暮るるらし 高光大船

藤枝さんは、「痴心未知」に言及して私たちに煩悩を知ることの大切さを説かれるのだが、煩悩を持っているという私の姿を知ることは、重要なことだと思う。

何よりも、私たちが煩悩を持ち、その煩悩が果てることがないことを読む高光大船の句は、私たちの真の姿を映し出す、阿弥陀様のみひかりにも似た趣がある。

私たちは、一生煩悩から切れることがない。そのことを認識した上で、はじめて何かが捕まえられるのだろう。

いい句を紹介していただいたことに感謝したい。

2009年12月20日 (日)

心の満足

海原純子さんの「心のサプリ」(「毎日新聞」)の一節。

物質的に満たされない社会だからといって、必ずしも心が満たされないわけではない。

(中略)

効率で考えれば切り捨てるべき人の手助けをあたりまえだと考え、歌いながら水を運んでいた姿は今も私の脳裡に焼き付いている。

仕方なく手助けをするのと、あたりまえだから手助けをするのは違う。

せねばならぬことと、自然にできることの違いともいえる。

この差は、他者に共感できる力の差でもあろう。

仏教は「自利利他円満」を目指す利他行を言います。

せねばならぬこととして人助けを考えると、それは辛い義務になってしまうかもしれません。

でも、あたりまえとして、自分のことと感じてできれば、それは自然な行為になるのでしょう。

自分の利益や効率を優先させるとなかなかこういうことはできませんが、「他者との共感」できる社会になれば、自然と「利他」に目が向くのでしょうね。

自戒も込めて、海原さんの文章を味わうところです。

2009年12月16日 (水)

心コロコロ介護のこころ

川村妙慶さんと川村寿法さんの共著「心コロコロ介護のこころ」を読ませていただきました。

寿法さんと妙慶さんはご兄妹。お母さんの介護に当たられた経験も。

帯の言葉を引いておきましょう。

苦しかったり、つらかったり・・・・・・

心がコロコロ変わって尽きることのない介護の悩み。

なかよし僧侶兄妹が、仏さまの教えを通じて

心をホッと楽にさせてくれます。

介護の悩みを身をもって知っているものではありませんが、いろいろ見聞きするところでは、介護者にとっても、要介護者にとっても、苦しみやつらさを伴うのが介護であるということはわかります。

その苦しみや悩みを仏教の教えをもとに解きほぐそうとしてくれるのがこの本。

今回、寿法さんのウサギと亀についてのお考えをまとめて読めたのがうれしく思われます。

妙慶さんの御著書や寿法さんのブログなどで、寿法さんがウサギとカメの話を御説法や演劇に取り入れていることは知っていましたので、顔見知りの友人と改めて深くわかり合えたような感じです。

介護が目前の問題としてある人も、そうでない人も(いつ介護される・介護する という立場に立つかわからないのですから、すべての人が心の準備が必要だと思います)仏さまの教えを通して、介護を考えてみませんか?

2009年12月15日 (火)

無根拠の信

『ひろさちやのほどほど人生論』(「日刊県民福井」)は「無根拠の愛」という題。

その最後の一節を書き写してみましょう。

 信ずるということ、また愛するということは、無根拠のものでなければなりません。

理由も根拠もなしに、「ただ愛する」「ただ信じる」というのが、本当の愛であり、信なのです。

親鸞聖人は「絶対他力」といわれました。

「信心」に重きを置かれました。

私たちは、阿弥陀様を「ただ信じる」、これが大切なのではないでしょうか。

詳しくは、ひろさちやさんの文章をお読みいただきたいと思いますが、根拠や理由のある「信」は、何か見返りを求め、私の思い通りになってほしいという心からのものです。

真宗の信心は、「如来より賜りたる信心」。

自分が信じようと思って、理由や根拠を求めて信じるのではないのです。

阿弥陀様からいただいた信心なのです。

「ただたのむ」ということなのです。

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