地域 Feed

2009年11月 2日 (月)

明日は報恩講

明日は正善寺の報恩講です。

皆さん、お参りくださいね。

明日、皆さんに配る寺報から一部抜粋。


THE SHOUZENJI TEMPLE                         

 正善寺の寺報の第2号をお届けいたします。今回は報恩講ですので、報恩講についてお伝えいたします。併せて、報恩講のお勤めについてもお知らせいたします。どうぞ、皆さんご一緒にご唱和ください。

報恩講について

●親鸞(しんらん)聖人の徳に報います

 報恩講は浄土真宗門徒(信徒)にとって、一年中でもっとも大切で、親しみ深い行事です。浄土真宗の御教えを明らかにしてくださった宗祖・親鸞聖人の法要だからです。

 聖人は弘長二年(1262年)十一月二十八日、九十歳の生涯を京都でとじられました。そして聖人ののこされた徳をしのんで、毎月二十八日に門徒たちによって、お念仏の集まりが行われるようになりました。これがさらに大きく広がって、法会(ほうえ)の基本となる形ができあがりました。

 そしてこの法会の集まりを「講」というようになりました。聖人のご恩に報い、お念仏を一層ありがたく味あわせていただこうということから「報恩講」と呼ばれるようになったのです。

●本山とご家庭のおつとめ

 おつとめの期間は、ご本山では十一月二十一日~二十八日までつとめられます。
 さらにこの期間と前後して、末寺や一般の家庭でもおつとめをします。

 ご家庭でのおつとめは特別むつかしくはありません。秋から冬にかけて家族そろっておつとめできる日に、住職とともに正信偈(しょうしんげ)《聖人が示された浄土真宗のもっとも大切な教えが説かれたもの》をあげましょう。この時のお仏壇の荘厳(しょうごん)《お飾り》は、ローソクは赤、打敷(うちしき)は金襴などのあざやかなものにします。

 ご家庭での報恩講について、予定ややり方など、住職にお聞きになりたい方はどうぞご遠慮なくおたずねください。今まで報恩講をやっていなかったおうちでも、今年からやろうということでしたら、御仏縁に遇うよい機会ですので、どうぞおはじめください。

2009年11月 1日 (日)

ご法話の受け止め方

川村妙慶さんのブログに「法話はいい話として聞くのではありません」というお話が掲載されている。

ご法話をいただいたあと、「いいお話をありがとうございました」と決まり文句のようにいってしまっている自分のことをちょっと反省。

妙慶さんはこう言っておられる。

 聞いて聞いて、それでも「わからん」
 それでも聞かせていただき、この身にいつも問いかけていただくきっかけが、 法話をいただくということなのではないでしょうか?

法話を聞くということ、信心をいただくということ、そういうことを自分の身に問い直してみることにしたいと思う。

2009年10月29日 (木)

報恩講のお知らせ

正善寺の報恩講を次のように行います。

11月3日 逮夜 午後三時より

          お勤め  正信偈真四句目下げ 念仏和讃

      初夜 午後七時より

          お勤め  正信偈草四句目下げ 念仏和讃

          御伝鈔拝読  

      説教 覚善寺殿(逮夜・初夜とも)

どうぞ皆様お参りください。

2009年10月27日 (火)

27日尼講での法話

今回は報恩講の前なので、報恩講に欠かせない『御伝鈔』の紹介。

情感の第一段第二段を紹介しながら、親鸞聖人が得度されてから比叡山を下り、吉水に法然上人を訪ねるところについてお話をさせていただきました。

2009年10月22日 (木)

恩を報じ徳を謝せよ

「浄土文類聚鈔」の中にある聖句を掲示板に貼らせていただきました。

恩を報じ徳を謝せよ

報恩講の季節です。

このお言葉を深く味わいたいと思います。

2009年10月21日 (水)

尼講のお知らせ

今月の尼講は、27日に行います。

正信偈のお勤め、住職の法話。

そのあとはお茶とお菓子をともにおしゃべりなどをいたしましょう。

尼講

10月27日(火) 午後七時より

2009年10月 6日 (火)

