本・新聞 Feed

2011年5月 7日 (土)

(9)親鸞の教え

「親鸞なう」の「(9)親鸞の教え」は、本願寺派総長の橘正信さんを取り上げる。

 「生きるとは、お互いに支え合うことだ。みんなに支えられていると感じることができれば、被災者の方々は『よし頑張ろう』と思えるのではないか」。

「人は1人で生きているわけではなく、命はみんなで共有しているものだ。だから、人の痛みは私の痛みであり、人の悲しみは私の悲しみになる。悲しみ、苦しみを共有するという『同悲同苦』を教えてくれるのが仏法だ」

「念仏とは仏の知恵と慈悲だ。念仏を通して自分の愚かさに気付かされたときに、慈悲の心をいただき、本当に悲しみを分かち合う心が起こる」

「悲しいけれど、つらいけれど、この命は生かされている。念仏は悲しみ、苦しみを取り去ってくださるものではない。しかし、この無常の世を生きるエネルギーを与えてくださるものだ」

「ナモアミダブツとは、『生かされた命だから大切に生きてほしい』という仏の呼び声だ。念仏の大切さを、もう一度みんなで共有しなくてはならない」

橘さんのことばを列挙してみた。

念仏者として、問われていることの多いことに気づく。

2011年5月 5日 (木)

(8)寺のネットワーク

「親鸞なう」の「(8)寺のネットワーク」は「宗教者災害救援ネットワーク」を立ち上げた大阪大学大学院准教授 稲場圭信さんの活動を紹介。

何はともあれ、フェイスブックの「宗教者災害救援ネットワーク」をご覧いただくことをおすすめする。

ここには、今ここでの被災者救援の姿がある。(「親鸞なう」の記事はご愛敬?)

稲場さん自身が阪神の震災の体験から、情報交換や連携のもどかしさを感じ、インターネットを使い、スムーズな連携と情報交換に取り組む。

この方の研究や取り組みは注目されてしかるべきだと思う。

(7)歌とお経

「親鸞なう」の「(7)歌とお経」は、ヒナタカコさんを紹介。ミュージシャンで福井出身。

この方の名前は知っていたけれど、出身がお寺で得度を受け、寺を継ごうという意志を持っておいでだと知って、驚いた。

得度を通して、音楽と宗教が近いものだと感じられたという。

 「音楽を通して伝えたい自然や命といったテーマを、何世紀にもわたって伝えているのが仏教だと思う。それをより知ることで音楽の世界が深くなると思った」。長い長い歴史の中で果てしない数の人たちに唱えられてきたお経は「これ以上ないポピュラーソング」。

お経に込められた教えをどう捉えるかというあたりの問題もあるだろうが、この捉え方の中には、伝えるということに関して大事なものが示唆されている気がする。

「生きる意味って何だろう、このままなら死んでしまいたい、という人もいると思う。こんな時にこそ命を救い、心の支えになるのが音楽や宗教だと信じたい」

「歌を口ずさむことで、またお経を唱えることで、自分の中の弱い部分や負けてしまいそうな心を立て直していたのだと思う。音楽も宗教も今すぐに傷ついた人を助ける手だてにはならないかもしれないけど、心の栄養を与えるような役割が果たせるのでは」

ヒナさんの発言の中には、一般の人々に教えが受け入れられるための大事なところが指摘されているのかもしれない。

この方の曲をそれほど聴いているわけでもないので、確実なことは言えないのだが、詞自体に宗教的なメッセージを込めているわけではないようだが、(詞も引用されているのだけど、私には明確な宗教的メッセージだとは思われない)ヒナさんの存在すべてが、宗教的メッセージであるのかもしれない。

参照 ヒナタカコさん公式HP

    blog 福井新聞の表紙特集「親鸞なう」に掲載されました。

仏光寺派の宗祖親鸞聖人750回大遠忌に今月21日にライブをされるそうです。スケジュール

ちなみに20日川村妙慶さん 26日釋徹宗さん 27日姜 尚中さんと、講演の講師陣はすばらしいです。京都がもっと近ければ、と思ってしまいます。

(6)無縁遺骨受け入れ

「親鸞なう」の「(6)無縁遺骨受け入れ」は、黄檗宗の寺院「國泰寺」(勝山市)前住職の乾隆俊(いぬいたかとし)さんを紹介。

 今回の大震災の惨状を、鎌倉時代に鴨長明が著した「方丈記」の記述と重ね合わせている。方丈記は、大地震のありさまを海が傾いて陸地に浸水し大地は裂けて水が湧き出し、都の付近では被害のない建物はないと伝える。また、京都の道ばたに4万2千人を超える遺体が放置されるような飢饉があり、僧侶が遺体を見つけるたび額に文字を書いて仏縁を結ばせたと記している。
 「方丈記」に書かれているようなことが、現実に、目の前で起こっている。

