2011年10月 7日 (金)

手話で聞法

西本願寺さんが、「手話で表す仏教用語」という冊子をまとめられたという。昨日の「福井新聞」で知る。

たとえば「すべての人を平等に救う阿弥陀仏(あみだぶつ)の願い」を意味する「本願」は、「仏さま」+「約束」で表現。他にも「聞法(もんぼう)」は「教わる」+「いただく」、「煩悩」は「悪い」+「心」で表した。

正確に仏教用語の意味するところが伝わるのかどうか、ちょっと疑問も感じるが、少なくとも耳の不自由な方のお聴聞にはいいことだと思う。

真宗宗歌」「恩徳讃」にも手話がついているそうだ。

2011年10月 2日 (日)

年回法要

本日は、東京の方に居られる方がお寺においでになり、年忌法要を勤める。

ご主人が亡くなり、一周忌であるが、奥様はまだ悲しみから抜け出ておられないようにも見える。

グリーフワークとかグリーフケアとか言われ、僧侶にはそういう悲しみと向き合うことが大切なのは承知しているが、実際にはお勤めをさせていただくこと以外には、大したことはできない。

そういうことを学びたいと思いつつ、お参りの方々を見送った次第。

知恩院で法然上人の大遠忌が今日から勤まる由。

お遇いしたいものだと思いつつ、遅く咲いた境内の彼岸花を見る。

報恩講

いよいよ10月になりました。

今日の朝のお勤めのとき、寒さでぶるっとしてしまいました。

暑い暑いという印象が強かったのですが、確実に寒さがやってきているようです。

風邪など引かぬよう、お気をつけください。

さて、昨日1日には、今年最初の御門徒さんのお家での報恩講が勤まりました。

正善寺は、少し遅めで、11月から12月に勤めるお宅が多いのですが、このお宅は毎年最初の報恩講。

ご主人が阿弥陀経や正信偈を筆で書かれます。

9月にお書きになった阿弥陀経が貼ってありましたので、見せていただきました。

真宗ではあまり写経を致しませんが、最近は阿弥陀経や正信偈を書いてみようという趣旨の本もいくつか出てきています。

文字として書いてみるのも、お経のことばが身近になるイイ機会かもしれませんね。

ご主人と報恩講のことをお話。

以前は(在家での)報恩講というと家ごとにお齋をし、ご近所の方やご親戚も来られたりと、かなり賑やかに行われていました。

今は、そこまでするお家は少なくなってきておりますが、報恩講は宗祖親鸞聖人の「報恩講」ですので、750回忌にもなる今年は、できるだけ多くのお宅でお勤めしていただきたいと思います。(750回忌にだけすればいいということでもありませんが…)

お齋をされるなどの特別なことをすることよりも、ご家族がそろってお仏壇にお参りし、親鸞聖人に思いを致すことが大切だと存じます。

今まで報恩講をなさっていないご家庭でも、負担になるようなことはなさらなくて結構ですから、仏壇の前でお勤めになってはいかがでしょうか。

お寺での報恩講ですが、

10月10日 佛性寺さん 

10月16日 浄徳寺さん 

11月3日 正善寺

と報恩講が勤まります。

本山證誠寺は11月21日~28日です。

正善寺の報恩講のお知らせは、もう少し近くなりましたら有縁の方々にお送りいたします。よろしくお願いいたします

御遠忌の方は、西本願寺さんと興正寺さんが今月お勤めになります。

参拝できる方はお遇いになってはいかがでしょうか。

2011年9月26日 (月)

老いといういのちの相

東本願寺御影堂で行われた公開講演会・シンポジウム「老いといういのちの相」を聴く。

正直なところ、参加する際の興味の中心は鷲田清一氏が何を話されるのかというところであった。

氏は現象学(哲学)をバックボーンにして社会や文化の問題を臨床的に考察し語る、存在自体が我々をワクワクさせるような方である。

著書でその有り様の一端は理解しているつもりだが、その人を見てみたいという興味が一番だった。(あんまり宗教的な関心ではないが…)

