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2011年3月

2011年3月27日 (日)

親鸞聖人の屏風絵

東本願寺で、『スラムダンク』や『バカボンド』の井上雄彦氏の描いた屏風が公開されるという。750回忌の記念事業ということ。一般公開もされるという。

記事によって、表現が少し違うのだが、若手僧侶からの発案ということらしい。漫画家が宗祖聖人の屏風絵を描くというあたりに、いろいろな思いを抱く人がいるのだろうが、若者(?)の心をつかんできた方の絵には、確かな力があるように思われる。(小さな写真を見ているだけだが…)

10日で仕上げたとか、この絵が芸術として価値があるか否かとか、いろいろと論議があるようだが、井上氏の次の言葉は、親鸞聖人の教えの在り方を言い得ているという気がする。

表情に苦悶が張り付いたとしても、一人一人の存在や表情の奥にあるものは尊いものであってほしいという思いを込めた。

どこに目や意識を向けるかで、力の抜けたような、ほっとした表情になるのではないか。       

 (「福井新聞」による)

被災地へのメッセージということだが、苦悶とほっとした表情の共存というあたり、聖人の御一生の有り様を思わせる。

2011年3月23日 (水)

教団連合HPの山元派證誠寺の地図

真宗教団連合のHP中の真宗山元派 證誠寺の地図がグーグルマップの表示に変わりました。

教団連合HPの「親鸞聖人を訪ねて」の中の證誠寺のMAP・アクセスに使われているのと同じ物ですが、縮尺を変えたりでき、以前の地図より、数段見やすくなっていると思います。

本山證誠寺にお越しの際には、ご参考になさってください。

御遠忌にお参りになる方も、こちらでご確認ください。

http://www.shin.gr.jp/member/yamamoto/ 

(真宗山元派 證誠寺 紹介ページ)

http://www.shin.gr.jp/member/yamamoto/750.html

(山元派 七百五十回忌 紹介ページ)

来月の尼講

来月の尼講は蓮如忌にあわせて、4月24日(日)に行う予定をしております。

山元派と蓮如さんとの関係は、歴史的には、ある意味微妙なところがあるのですが、蓮如さんの絵像を本山から賜っており、それをお掛けし、蓮如さんの教えを学びたいと思います。

ブログにも書きました「いきているってふしぎだね」の著者よしいけ道さんに感想を書いたメールを差し上げたところ、丁寧なご返事をいただきました。

このブログも見ていただいたそうで、嬉しい限りです。

仏さまのご縁ですね。

2011年3月22日 (火)

いきているってふしぎだね

「いきているってふしぎだね」(よしいけ道 法蔵館)を手に取った。

絵本。作者が福井の方(お寺の坊守さんだそうです)なので、福井の本屋さんでは、よく見かける本ではないだろうか。

生きるということについて、かわいらしい絵と素朴な詩で、私たちに語りかけ、問いかけてくれる、そういう趣の本。

難しい言葉で書かれているわけではないけれど、生きることの深いところに触れている、そんな本です。

詩の最後のページに「それぞれの詩の中に?をさがしてくださいね」ということばがあり、作者の読者に対するメッセージが、このあたりによく表れているように思う。

この方のHPがなかなかステキで、この本に収められている詩や、ほかの詩も読めるし、かわいらしい絵も満載。是非ご覧ください。

法蔵館のページ(仏教書総目録)からは、この本のPDFファイルも見ることが出来ます。

2011年3月21日 (月)

尼講終了

お彼岸のお中日。

本山の御日中に出勤。

その後、法話について考えつつ、尼講の時間を迎えることに。

参加者の皆さんの話題の中心は、このたびの地震や津波のことであった。

(地震について、ここでは何も書いていませんでしたが、惨状に胸を痛めております。被災地の方々の被害は大変なものですが、それぞれの方が、きちんと受けとめ、心落ち着かせていただくよう念じております。)

法話でも最初に地震のことに触れたが、参加者の皆様の関心の大きさは大変なもの。未曾有の出来事であったことを再確認。

教団連合の法話カレンダー3月の「帰命は本願招喚の勅命なり」(教行信証)の親鸞聖人のお言葉を紹介し、阿弥陀如来の本願についてお話しし、阿弥陀様からの呼びかけに気づかせていただくことが、私たち真宗門徒にとってのお彼岸のあり方ではないか、というような趣旨で。