ちょっと「方丈記」に反応したい。

以前に親鸞聖人の生きておられた時代に災害が多かったということに触れたが、「方丈記」には安元の大火・治承の辻風・養和の飢饉・元暦の地震などの災害についての記述がある。

いずれも親鸞聖人十歳前後の頃都を襲う災害であった。(聖人は九歳で得度)

なにがしかの関わりが親鸞聖人の身にも及んだのだろう。

上の記述は、養和の飢饉と元暦の地震の記述を踏まえているのだろうが、聖人の生きた時代はまさにこのような時代だったと言えるだろう。

今、東北で目にする現実は、聖人が目にしていた現実に通じているということかもしれない。

「気持ちが動転している被災者たちを元気づけ、亡くなった人のために念仏を唱えてほしい。それが僧侶の務めだと思う。自分に何ができるのか、何をするのがよいのか。それぞれが置かれている立場で、自分で考え行動すべきだ」

乾さんの呼びかけは、そのまま親鸞聖人の呼びかけと重なっているような気がする。

2011年5月 4日 (水)

(5)被災地の僧侶

大慌ての遅ればせの「親鸞なう」フォローです。

「(5)被災地の僧侶」は玄侑宗久さんを取り上げている。

本文中にも玄侑さんのプロフィールが触れられているが、臨済宗のお坊さんで芥川賞作家。仏教関連の著書も多く、生身の体験や感覚を通して仏教を語られている。

「中陰の花」を読んだときの感動は忘れられない。

必ずしも真宗的ではない部分もあるのだが、かえって真宗の教えがこういうところから来ているのだと気づかせていただけることばを、この人からいただいたことも多い。

時折足を運ぶ避難所には、家を流された人、原発から逃げてきた人、放射性物質拡散の影響で行方不明の身内の捜索ができない人…、さまざまな悲しみが横たわる。「玄侑さん、何か話してください」と頼まれることもあるが「不幸の形がそれぞれに違い、全員に向かって大上段に話せることはない」。僧侶として無力感を感じる。

被災地にはそれこそ多様な悲しみがあるのだろう。

その一つ一つに向き合うことは、不可能と言ってもよいのかもしれない。

無力感を突きつけられることこそ、この震災の大きな意味なのかもしれない。

(4)ボランティア指揮

これもずいぶん前の記事だが、「福井新聞」の「親鸞なう」は「(4)ボランティア指揮

仙台で陣頭指揮に当たっている高田英彦さんを取り上げている。

ボランティアとしてセンターに集まってくる僧侶たちには、「『やってあげる』のではなく、『やらせていただく』という気持ちを持ってほしい」と呼び掛ける。「仏教は、人々の悩みにこたえるためにある。忙しさの中で教えの根本を忘れてはいけない」。自戒を込めて話す。

これは、特に真宗の僧侶に限ったことではないかもしれないが、ボランティアに参加して、「やってあげる」という意識は禁物だろう。

そこを教えに立ち返らせていくことが、大切なのだろうと感じる。

今回、取り上げられている活動が本願寺派ばかりなのはすこし違和感を感じる。

被災された方々は、私たちに、人と生まれた悲しみをとおし、共に生きるものが人間である、という大切なことを思い出させてくださいました。代理のきかない我が身・人生であり、やりなおすことはできません。しかし、共に見直すことはできます。見直すとは、自分の考えのみを正しいこととして、間がらを断ち、常に座り込もうとする怠惰で傲慢な在り方が、教えによって知らしめられ、そこから謙虚に起ち上がり続けることであります。

東本願寺の第2期御遠忌法要での「決意表明」の一部なのだが、派によって取り組みの違いはあれ、今回の震災はボランティアに直接参加するかしないかにかかわらず、私が揺さぶられ、問い直され、見つめ直されるという出来事であったように思う。

真宗門徒であることの厳しさを認識させる「決意表明」が、多くの人々の前でなされていることに親鸞聖人の教えを感じるところ。

2011年5月 3日 (火)