多岐にわたる現象から老いについての考察を語る鷲田氏はやはりワクワクさせてくれる存在であった。(阪大総長退任後、大谷大学に転身されているのには少し驚いた)

臨床の知をますます深められることだろう。

老いが問題として語られるが、課題として語られなければならないというあたり、頷かれる指摘であった。

小沢牧子氏は心理学研究者。自らを「老いの当事者」といい、参加者全員が「当事者」という発言は、誠にもっともなことで、話を聞いてみようという私の傍観者意識が鋭くえぐられるところでもあった。

「ぼけ」についての発言も、認識の転換を迫られるところ。

藤川幸之助氏は詩人・文筆家。不明にしてこの方を存じなかったが、実際に母親の介護の問題としての「老い」の相をビビッドに表現され、生と死の問題を生々しく語られた。感銘深いお話であった。

シンポジウムとしては、コーディネーターと発言者の問題意識のレベルがかみ合わないところも見られたが、そこがむしろ話が広がり、多様な発言になっていておもしろかった。

 

2011年9月24日 (土)

独りじゃないよ

川村妙慶さんの新刊が出たそうです。

「独りじゃないよ」二玄社 1260円

妙慶さんのブログで知りました。

私は注文しましたが、まだ手にとっては見ておりません。

読むのが楽しみです。

ここに、詳しいご案内があります。

Photo

彼岸会終了

正善寺の彼岸会が昨日、無事厳修されました。

今回、今までとは違う形で行いましたが、多くの方にお参りいただき、ありがたく思っております。

日時の設定(お講さんのお仲間の方で用事が重なって参加できなかった方が居られたり・・・)等、考えていきたいと思っております。

より多くの方がお参りいただけるようにしたいと存じますので、ご意見ありましたらお知らせください。

ご法話は、お彼岸について。特に真宗においてのお彼岸の意味をお話致しました。

死者供養が中心ではなく、私が仏様にお遇いすることが、お彼岸の意味であるというようなことを。

熱心な御聴聞ありがとうございます。

来月の尼講は、10月27日(木)午後7時より。

本日まで、本山證誠寺の彼岸会です。午後2時より。

どうぞお参りください。

2011年9月23日 (金)

彼岸会

本日、彼岸会を勤めます。どうぞお参りくださいね。

9月23日(金) 午前10時より

正信偈のお勤め・住職法話

2011年9月22日 (木)

御遠忌の模様

真宗教団連合のHPに山元派の御遠忌の模様が掲載されました。

どうぞご覧ください。

2011年9月20日 (火)

お彼岸

今日、9月20日はお彼岸の入りですね。

「彼岸」はサンスクリット語の「波羅密多」から来たものといわれ、煩悩と迷いの世界である【此岸(しがん)】にある者が、「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の修行をする事で「悟りの世界」すなわち【「彼岸」(ひがん)】の境地へ到達することが出来るというものです。

太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を「彼岸」と呼び、この期間に仏様を讃嘆する事で極楽浄土へ行くことが出来ると考えられていたのです。

仏さまの讃嘆は、なにもお彼岸の時だけにするものではありませんが、仏様に出会う機縁としてお彼岸に仏様に手を合わせていただきたいものです。

9月23日(金) 午前10時より彼岸会を勤めます。

どうぞお参りください。

本山證誠寺では次の通り。こちらもお参りくださいね。

9月22日(木)より9月24日(土) 午後2時より彼岸会を勤めます。

2011年9月18日 (日)

親鸞なう

親鸞なう』が本になりました。福井新聞社 1500円

まだきちんと読んではいませんが、新聞連載とは構成を変えたり、資料を追加したりと違うところもあるようです。

山元派の御遠忌法要の写真も載っております。

興味のある方は、お手にとってはいかがでしょうか。

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