サンキュー・ブッダ

これも、「心のしおり」掲載のものです。

サンキュー・ブッダ
 ある講演で、海外布教をなさった方のお話を聞きました。その方は「南無阿弥陀仏」をどのように英語に訳したらよいか、ずいぶんと思案したそうです。ある時、寺に集まった子供たちに「南無阿弥陀仏」を英語でなんと言ったらよいかと質問をしたそうです。その答えが「サンキュー・ブッダ」(仏さま、ありがとう)。
 私たちは、漢字ばかりで書かれた「南無阿弥陀仏」を難しいものと思いこんで遠ざけてしまっているのではないでしょうか。しかし、この話によって「南無阿弥陀仏」はきわめて身近な感謝の言葉であることに気づかされます。
阿弥陀如来は法蔵菩薩と呼ばれていた頃、摂取不捨のお誓いをたてられて仏となられました。衆生すべてを一人残さず救う仏さまです。私たちは、どんなにがんばっても煩悩を離れられない凡夫です。普通ならばこのような私たちを救うとは考えにくいのですが、阿弥陀如来は自ら救うとお誓いになったのです。このような広大なお慈悲を私たちは感謝せずにはいられない。その感謝の言葉が「南無阿弥陀仏」なのです。

2009年10月 4日 (日)

報恩講

今日は佛性寺さんの報恩講でした。

10月から11月にかけては、住職にとってはお寺での報恩講の季節です。

また、10月から12月にかけては御門徒のお家での報恩講も報恩講のお勤めをさせていただきます。

正善寺の報恩講は11月3日。

報恩講は、親鸞聖人の御恩に感謝する意味とともに、聖人の年忌法要という意味もあることになります。

(報恩講の初夜には、お通夜の意味もあるそうです。

これをお読みの方の中には、報恩講の夜にお寺に泊まり込まれて、一晩中、親鸞さんをお守りされた、という体験をお持ちの方もあるかもしれません。

当寺では、一日だけのお勤めですので、初夜のお参りがお通夜ということになるのでしょう。)

当寺では、初夜に親鸞聖人の御一代記ともいえる御伝鈔をあげさせていただきます。

また、御伝鈔の内容を絵で伝える御絵伝を余間にかけております。

聖人の御一生を改めて振り返る機会でもありますので、夜のお勤めはお出かけになりにくい面もあるかと存じますが、初夜のお勤めにお参りいただきたいと存じます。

仏はつねにいませども

かなり以前に書いたものですが、読み返してみて、読んでいただける人があれば、という気持ちになりましたので、載せてみたいと思います。「福井新聞」の「心のしおり」に掲載されたものです。

仏は常にいませども

 仏は常にいませども

 現(うつつ)ならぬぞあわれなる

 人の音せぬあかつきに

 ほのかに夢に見えたもう     (『梁塵秘抄』)

  『梁塵秘抄』は後白河法皇の手で編集された「今様」(当時の流行歌謡)の歌詞集です。

この歌詞も、当時の人々に広く口ずさまれたことでしょう。

当時は多くの人が身近に仏さまを感じてたように思われます。  

阿弥陀如来はお働きの仏さまです。

お働きは私たちの目には見えません。

私たちが「仏さまを拝む」という時、仏像や絵像に向かって拝む姿を思い浮かべます。

私たちは、拝むときに目に見える対象がないと拝む方向に迷ってしまいます。

ですから「方便」として仏さまのお姿を写した絵像や仏像を拝みます。

しかし、仏さまは「常においでになるが、現実に見えないのが感慨深い」のです。

仏さまのお働きにみちみちているこの世界。

しかし、私たちが目に見えないものを信じなければ、「今様」を口ずさんだ古人(こじん)のように仏さまのお働きに感動することは難しいでしょう。

仏さまに手を合わせ、そのお働きを思っていただきたいものです。

新聞掲載のときとは、表記を改めたところがあります。

自分でも久しぶりに読んでみたのですが、皆様に何かしら伝えられるところがあれば、ありがたいと存じます。

2009年9月29日 (火)

尼講での法話

23日の尼講では、こんなことをお話ししました。

川村妙慶さんの新著『あなたは、あなたでいい』の「自分をじっくり知ろう」を紹介。

真宗は、死んだ人を供養することは主眼ではなく、今生きている私に向けた教えであるのです。

〈自分をじっくり知る〉ということは、教えを受け取るのに是非とも必要なことなのです。

「“どういう人間として生きるのか”という自明(自分を明らかにすること)が、何よりも大切です。」

「自分という中身をしっかりと見てほしいと願う教えが、仏教です。」

(「自分をじっくり知ろう」より)

お彼岸は到彼岸ともいいます。仏の国に到達することです。

どうすれば仏の国に到達できるのか。

それは自分をよく見つめることです。

阿弥陀様は、光の仏さまです。(無量光)

阿弥陀様の光に照らされたとき、自分の姿が明らかになります。

Powered by Six Apart

カウンターなど