(3)ボランティアたち

かなり時間が経っていますが、「親鸞なう」の「第6章 (3)ボランティアたち」は、ボランティアの方々の取り組みをいきいきと伝えている。

2011年4月22日 (金)

(2)門徒分散、寺壊れ…

遅ればせの「親鸞なう」フォローです。

福島県相馬市にある浄土真宗本願寺派の光善寺。4月6日、京都の本山から被害状況を見に訪れた同派の橘正信総長(68)に、集まった近隣の寺の住職らは口々に窮状を訴えた。僧侶としての活動がままならない悔しさがにじむ。「このままでは寺を続けていけない」。

被災地のお寺の問題はきっと山のようにあるのだろう。お寺が物理的な被害を受けることももちろんだが、門徒さんの居所が分からなくなれば、ご縁の結びようがない。お寺にとって、これが一番の打撃かもしれない。僧侶として、何をしてよいのか、悩む日々を送っておられるのだろう。

寺を中心にした地域のネットワークが引き裂かれるという「目に見えない被害」(橘総長)

お寺はご縁によって成り立っている。「目に見えない被害」は、物理的な被害以上に、お寺や御門徒さんに甚大な被害を与えていると想像する。

親鸞聖人の生涯にも地震等の災害が多かったという。

そこを宗祖聖人はどう生きられたのであろうか。

勉強不足で、そこのあたりはよく分からないが、被災地以外にすむ我々にとっても、「目に見えない被害」は考えておかなくてはいけない問題であろう。

2011年4月20日 (水)

親鸞なう 大震災宗教の使命

「福井新聞」の「親鸞なう」は、「大震災宗教の使命」となって掲載を再開。

大震災がなかったならば、各派で勤められている御遠忌法要を取り上げていたのだろうが、未曾有の大震災によって、宗教の在り方が揺さぶられていることのあらわれなのだろう。

(1)死者を弔う

本願寺派の仙台別院での活動については、「親鸞なう」以外にも報道があり、ある程度のことは知っていた。

詳しいレポートは僧侶が震災にどういう風に向き合っているのか、よくわかるようにつたえてくれる

僧侶の言葉も、宗教者がいかに震災に向き合うか、いろいろと示唆を与えてくれるようだ。

ランダムに抜き出そう。

「誕生するときを選べないように、命の終わりも選べない。見ず知らずの方だが、阿弥陀様の願いを平等に届けていくのが僧侶の使命だと思う」。(磯山霊秀さん)

「何の助けになっているのか分からない。遺族の深い悲しみを受け止められない感覚に襲われる」(加藤泰和さん)

「悲しみの現場から宗教者が逃げているようでは、この世に宗教は必要なのかということになってしまう。答えが出るのは後になるかもしれない。ただ、目を背けてはいけないとだけは思っている」(加藤泰和さん)

突然の不如意の死が被災地にはあふれている。

僧侶も、戸惑いながらその死に向き合っている。

死に向き合い、寄り添うことから宗教者の使命が、少し見えてくるように思う。

2011年4月 8日 (金)

瀬戸内寂聴

朝日カルチャーシリーズ 『CDブック 古寺をめぐる こころの法話』 創刊号の瀬戸内寂聴さんのCDを車の中で聞いている。

あるところで、寂聴さんの後ろ姿をお見かけしているのだが、(敦賀の短大の学長をなさっていた頃 短大の宣伝にも歩いておいでだったようだ。)生でお話を聞いたことはまだない。

寂聴さんのご本は、いろいろと読んできたが、宗派が違うので、そのまま受け入れるわけにはいかない部分もあるが、私はとても良いと思う。

寂聴さんのご法話には笑いが絶えない。

そこを?とする方もいらっしゃるのかもしれないが、ご法話で伝わることって、きっと一つかふたつ。

とすれば、たくさん笑うのも良いではないか、と思う。

(一応、私も笑いの要素は取り入れてご法話してるつもりなのですが、空振り三振のクチ)

まじめではない、というのならば、笑って気分が変わるということの意味も見直したい。

もちろん、寂聴さんのお話には、きちんと心に留まるものが含まれている。

彼女の元気も、すばらしいところだ。

今回のCDのお話は、自慢話と受けとめる人もいるようだが、その奥にあるものに目を向けたい。

機会があったら聞いてみてください。

私は、「あおぞら説法」シリーズの活字で読む方が、何となくスキなのですが・・・

生の寂聴さんのご法話も拝聴したいものです。(ずいぶん、年齢の話や三年後には???というお話もなさっているので・・・)

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