永代経のご案内
ご案内
◆永代経法要
七月三日(日)
日中 午前十時より(内勤め)
逮夜 午後三時より(村国山元派寺院結集)
説教 住職
どうぞ皆様、お参りください。心よりお待ち申し上げます。
当日、施本として「お念仏のよりどころ-永代経のこころ-」を用意してございます。
こちらもお読みいただき、「永代経」の意義を共に考えたいと存じます。
ご案内
◆永代経法要
七月三日(日)
日中 午前十時より(内勤め)
逮夜 午後三時より(村国山元派寺院結集)
説教 住職
どうぞ皆様、お参りください。心よりお待ち申し上げます。
当日、施本として「お念仏のよりどころ-永代経のこころ-」を用意してございます。
こちらもお読みいただき、「永代経」の意義を共に考えたいと存じます。
春の永代経をお勤めいたします。当寺では、春の永代経では次のお経をあげさせていただきます。
日中 仏説阿弥陀経(小経)・・・「同朋勤行集」使用の予定
逮夜 仏説無量寿経(大経)
大経は阿弥陀様の四十八の誓願が述べられています。
その第十八願は王本願ともいわれ、衆生を救うというお誓いです。
小経はよくあげられるなじみ深いお経です。
極楽浄土の様子が描かれているお経です。
この二つのお経と「仏説観無量寿経(観経)」を合わせたものを、浄土三部経といい、浄土真宗のよりどころとなるお経です。
当寺では、春の永代経で大経と小経・秋の永代経で観経と小経をあげ、浄土三部経をあげさせていただきます。
永代経当日、有縁の方々には、宗祖親鸞聖人750回御遠忌の記念として編まれました「同朋勤行集」を配布いたします。
数に限りがありますので、前もってご案内させていただいた方に限らせていただきます。
申し訳ありませんが、2冊以上必要という方、案内を受け取っていない方には、志納をお願いしてということになります。
現在、在庫に余裕がありませんので、永代経当日、その旨お伝えいただきたく存じます。後日、お渡しいたします。
本日の尼講、終了いたしました。
お参りいただいた方々、ありがとうございます。
法話は、750回忌のお話から、盲亀浮木のお話・・・仏さまのみ教えに遇うのはむずかしい、という話から、田中好子さんのメッセージについて、恩徳讃について・・・
いろいろと質問もいただいて、自分も気づいていなかったことの指摘があり、いろいろとお教えいただきいました。
来月も27日です。
尼講 7月27日(水) 午後7時より。
よろしくお願いいたします。
まだに前シリーズを追っかけ中の「親鸞なう」フォローです。
「被災地支援呼び掛け 寺の役割(8)」は専光寺の佐々本尚住職を紹介している。
親鸞なうの取材班はこの方のフットワークの軽さに感心し、新しい住職像をこの人に見ているようだ。
被災者支援ということで、「親鸞なう」は、本願寺派の活動紹介が多かったが、大谷派の活動もなかなか活発であったようだ。
被災者に門徒さんが多いということもあるのだろうが、本派大派の活動には、利他行の実践が感じられ、大いに感じ入るところ。
佐々本さんの活動に興味のある方は、「大谷派 ボランティアネットワーク福井」「愚案記」もどうぞ。
佐々本さんの記事、いろいろと思うところが多いが、一応このあたりで。
本日尼講を行います。よろしくお参りお願いいたします。
尼講
6月27日(月) 午後7時より
正信偈のお勤め 法話 あとはお茶とおしゃべりと
新しいお仲間も歓迎いたします。ぜひ正善寺に足をお運びください。
浄徳寺さんの永代経も終わりました。
ご法話では、今回の御遠忌で感じたことをお話しし、
そのあと、苦は我にこだわることから起こる。
そこから逃れるためには、私のはからいをすて、阿弥陀様にお任せすることだと。
中島潔さんの「大漁」(金子みすゞの詩をモチーフにした絵)の3作目から4作目の変遷を紹介しつつ、お浄土のお話を。
ちょっと前置きが長くなり、お話が長くなってしまいました。
みなさんご静聴いただき、ありがとうございました。
今日の「福井新聞」の「親鸞なう」は、一面(26面)で「県内4本山 宗主に聞く」が。
ご一読ください。詳しくはあとで。
「働く女性から転身 寺の役割(7)」は、企業戦士から坊守住職と歩んだ教順寺の小泉雅子住職を取り上げる。
次々と寺の後継者が亡くなり、寺の住職となられたようだが、そのあたりの大変さは察してあまりあるものだったろう。
お寺に足を運んでいただこうと様々なイベントを企画する企画力はすばらしいが、これも強い思いがあったからなのだろうと思う。
小泉住職は会社を辞めて、寺に帰った日の感覚が忘れられないという。「本堂で手を合わせたとき、肩の力がすーっと抜けていった。すごく温かなものに包まれた。本堂の空気が私の心を解きほぐしてくれた」。小泉住職の活動は、「会社で一生懸命働く人たちに、自分と同じ気持ちを味わってもらいたい」という願いが出発点になっている。
最後の部分の引用だが、お寺がこういう場であってほしいものだと思う。
寺院経営という面では、霊園経営とか納骨堂の建設とかの問題は出てくるのだろうが、お墓のことをあまり云々したくはないという気持ちが私にはある。
お墓というものの存在が、真宗的には位置づけがよく分からないところがあるからだ。
たぶん、真宗の教えのなかには、お墓がなくてはならないものだといった意識はないと思う。
お墓が全くないという地域があり、それこそ真宗の教えにかなっているという言説を見た記憶もある。
この問題については、考えを表明する立場にはなさそうである。
ただ、これからお墓を建てる人(真宗門徒の方)には、「南無阿弥陀仏」または「倶会一処」と、正面に揮毫されたお墓を作っていただきたいとは思う。
1ヶ月遅れの「親鸞なう」フォローになります。
「後継ぎがいない」
真宗寺院は、多くが世襲制になっているはずだから、少子化の現在、この問題は避けて通れない。
世襲という制度が受け入れられづらくなっているという面もある。
(寺の長男が、寺を継ぎたくないという例が結構あるようだ)
寺院経営の難しさという面もあるのだろう。
記事では、西教寺の新住職を迎える行事「奴(やっこ)のお練り行列」の紹介から始まる。
この行事、どんなのだろう?私は見たことがないので興味がある。
永平寺地方の風習なのだろうか?
ともあれ、新住職を迎える喜びを伝える。
「寺を継ぐ人間が減っているということは、逆に言えば、寺をやりたい人間にとってはチャンス。(寺の子弟以外にも)もっと門戸を開いていくべきだ」と言うのは、託願寺住職牧野豊丸さん。
これは一つの見識だろうと思う。
教えを伝えるのは、必ずしも世襲である必要はない。
ご信心を伝えることのできる人であれば、寺を運営することは十分可能だろう。
「『寺にいる』『寺に入る』意味を自分自身に問うことが大事。(僧侶を)職業として選び取る、という態度でなければ生き生きした道場にならない」との牧野さんのことばは、世襲によって住職となった身にも、肝に銘じておかなければならないことだろうと思う。