« 2010年9月 | メイン | 2010年11月 »

2010年10月

2010年10月30日 (土)

御伝鈔

先に書きました「御伝鈔」の山元の章、ここに引いておきますね。

一向真宗開山親鸞聖人伝絵下
 
 第二段

 承元元年丁卯仲春下旬のころ、聖人親鸞、御歳三五歳にして、北陸道に向足ましましけり。抑当国丹生郡山元といふ在所は、すぐれて面白き閑居なればとて、垣生をしつくろひ暫在留ましましける。まことに、聖人の行状朗らかにして月のごとく、徳香芬々として匂四海に薫じけるゆへにや。遠近の道俗男女、跡を求めて御教誡を蒙奉る。しかりといへども配所にその究ありければ、名残を慕ふ同朋へ御真筆を以て、光明本尊を書き残させ給ふ。
それより以来、北国東国前後廿五年の間、御経回ありて、御歳六十歳にして上洛あり。かさねて嫡子善鸞、此所へ下向し給ひ、聖人御相伝の安心の一途、和讃講を結んで御勧化ありしかば、一流の宗風ますます繁昌云はかりなし。すなはち今の山元山證誠寺是なり。

尼講でのお説教

少し遅くなりましたが、尼講でのお説教について。

山元派の御伝鈔は、本願寺系の御伝鈔と少し違うところがあります。

山元の名のいわれが書かれている「山元の章」が、下巻の第2段にありますので、

それを一緒に読みながら意味を取っていきました。

報恩講が近いので、報恩講で親鸞聖人の一代記とも言える御伝鈔をおあげすること、絵伝を余間に掲げ、それが御伝鈔とセットになっていること(正式には御伝鈔は、山元派の場合『一向真宗開山親鸞聖人伝絵』といい、「伝絵」(「でんね」と読みますが)というところが、絵伝とセットになっていることをよく表しています)、などをお話しいたしました。

正善寺では、報恩講の初夜に御伝鈔拝読をいたします。

夜のお勤めはなかなかお参りしにくいとは思いますが、御伝鈔を通して親鸞聖人の遺徳を偲ぶことにしたいと存じますので、ご都合のつく方は、是非、初夜のお勤めと御伝鈔拝読の席に連なっていただきたいと存じます。

報恩講 11月3日(水)

逮夜 午後3時より (お勤めの後 お齋があります) 

 正信偈真四句目下 

 念仏 五淘 和讃 五十六億七千万より次第六首

初夜 午後7時より

 正信偈草四句目下

 念仏 三淘 和讃 三朝浄土の大師等より次第三首

 御伝鈔拝読

説教 覚善寺様

「門徒報恩講勤行集」をお持ちの方はご持参ください。(お寺にも用意しておきます)

当日、勤行については説明のプリントをおわけいたします。どうぞ、ご一緒にご唱和ください。(逮夜の真四句目下げ 五淘は、ふだんのあげ方と違いますので、戸惑われる方もおられるでしょうが、わかるところだけでもけっこうです。一緒に親鸞聖人の作られた「正信偈」を唱和いたしましょう。)

2010年10月24日 (日)

おてらくご

釈徹宗さんの「おてらくご」を読む。

お寺と落語をあわせた題である。

今回は、本そのものと言うより、付属のCDについて。

節談説教と浄土真宗に関係する落語がおさめられている。

節談説教は、最近よく取り上げられるようになってきたが、一時は、芸能とあまりに近いので、真宗教団では一段低く見られ、あまり顧みられなかった時期もあるという。

しかし、語り口の快さで、ご教義が染み渡ってくるような感じで、いいものだと思った。一度ライブを体験してみたいものだ。

落語は、スタンダードな「寿限無」と「お文さん」

「寿限無」は皆さんよくご存じだと思うが、「お文さん」は今はやる人がいないので、

勇気をもって高座にかけたという意味のことを言っている。

面白くないのでやる人がいない、などと自虐ネタで言っていたが、この話、けっこう私には面白かった。

幻の落語の復活なので、ここで内容を言わない方が良いのだろう。

本を買って聴く価値がありますよ。

絵もなかなか味があって、雰囲気を高めています。こちらもお坊さんなんだそうです。

ようこそお寺へ

転法輪有花さん「ようこそお寺へ」を一読。

お寺の施本用のようで、38ページのコンパクトな本だ。

新米若坊守(=お寺の若奥さん)が、門徒さんの立場に立って書いてみました。

お寺についてわからないことがあったら、一緒に考えてみましょう。

と最初に書いてある。

お寺に関することが、わかりやすく、丁寧に、親しみやすい筆致で書いてあり、「お寺へようこそ」と呼びかけられているような感じを受ける。

この方のことは、直接は知らないのだが、福井の方のようなので、その分親しみも増す。

何かの時に、正善寺でも施本として皆様におわけしようと思います。

2010年10月22日 (金)

彌光庵

ちょっと変わったお寺の紹介。
京都で、彌光庵で諸行無常カレーを食べる。

僧侶(女性)がやっている仏教思想を取り入れ、肉などを一切使わない料理のお店。いわゆる精進料理だが、ちょっと違う感覚なのかもしれない。

お寺でもあるということで、阿弥陀さんがいたり、お数珠を使っていたり、法語がかかっていたりするのだが、ジャズがかかり、料理を供する場なので、変な意味でのお寺臭さはほとんど無い。