法話で、昨日話題にした『お寺は何のためにあるのですか?』のことを少し触れたためか(?)、お茶の時間はお寺の在り方についていろいろとおしゃべり。

尼講

今日3月21日はお彼岸のお中日です。そして尼講の日です。

尼講

3月21日(月) 午後7時

正信偈のお勤め 法話 お茶とお菓子とお喋りと

どうぞお参りください。

「お寺は何のためにあるのですか?」法蔵館

ちょっと気になる題の本を手に取った。

「お寺は何のためにあるのですか?」法蔵館

お寺はいったい何のためにあるのか。

本当に必要なのか。

というところを突きつけられるような問題提起が最近多いように感じる。

お寺も以前と同じような形のままでいることに対して、疑問に感じる人が多くなってきているのだろう。

宗教心、信仰心が薄くなったと嘆くだけでなく、お寺の存在意義を見直すことも必要ということだろう。

真宗のお寺は死者の追善供養をするためのものではなく、今生きている人のためのものだというあたりを、再確認させてくれる。

ちなみに著者は坊守さんで僧侶、結婚してお寺に入ってから真宗のことを学んだのだそうだ。

ブログもありますが、実は、私、この方のブログということを知らずに、面白いことを書いている坊守さんだな、と思って時々読んでおりました。著書の題も知っていたので、びっくりしました。

こういう感じの根源的な問題を分かりやすく書くのは、女性の視点から見ることが意味が深いように思われる。

2011年3月20日 (日)

彼岸会

お彼岸ですね。

本山證誠寺の彼岸会に出勤。

明日、あさっても勤まりますので、どうぞお参りください。

明日はお中日。

正善寺でも尼講(午後7時)を行いますので、お参りください。

2011年3月 6日 (日)

美人尼僧の「ひと言」説法  2

他宗の方もご姉妹が一組紹介されていますが、真宗関係の方だけ紹介。

ひょっとすると、真宗は美人尼僧が多いのか?

瑞光寺(浄土真宗本願寺派)コンフレット・アテナ・ガブリエラ(釋照慧)さんはルーマニア出身で浄土真宗の教えに感銘を受けて布教使の資格を取ったという。

お浄土の法則とは一日一日自分の力で生きていると思っても気が付けば大きなご縁の中で生かされている。生まれて死ぬまで私が縁です。 

と色紙に書いておられる。ご縁は仏教の大事な教え。

正念寺(真宗大谷派)川村妙慶さんは、「無碍の一道」と色紙に揮毫。

二河白道のたとえから、「無碍の一道」をわかりやすくご説明。

道は初めからあるわけではなく、険しくてもかき分けかき分けて歩いていったところが道になるのです。 

妙慶さんの体験と仏教の教えに裏打ちされたお言葉と感銘を受けた。

妙慶さんは3月3日(木)にTBS「スパモク !!お坊さんがズバリ!解決!紳助の駆け込み寺 」にもご登場。

話題の5人の僧侶のうちの一人として。「癒し系僧侶」というキャッチフレーズで。

ブログによると、多くの反響が寄せられているようです。

あまり目立たないようにしていらっしゃったというふうに聞いていますが、回答の時には、妙慶ワールドが展開されました。

他の出演僧侶の個性がスゴイので、かえってしっかりお話を聞けたような感じでした。

それにしても、そうそうたる僧侶メンバーを前に、回答をまとめきる紳助さんはある意味スゴイ人だと感心。

美人尼僧の「ひと言」説法 1

いささか旧聞に属するのかもしれないが、「週刊ポスト」3/4には、標記の白黒グラビアページが。

男性向け週刊誌、「美人」という表題から興味本位の物か,というふうに取る向きもあるかもしれないが、紹介されている方々の説法は、なかなか味がある。

玉蓮寺(真宗大谷派)白木澤琴さんは,色紙に「迷いながら生きています」と揮毫。

“解答”を出すことは停滞につながりますが、“迷い”はどこまでも私たちに歩みと道を与えてくれます。

一見逆説のようにも響くが、生の実相はこういうところにあるのかもしれない。親鸞聖人のお言葉を踏まえている。

大行寺(真宗仏光寺派)英月さんは色紙に「阿弥陀ビーム」と揮毫。

阿弥陀様の本願というのは、『絶対にあなたを助けてやる』という“絶対肯定”なんです。こういう存在って、他にはないんですよ。こんないい加減でダメな自分さえもいつも守ってくれる阿弥陀様がいる。阿弥陀ビームがあれば不安なんて何にもないはずです。

弥陀の本願を「阿弥陀ビーム」という親しみやすい言葉で、私たちにお伝えになる。

東本願寺(真宗大谷派)鈴木君代さんは色紙に「いのちの花を咲かせよう。赤い花は赤く白い花は白く」と揮毫。

あなたが赤い花だったら、赤い花を、白い誰かは白い花を咲かせればよい。仏さまから一人一人に“種”がプレゼントされていて、それぞれの花を咲かせることが私たちの仕事なんです。悩みを抱えたまま“安心して”悩み苦しんでいい。違う自分になる必要はありません。

「赤色赤光。白色白光。」の教えを説く。

この方、「お坊さんにあこがれてお寺に入ったの」の方です。一度ライブで聞いてみたい。

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