常連という感じの人も、外人さんも(観光客なのかな?)落ち着いたくつろいだ感じで座って食事をしている。

この落ち着きは、お寺かもしれないな。
本当は、庵主さんと話をしてみたいところなのだが、シャイな私は、忙しそうに立ち働いたり、ネコと戯れるお客さんの世話をしたりしている庵主さんには、話しかけられなかった。「ごちそうさま」はちゃんと言いましたがね・・・)
お寺のあり方として、説教くさくないお寺というコンセプトのようで、一種のアジールとしてのお寺の形を見ることが出来たように思います。

2010年10月19日 (火)

カウンター

カウンターが1000を超えました。皆様ありがとうございます。

このカウンター1000を超えると表示がどうなるのかと危ぶんでいましたが、ちゃんと表示されましたね。よかったよかった。(笑)

お知らせを。

10月27日(水) 午後7時より 尼講

いつものように正信偈のお勤め、住職の法話、その後お茶とお菓子とおしゃべりと。

どうぞお参りくださいね。

報恩講 11月3日(水) 

     逮夜 午後3時より 正信偈真四句目下げ

                 (お齋)

     初夜 午後7時より 正信偈草四句目下げ

                                                                    御伝鈔拝読

説教 覚善寺様       

2010年10月18日 (月)

親鸞なう18日

浄土真宗と田口ランディというのは、マッチしているような、相反しているような不思議な関わり合いを持っているような感じがする。

田口さんの「宙返りの練習」は、そういう意味で面白かったのだが、この人は仏教や神といった宗教的なものに関する関心がすごく強い。

にもかかわらず、特定の宗教を信仰してはいないという。

「死後の世界はあるんじゃないかと思っている。

宗教は好きだから、信じられるものなら信じたい。

だけど『これだ』という確信がない。

納得できないものは信心できません。」

この人の浄土真宗に対する理解はかなり深いものがあると感じる。

「宙返りの練習」を見ても、他力本願に対して不審の念を抱きつつ、浄土真宗に限りなく近づいているように思える。

(この本の巻末の「お坊さんが教えてくれない肝心なこと」という三橋尚伸(女性)との対談は、非常に面白い)

この浄土真宗に対する認識は、ある意味透徹していると言ってよいのではないか。

「人間はどん底におちない限り、何とか自分でやろうとする存在。

でも自分でやろうとする人には、真宗はセーフティーネットにはなり得ない。

それゆえ真宗は難しい。」

易行と言われながら、難しいと言われるのは、こういうところにあるのだろう。

田口ランディと浄土真宗の関わりは、なんだか目が離せない、ドキドキするような関係なのではないだろうか。

親鸞なう17日

17日の「親鸞なう」は五木ひろしさんの登場。やっぱり福井はこの人は欠かせない。

信仰を熱く語るといった趣ではないが、生活の中に浄土真宗の教えが溶け込んでいるという感じのお話だ。

親鸞聖人の映画から「仏を信じることが大きな力になる」ことを学んだという。

教えについては、「強要しない、強制しない」というイメージを持っているという。

手を合わせると自然に南無阿弥陀仏が出てくると語る五木さんの根っこには、浄土真宗があるのだろう。

2010年10月17日 (日)

親鸞なう16日

16日の「親鸞なう」は、大平光代さんが登場。

大平さんは「だから、あなたも生きぬいて」で有名な方だが、筋金入りのお念仏者の祖母の影響を深く受けたのだそうだ。

「まんまんちゃん(ほとけさま)が見てはるよ」という祖母の声が非行から立ち直る原動力となっていたようだ。

僧侶となることを決意し、中央仏教学院の通信教育で仏教を学んだ。

次の言葉は、心に残る。

「居場所がなくて非行に走る子ども、心が壊れてしまう大人がたくさんいます。お寺は心の居場所になってほしい」

15日の「親鸞なう」について、疑問が残る(ちょっとわるふざけだったのですが)と書きましたが、「なう」については、「編集ノート」に記述がありました。よく読んでいなかった、私の方が悪いですね。

それによると、やはり「なう」はツイッターの方からの発想のようで、「『なう(今)』の、率直な思いや行動」を表しているところからつけられたようです。

途中省略しますが、「今に至る親鸞」「親鸞を通してみる現代」というふうに「親鸞なう」を捉えてほしいと書いてあります。

パリの報恩講

千葉乗隆さんの「パリの報恩講 二人の日本人僧の百十年前の願い」が『よろこび 特集号 みんなでつとめる報恩講』に載っている。

実は、ここで紹介されている善連法彦(よしつらほうげん)は、仏光寺派仏照寺の方で、妹の嫁ぎ先になる。

明治時代に海外へ出ることは、大変なことだと思うが、ヨーロッパで最初の報恩講を勤めたというのは、エポックメイキングな事柄と言っていいのだろう。

正善寺の報恩講で、施本としておわけしたいと思っておりますので、是非ご一読ください。

報恩講 11月3日(水) 

     逮夜 午後3時より 正信偈真四句目下げ

                 (お齋)

     初夜 午後7時より 正信偈草四句目下げ

                 御伝鈔拝読

説教 覚善寺様       

Powered by Six Apart

カウンターなど